「今さらだけどどちら様?」
「……ば、」
「ば?」
「ばぁーか!!」
突然馬鹿呼ばわりされた、てめーそのまま沈めてやろうか。
直美が行方不明になるわ、レオンハルトが亡くなるわ、バックドアが仕掛けられていたわ、さっき所属不明の潜水艦から魚雷撃たれるわ、なんだこの職場は。
こっわ、海に呪われてんのかな、塩撒いたら効果あるだろうか。
魚雷が当たる直前、私はパシフィック・ブイの海上で水上バイクに跨っていた。
それから、すぐ復旧できるか魚雷に撃たれた跡の確認のため、海中に潜る準備も。
スピードが大事だから水中スクーターのバッテリーを念入りに確認して、同時にエアタンクの残量も確認する。
爆発は一回だけど、当たったのはふたつだ。
パシフィック・ブイから爆煙が上がる、追撃はない。
撃ってきそうな気配もない、ただのカン。
レギュレーターを咥え、水中スクーターを手に海中へ。
もう慣れた。
どんなに明るい時間に潜っても私が作業しているところは暗いから、なんなら海上部分が燃え上がっていつもより明るいくらいだ。
特に精査するまでもなく、こりゃだめだ、と結論を出す。
メインルームが、サーバールームが、何かが無事なら、と思っていたけど無理だなこれ。
簡単に手にしていたライトで照らし、このまま誘爆する方が怖いなと速やかに水中スクーターで海上へ向かった。
……けれど、私の視界に入ったのは、大きな黒い潜水艦だ。
妙だった、スクリュー音がしない。
あんまり動いていない、多分、パシフィック・ブイに魚雷撃ち込みやがった潜水艦だと思うけど、様子おかしくね?
ついでになんで潜水艦の近くに人いんの?危ねーだろ。
どっかで見た背格好な気はするけど、パシフィック・ブイがこれ以上爆発したらどうすんだっての。
逃げもせず、まるでそのまま漂うかのような力の抜けたその人を見ながら内心舌打ちをし、それから水中スクーターで近づく。
問答無用だ。
水中スクーターのスクリュー音に気づいたのか、その人がこっちを振り向いたのと同時にその人の首根っこを掴んだ。
なんかギャーギャー言っているような気がするけど聞こえませーん。
海の中で会話が聞こえるかよ。
一気に潜水したからゆっくり上がんなきゃな、と思っていたら背中からなんかすっごい衝撃が来た。
は?何事?えっ、誘爆した?
危ねーじゃんその場にいたら死んでたわ。
ゆっくり上がらなきゃなのに後ろからの衝撃に押されてどんどん水面に近づいてしまう。
水中スクーターを手にしたままだとよろしくないね。
これいい値段したんだけどな、名残惜しいけど手放した。
思ったよりも衝撃って強くって、首根っこ掴んでいるやつと一緒に海中をごろごろと回る。
洗濯機かよ……こんな経験したくなかったわ。
あ、手からスマホ飛んでった、私のじゃないけど。
衝撃も収まって、上下感覚がなくなったからわざと大きく息を吐く。
はいはい、そっちが上ね。
ライトを上に向け、相変わらず片手はどこの誰か知らないやつの首根っこを掴んだままだ。
ふと、首根っこを掴んでいた手が振り払われ、それからその手首を掴まれた。
掴まってくれるならいいんだよ、こんなところでそのまま放置は寝覚めが悪い。
パシフィック・ブイで海中の作業を終えた時はそのまま中へ入れたけどなー、海上に行くには時間かけなきゃなー。
一分で九メートル、だったか、一秒で十五センチ。
ゆっくりゆっくり、手首を掴まれたまま浮上する。
息を止めないで、しっかり吐いて。
海面から顔を出した頃には、随分衝撃で流されたのか炎上するパシフィック・ブイが遠くに見えた。
おっ、ラッキー、水上バイクもここにあったわ。
ゴーグルを首にかけ、レギュレーターから口を離して水上バイクの縁に掴まって、冒頭に戻る。
「おま、お前危ねーのに何してんだ!!」
「それめちゃくちゃブーメランなんだけど鏡見て話してんの?」
「うるせー!いつもいつも嫌味に対してそう返しやがって!!しかも覚悟したのに颯爽とやって来て崩すとか……なんなんだよお前!ばーかばぁーか!!あんなにお前に構いに行ってたのにどちら様?はねーだろばぁぁぁぁぁか!!」
なんだこいつ。
なんか癇癪起こしたガキみたいに泣き喚いているんですけど。
いやマジで誰。
パシフィック・ブイのスタッフでこんなのはいなかったけど。
だって、こんなガキみてーなのいたらレオンハルトよりも喧嘩する自信しかない。
ギャン泣きじゃん……
ゴーグルを取って水面にバシャバシャと叩きつけ始める姿を横目に水上バイクに上がった。
うわあああああ!!と泣き喚くやつにはいはいと思いながらも水上バイクが転覆しないように細心の注意を払ってそいつも水上バイクに引き上げる。
ハンドルに括りつけていたライフジャケットを男に着せて、それからサイドバッグからタオルを取り出した。
「まずは避難。その後で話くらいは聞いてやるって」
人目のない海上でよかったな、と思うくらいの見事な泣きっぷり。
タオルを男の顔に押し付け、同じようにサイドバッグから取り出したスマートフォンで選択し慣れた名前をタップする。
『ああ、よかった!君か!無事かい?』
「はい、ちょっと爆発に巻き込まれそうになって遠くまで流されました」
『怪我はないんだろうね?』
「ええ。ただ、思ったよりも水上バイクごと流されて皆さんから遠いんです。合流するにしても、ガソリンももう少なくて、そちらに向かえても八丈島に戻れなさそうなんですよね」
嘘は言ってない。
実際に、明日給油に行く予定だったのだから。
これね、私物なんですよ。
パシフィック・ブイのものだったら普通に合流してたけど、残念ながら私物です、はい、愛車。
それに、ぐすぐすしている男を連れて行ったらなんかやばそう。
背負っていたエアタンクを下ろし、ウェットスーツの胸元を緩める。
『そうか……無事かどうかの確認は君だけだったんだ。今日はこのまま解散にするから明日集合しなさい。他のスタッフは公民館で寝泊まりするが……確か君は八丈島にご家族の別荘があったね?』
すげーな局長、よく覚えているな。
休みの日には私もその別荘を使っているからね。
つまり私は自分の別荘で一晩過ごしなさいと。
お言葉に甘えてそうします、そう返事をしてスマートフォンをサイドバッグに戻した。
水上バイクのエンジンをかけて、向かうは別荘。
なんかさ、エアタンク下ろしたらめちゃくちゃ後ろから抱き込まれているんですけど。
「鼻水つけんなよ」
「つけねーよ!!」
元気じゃん。
最悪だ最悪だ最悪だ……!
よりによってこいつかよ!
覚悟したのに、崩された。
待ち合わせ場所、既読はつくのに返信のないトークアプリ、脱出用の潜水艇、組織の情報が詰まっている潜水艦。
何故か潜水艦はモーターが動いていなかった、攻撃でもされたのだろうか。
でも、ジンが何考えてんのかなんて、一目瞭然だった。
消されるところだったんだ俺は。
別に、いいかと、覚悟したのに、それを崩したのはあの女だ。
もうぐちゃぐちゃにされた、あー俺傷ついた。
みっともなく泣き喚いた。
生きていることに安堵したんじゃねえ、俺の首根っこを引っ掴んだのがあの女だったからだ。
飲み込むくせに引き上げるのはお前なのか。
あとあれ、どちら様はねーだろ!!
こちとら数年お前のこと見てたから知ってるっつーの!
成り行きで走り出した水上バイクの上、女の腹に腕を回して女の肩に顔を埋めながら鼻を啜っていると、水上バイクが止まった。
女が水上バイクを停めたのは小さな砂浜、近くには一件の小さな日本家屋。
そしてあれよあれよとその家に連れて行かれ、風呂場に押し込められる。
さっさとシャワーで体温めてこいと乱暴に背を押されたが、あいつなりの優しさなんだなと思うとうわめっちゃ好き……と馬鹿みたいに思っていた。
思ったよりも広い風呂だな。
ウェットスーツを脱いで体をシャワーで清める。
「適当に服置いておくから着てよ」
脱衣所から声がして、少しだけドアを開けて女を見た。
ウェットスーツの上をはだけさせ、その上からラッシュガードを着ている。
「……お前は」
「さっき外で水浴びた、あんたが上がったらちゃんとシャワーする」
それだけ言って女は脱衣所を出た。
好きにシャンプーとか使っていいからね、と付け足して。
急いでシャワーをして、脱衣所に出ればふわふわのタオルと真新しいTシャツとジャージが。
それに着替えて女がいるであろう部屋を探す。
平屋、だっけ。
居間の大きな窓を開け、縁側に腰かけていた女は煙草を口にしていた。
意外と夜の風は冷えている、寒くねえのかよ。
女は俺に気づくと咥えていた煙草を灰皿に押し付けてじゃあ今度私入るから、と横を通り過ぎる。
ほんのり香る煙草の匂い、それからガソリンのようなオイルの匂い。
そういえば電話でガソリンねえって言っていたから給油したのかな。
女と入れ替わるように縁側に腰かけた。
視界に入ったのは、あの女が愛煙している煙草とライター。
あまり吸わないけれど、あいつがいつも吸ってる煙草が気になって一本口にして火をつける。
重い、けれどスースーする。
フィルターに入っているカプセルを噛み潰せば、さらにメンソールが強くなった。
それからぼんやりと空を見上げる。
思ったよりも綺麗で憎たらしい。
いろんなことがあったのに、それを知らない空が憎たらしい。
レオンハルトを殺したことがバレた、グレースが男だってバレた、シェリーと老若認証が一致したガキを攫ったことがバレた。
逃げ出せたのに、ジンに殺されかけた。
今までいろんなもんを蹴落としてきたもんが返ってきたんだと、あのまま爆発に身を委ねようと思ったのに、引き上げられた。
あの、ブラックホールみたいな女に。
短くなっていく煙草を咥えながら編み込んでいた髪を解く。
女が使っていいと言ったシャンプーの匂い、それが煙草の匂いと混ざりあってまるであの女の匂いを纏っているような感覚になった。
「……どうすっかな」
これから。
俺がピンガだと暴かれたあの場に女はいなかった、女は俺がグレースだって知らない。
なんならレオンハルトが自殺じゃなくて他殺だってことも、多分知らない。
知っていたら俺をここまで連れてくるわけねーもん。
なんなら適当にぐるぐる巻きに拘束して警察に放り込みそうだ。
短くなった煙草を灰皿に押し付ける。
女が飲んでいたらしい茶をそのまま飲み干して、それから縁側に横たわった。
……疲れた。
「寝るならちゃんと髪乾かしてからにしなよ、風邪引くぞ」
思ったよりも穏やかな声が聞こえる。
畳の上を歩く足音、それが止まるとタオル越しに俺の頭に触れた。
撫でるようなそれを享受しながら言葉を口にする。
「なんで助けた」
「そこにいたから」
「……」
「助かりたくなかったんなら私の視界に入った自分に毒吐けよ、そこまで私は冷たくねえから」
「知ってる、お前どっちかって言ったら激情家だよな」
「素直なんだよ」
ごろんと寝転がればこちらを見下ろす女と目が合った。
濡れた長い黒髪がカーテンのように俺に垂れる。
底なんてなさそうな黒い目が、思ったよりも優しく見えた。
女は俺を見ると首を傾げ、それから「グレース……?」とひとつの名前を口にする。
「……なんで、」
なんでわかった?
そんな俺に女は背格好と目と唇が一緒、と簡単に答えて俺の体をそのまま居間に転がした。
窓を閉め、居間のテーブルに灰皿や茶の入っていた湯呑みを置いて俺の近くに腰を下ろす。
足を組んで胡座をかいた女は自分の髪を適当にタオルで拭いながら、テーブルに置いてあったスマートフォンを手にした。
やっべ、直美やエドからも連絡来てるわ、と口にしてスマートフォンを操作する。
……言わないんだな、グレースがここにいるって。
「ベッドと布団どっちがいい?」
「どっちでも」
「じゃあ私が布団な」
お前はベッド、と居間の隣の部屋を黒いマットネイルの指先で差した。
開け放たれている襖の向こう、ベッドと布団が用意されている。
いつの間に。
「……ほんと、お前はよォ」
「何が」
「そういうところだよ!さっさとあいつらに言やあいいだろ!!グレースを演じていた男がいるって!」
「え、なんのメリット……?」
「俺が!」
俺が、レオンハルトを殺してバックドア仕掛けたやつだからだよ!
と言えればよかった。
けれどそれは、女の思ったよりも細い指が俺の唇に当てられて言えなくなる。
「私は知らん、お前がグレースとイコールでも、そこから先は知らね。私は私を好いてくれているグレースとここに体を休めに来ただけ。てめーが何やらかしたかなんて知ったこっちゃねえ、そんなのどうでもいい、私は疲れたから寝たいんだよ」
「こっ……の……!」
おっぱいのついたイケメンが!!
俺としては最大級の罵倒だったけど、女はなんじゃそら、と呆れたように溜め息を吐いて煙草に手を伸ばした。
責任取れちくしょう!!
サポートスタッフの女の子
なんか成り行きで同僚と同じ背格好の男を助けた。
訳ありかなー程度の認識。
お疲れで頭がそんなに回っていない。
次の日は彼を残して一度パシフィック・ブイの職員たちと合流して今後の方針決めて帰ってくるけど「俺置いてどこ行ってたんだよ!」って泣きつかれて困惑する。
ピンガ
あ、俺死ぬんだなって受け入れたら引き上げられた。
どちら様?の言葉にいろんなものがごちゃごちゃになって泣き喚いた25歳児。
これからの先はどうするか想像もできないけど俺を助けたんだから責任取れよ!!って女の子に泣きつく。
きっとピンガって名前を名乗ることはない、グレースってそのまま呼ばせるか、別の名前を口にすると思う、多分。