電脳世界の幽霊少女②

この体って基本的に疲れ知らずなのはありがたいな、なんて思いながらBGくんとインターネットを歩く。
いつもすごいなって思うよ、電脳世界にも街のような集まりがあって、そこで生活するかのように活動しているナビが多いから。
商売として成り立っているのはバトルチップのショップやプログラムショップだ。
たまにナビでも楽しめるようにカフェみたいなお店もある、とても多様。
実際に飲んでみたよ、確かに現実世界のような味がしたからプログラムってすごいなって語彙力のない感想が出たの。

「宿題終わったから健診が終わるまで手持ち無沙汰になっちゃったね」

「別にここまで出なくてもいいんだぞ、お嬢はすぐに迷子になる」

「……い、いやだな……そこまで迷子になったことないよ?」

「気がつけばいないのはお嬢の専売特許だろう。裏インターネットに迷い込むのが何回あったか知りたいか?オフィシャルだって捜索に当たっていた、薄暗い通路に寝ているのを発見された……一番ぶっ飛んだのは、裏のナビが近くまでわざわざ送り届けた時だな」

「ごめん、なんかとても胸に刺さるからもう言わないで……」

「反省しろって意味だ。オレから離れないでくれ」

はぁい。
ここまで言われたら何も反論できません。
なんていうか……現実世界でも学校帰りに寄り道したり、今日みたいに定期健診後にそこら辺散歩してから帰ったり、歩き回りたくなっちゃうんだよね。
多分、小さい頃に満足に外で遊べなかった反動。
今では定期健診こそあるけど、体は問題ないわけで。
本来人間に取り付ける用途ではなかったものを取り付けてしまったから人体に影響がないか確認しなきゃいけない、らしい。
当時はお父さんとお母さんも非難を浴びていたんだっけ、実の娘になんてことを、みたいな。
でもそれで私の体の治療はとても円滑に進んだし、無事に人体に取り付けても問題のないものが開発できてからは世間は手のひら返しだったな、あまり物事の理解がない幼い私でも嫌な思いをしたのは覚えている。
ふと、BGくんと歩いている時に視界を何かがちらついた。
まるで髪の毛がはためくみたいな動きだった、だからつい、BGくんに何か言う前にそこに向かって走り出した、走り出してしまった。
後ろからお嬢!と咎めるように声を荒げるBGくんの声が聞こえる。
それにごめーん!すぐ戻るから!と返して気になったところへ。

「……?あれ、なにもない……気のせいだったかな」

人の髪みたいな動きだった。
ナビたちのデザインには髪があるものもいるけど、そこまで一般的じゃないはず。少数派なだけで。
見間違いか……BGくん怒るから戻ろ。
きょろきょろと人気の少ない道を見渡してBGくんの方へ足を向けた、その時だ。

「お嬢!」

BGくんの切羽詰まった声、それと、後ろから伸びてきた〝人〟の手。
──ずるい、あなただけ。
頬を冷たい手が覆う。
BGくんがこっちへ走ってくるのは見えていたのに、真っ暗に覆われて。
──いいなぁ。
〝私〟と同じ顔の女の子が、逆さまに私の顔を覗き込む。
違うのは、目と髪の色。

「わたしと、とりかえっこしよう?」

「お嬢!」

黒い何かに覆われた直後、お嬢はその場に倒れた。
急いでお嬢に駆け寄り、小さな体を抱き上げる。
意識はないが……異常は、なさそうだ。
けれど今のはなんだったのか。
バグの吹き溜まりにでもなっていたか?いや、それだとお嬢が倒れた理由にならない。
すぐに科学省に戻らなくては。
──BGくん。
駆け出す直前、柔らかいよく聞き慣れた声がした。
振り向くもなにもない、誰もいない。
抱えているお嬢も目を閉じて意識を失ったままだ。
……気のせい、か?
特にお嬢に変わったところは見られない、簡易的にスキャンしても変わりはない。
少しだけエラーが発生するが、さっきのバグのようなものの影響だろうと推測する。
とりあえず、光博士のところへ行かないと。
なるべくお嬢に負担がかからないように科学省へ向かって走り出した。
我ながら、過去最高速度だったと思う。
最初にお嬢とオレがプラグインした科学省の光博士の部屋のPCには電脳世界でも様々な機材のプログラムが設置してある。
血相の変えたオレを見て驚いただろう博士は、それでも的確な指示を出してくれた。
ナビのメンテナンスをするのに使うポッドの中へお嬢を入れ、正確なスキャンを行って異常がないか博士が確認する。

『特に異常はなさそうだけど……さっきから名前ちゃんのデータにノイズがあるな。君の言っていたバグのようなものの影響かもしれない』

「それはすぐ除去できるか?」

『彼女はナビじゃなくて人間だ、少し時間がかかる』

「かかってもいい。主と夫人が不在の場合、お嬢に関する決定権は預かっている」

名前が安心して過ごせるように、ひとりにならないように。
そういった主と夫人の願いは知っていたはずだったのに、オレは……
光博士がお嬢の検査をしているのを横目にポッドに触れる。
薄らと開いたお嬢の目は、青かった。

♢ ♢ ♢

暗い。
目は開いているはずなのに、とても暗い。
どこだろう、ここ。
自分の体がどうなっているかもちょっとよくわからない、なんか硬いところに寝ている……いや、倒れている?
ぐっぱぐっぱと小さな手を動かす、うん、痛くないしちゃんと動くね。
体を起こして周りを見渡しても暗いのしかわからない。
歩いていけば明るいところに出られるかな?
そう思って歩き出した時だ。
ゴンッ!!

「いっったぁ!?」

何かに真正面からぶつかって思わずその場に尻もちをついた。
いったい!なにこれすっごく痛い!
鼻血、鼻血出てないよね!?というか鼻潰れてない!?
おそるおそる私がぶつかった何かに手を伸ばすと、無機質な何かに触れる。
これ、壁だ。
じゃあここはどこになるんだろう。
痛かった鼻を押さえながらその壁を伝って歩いてみる。
ふむふむ……端から端まで五歩、そのまた端から端まで五歩……いや狭くない?
部屋じゃない、箱だ。
上はどうなっているのかわからないけど、この形状は箱だ。
え、なんで?
何がどうなっているのかわからない状況に血の気が引く。
閉じ込められている?どうして?
さっきまでBGくんと時間潰しに出ていて、何か気になるものがあったからそこへ駆け寄ったら……
──わたしと、とりかえっこしよう?
思い出すのは自分と同じ顔の女の子、ううん、少しだけ年上の姿だったかもしれない。
反転したかのように、私とは違う青い目、紺色に近い黒髪、ピンクのリボン。
あの子がやったの?なんのために?何をとりかえっこしたの?
というか、なんで〝私〟の姿だったの?
考えても答えは出ない、思いつくものもない。
しばらくすると目が慣れてきたのかこの箱が薄らと透けているのに気づいた。
壁にへばりついてじっと向こうを見る。

「……ここ、もしかして裏インターネット?」

それも、かなり深部では?
この箱がどこに置かれているのかもわかった。
さらに周りには、多分、信じたくないけれど、おそらく、ナビの、残骸が。
置かれている状況を段々と把握していく。
経緯なんて後回しでいい。
今、私は裏インターネットの深部にいる。
さすがに裏インターネットへ迷子になることはあっても、こんなに深部には迷い込んだことがない。
生息しているウイルスは強力で、ここに入ってくるナビはかなり訳ありで強い。
どうしよう、どうしよう。
この箱も、私じゃ壊せないから状況は変わらない。
持っているバトルチップは補助や回復のものだ。
攻撃ようのチップを持っていてもできることはないけれど、少なくともこの箱の中からは出られたはず。
誰か来ることに賭けて助けを求める?
でも先に強いウイルスがやってきたら?話の通じないナビだったら?
決して裏インターネットを甘く見ているわけじゃない、迷い込んだことがあるから理解しているんだ。
確かに私は人間だけど、この電脳世界ではただの無力なナビに等しい。

「BGくん……誰か……」

かといって、あの人の名前を呼ぶには。
小さく彼の名前を口にする。
怖いと思ったことはない。
でも気軽に口にしちゃいけないっていうのはなんとなくわかっている。
BGくんは咎めるように首を横に振った、光博士も苦々しい顔をした、博士の息子さんは困った顔をした。
知らなかったもの。
私にとっては、迷子だった私にとっては、ヒーローみたいに、神様みたいに見えたんだもの。

「……よく迷子になる小娘だと思ってはいたが、ここまでどうやって入ってきたんだ」

「え……」

「いや、迷い込んだんじゃないな?誰にやられた?」

多分ね、いつものような私だったらこう言うよ。
好きだから会いに来たの!って。
でも今はそうじゃないかな。

「お、おにいちゃあん……!」

前から表情は変わることは少ない彼が、少しだけ私の声に眉根を寄せた。

2024年10月7日