「心臓止まるかと思いました……」
「……悪かった」
めちゃくちゃ心臓バクバクしているよ、口から飛び出たらどうしてくれるんだ。
いつものように鬼ヶ島へ絵を描きに来ている日だった。
けれどなんか百獣海賊団の人たちはどこか浮き足立っていて、私と顔見知りになったキングの部下は私を部屋に案内しながら「来てくれてキング様も嬉しいと思いますよ!」と言っていたけどなんのことかさっぱりだ。
昼間はキングと話をしたりしなかったり、ゆっくり過ごしながら絵を描いて、夕飯をいただいたらお風呂を借りてさっさと宛てがわれた部屋で眠っていた……はずだったんだけど。
ワノ国本土より冷える鬼ヶ島、十二月に入ったばかりの今夜はいつもより寒くって。
膠を溶かすのに使っているお湯を空の瓶に注ぎ、しっかり蓋をして温度調整のために手拭いで覆ってから 布団の足下に入れた。
ずっと火鉢で火をそのままにするのは怖いもん、ちょっとした湯たんぽみたいなものだよ。
だから、火が爆ぜるような音はしないはずだった。
部屋の外からはなにか賑やかな声がするなと思いながら目を閉じて、しっかり眠れてはいたはずだった。
ぱちぱちと、小さくなにかが爆ぜるような音。
それに、頬を滑る温かいなにか。
あれ、私ちゃんと火の始末はしたよね?と、沈んでいたはずの意識が浮上して目を開ける。
なんということでしょう、遅い時間には自分の部屋へ戻っているはずのキングがこちらを見下ろしていました。
人間て本当にびっくりすると声もなにも出せなくなるもんなんだ、二回目の人生で初めて知ったわ。
さすがに悪いと思ったのか、キングの謝罪を聞きながらゆっくり体を起こして傍に置いていた羽織に袖を通す。
ふと、鼻腔を覚えのあるものが擽った。
……酒?
あと薄暗い部屋でいつもより視界が鮮明ではないけれど、もしかして今素手で私に触れたのだろうか。
「こんな夜更けにどうしたんですか?」
「ああ……誘いに来たんだ」
「……宴のような場は苦手なので遠慮させていただきたいです」
「あっちは終わった、ほとんどが泥酔している」
それで大丈夫か海賊って。
この人も飲んでいるんだろうけど、いつもの趣味の悪そうなごついマスクは変わらないしな、というかもしかしてマスクしたまま飲み食いしてるの?えっどうやって?
だめだ眠っていたから変な方向に変なことを考えちゃう。
暗い部屋で、黒で頭の先から爪先まで覆った、自分より四倍近くもでっかい人がどんな顔してんのか全くわからない。
でも、意外と私の前に差し出された大きな手は丁寧で。
「夜の散歩に興味はねェか?」
そこに心惹かれるようなお誘いときたら、この人でも酔うのかなって感じたんだ。
冷えるからと使っていた掛け布団で私を包んだキングは軽々と私を抱き上げると音を極力立てないように部屋を出る。
なんてこった、なんちゃらニアファミリーやりかちゃん人形の次はめるちゃんやぽぽちゃんの気分になるなんて。
知りたくなかった……バブみって言うんだっけ……?
やめろ赤ちゃんだったのは何年前だと思ってんだもう三十に突入したいい女だぞ。
城を出て、その次はドクロを模したようなドームから外へキングは足を進めていく。
確かにすれ違う人なんていないし、見間違いじゃなければなんか酔い潰れている人があちこちいた。
なんだっけ……おじ様が年に一度鬼ヶ島へ行く日のお祭り、それではなさそうだけど。
外に出れば思っていたよりも冷えた空気が肌に触れる。
さむ……そりゃここ雪降るもん、寒いわ。
ところで散歩ってどこ行くん?
聞こうと思って口を開いたけどすぐ閉じた。
だって、なんかこの人でっかい翼をばさばさしているんだもの。
「……キング様」
「どうした」
「散歩というのは、足で歩くものではありませんでした?」
「空中散歩に足は使わなくてもいいだろ」
うっそじゃん。
しかもあのプテラノドンにはならないんだ。
思わず手を伸ばしてキングのジャケットを掴む。
まるでそれが合図かのようにキングは大きく翼を動かして、それで空を切った。
反射的に目をぎゅっと閉じたけど、体に衝撃が思ったよりも襲ってこないことが不思議で目を開く。
……あれ、そんなに速くない。
プテラノドンの時は戦闘機に無理矢理乗せられているような感じだったのに。
「わ……」
飛んでる、浮いてる。
でも怖くない。
下を見過ぎたら目眩がしそうだけどさ。
なるほど空中散歩。
大きくばさりと羽ばたきが聞こえる度に高度が上がっていく。
「……この前これで運んで欲しかったです」
そう言いながら顔を上げればキングはふいっと顔を逸らした。
わざとかお前。
真夜中だから黒くしか見えないけれど、鬼ヶ島の港やところどころには篝火があるからほんの少しだけ明るく見える。
こうして見ると意外と広いんだなあ、鬼ヶ島って。
なんならこのワノ国が広いのか。
知らなかったものを知るのはいくつになっても楽しい機会に思えるもので、港にある船はどれが私が乗ってきたものなのか、他にある船はどこに行くのか、全体的に鬼ヶ島はどんな色なのか聞けばキングはすらすらと答えてくれた。
それにしても突然の散歩のお誘いはなんだったんだろうか、楽しいからいいけど。
夜空を見上げれば、分厚い雲の隙間から月が覗いているのが見える。
キングは私の視線を追うように空を仰ぐと、大きな翼を広げてあのドクロのドームの上へ向かった。
「城の中からでも行けるがこっちの方が邪魔は入らねェからな」
「邪魔……?」
「……独り言だ、聞き流せ」
あっはい。
ドームの上、城の中からでも来られるってことはここは屋上みたいなもんかな。
でも思ったよりゴツゴツしているここは屋上っていうか山の上。
キングはそこに下りると、近場の岩に腰を下ろす。
私?そのまま掛け布団に包まれたままでキングの膝の上に座ってますよ。
寒くねェか、とキングは指先に火を灯してそれを私に近づけた。
いやほんとびっくり人間っているんだな……火が出せる人間発火器……
不思議、だってキングにとっては当たり前なもので、それが凶器になったりそうじゃなかったりする。
人の扱いによって変わるっていうのかな、凶器として向けられていないから自惚れていいのだろうか。
そういう風に選ぶ相手だって。
「そういえばなんで急に散歩だったんですか?」
「……特に深い意味はない」
うっそだー、いつもしないじゃん。
しても外に行きたいって駄々捏ねた私に渋々ついて来てくれるか、部下にそのまま任せるかだもの。
キングの指先にある火に手を翳しながらキングを見上げれば、キングは言葉とは裏腹に少しだけ、月明かりで照らされた目が少しだけ、弓形に細められているように見えた。
「自分の誕生日の夜に、お前と過ごすのも悪くないと思っただけだ」
「……たんじょうび?」
「ああ」
「どなたの……?」
「おれだ」
「キング様の……?」
なんでもっと早く言わないの?
えっ、せめて言ってくれたら少しは……少しは花の都から来る時になにかお土産持ってきたのに。
きょとん、と目を丸くしてしまう。
指先の火を消したキングがそっと私の頬に手を伸ばし、それから指の背で撫でる。
……ンなさ、マスクで見えなくてもわかるんですけど、絶対満足そうに笑ってんでしょ。
私のそういう顔見れたからって。
最近わかるようになってきたんだから、ちょっとこの人意地悪すんの好きね?ってさ。
「何もご用意できませんけど……」
「言ってなかったしな」
「……なにか欲しいもの、ありますか?」
「……いくら箱入りでもそれを海賊に言うのはやめておけ」
そうですよねえ!
言って「あっ間違えたわ」って思ったもん。
あー……恥ずかしい……
少し熱くなる頬を自分の少しひんやりした手で包んでいると、キングは指先を私に向けた。
「だが、言うことはあるだろう?」
……そうですね。
「お誕生日、おめでとうございますキング様」
「ああ、ありがとう」
そんなさ、言葉ひとつでご機嫌になるくらい素直な人だったんですね?
普段からそうは思えませんわ。
しばらくキングの膝の上に座ったまま、ふたり揃って明るい月を見上げていた。
さわさわ、さわさわ。
こそばゆい感覚に思わず顔が緩んでしまうのを堪える。
寝る時間だっていうのに女が起きているのは知っていた。
ちらちらとおれの様子を窺っているのも、なにかを気にしているのも。
なにがきっかけかは知らないが、ゴソゴソと動き始めた女がおれの髪に触れる。
髪だけじゃなく、そのまま顔へ小さな柔らかい手を滑らせて、額へ、目元へ、鼻先へ、唇へ。
珍しい、積極的だ。
ここで起きたら女がしようとしていることを無駄にしちまうだろうか。
もう少しだけ、そのままでいると女がおれの髪に頬を寄せるように身を預けた。
「……アルベル、お誕生日おめでとう」
とても小さなか細い声だった。
眠気もあるのだろうが、耳を澄ませなければ空間に溶けてしまいそうな声。
小さな手がおれの頭を何度か往復すると、ぱたりとそれは止まる。
少し遅れて女から穏やかな寝息が聞こえ、そこで女の体を支えながら身を起こした。
なんて体勢で寝落ちるのか。
それだけ気を許していると思えば気分はいいが。
でも、そうか、もうそんな日か。
時計に目をやれば日付は変わっていて、女が気にしていたのはそれだと気づく。
女の体を横たえてやり、満足そうに見える寝顔にそっと指を滑らせた。
思えば、こうして頬に触れる時、手袋を外したのもこの日だったな。
女は気づいているのかいないのか、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたのをよく覚えている。
まだ上手く猫を被ってはいたが、夜が明けて不機嫌そうな表情を隠さない女が「自分よりめちゃくちゃでっかい人が無言で見下ろしていたら怖くないですか」と口調こそは姫様のまま口にしていた。
すやすやと夢の中にいる女を潰さないように抱えておれも改めてベッドへ俯せになる。
──欲しいもの、ありますか?
去年のこいつの言葉がふと過ぎる。
もうもらった。
それはそれとして、なにか形が欲しいと言えばこいつは惜しみなくくれるのだろうか。
それとも、もうあげてるじゃん、なんて呆れたように言うのだろうか。
面と向かって祝われたわけじゃねェな、と起きたらせがんでみるかと我ながら意地悪いことを考えながら目を閉じた。
色の見えない女の子
なんちゃって転生者。
目が覚めたら六メートル越えが見下ろしていたので割とリアルにひゅっと息を飲んで目を真ん丸くした。
ワノ国を出てからもちゃんとキングの誕生日は覚えている。
なにか欲しいと言われたらできる限り用意しようとは思っている、相変わらず強か。
キング
鬼ヶ島でカイドウが自分の誕生日に大きな宴を開くけれど、女の子はいなかったのでちょっと残念だなと思っていたりいなかったり。
寝顔だけでも、と思ったら起きた。
夜の散歩、とウキウキしていたかもしれない。
欲しいもの?海賊は欲しいと思ったモンは奪うんでな。
ワノ国を出る時にひとりだけ奪っていったから。