詐欺師とすれ違い

思えば今までこの曖昧な関係が崩れなかったことの方が奇跡だったんだ。
私は刑事、彼は詐欺師。
心地よいと思った関係ができることなら長く続いてほしいと思っていた。
ほんの些細なことでガラガラと音を立てていつ崩れてもおかしくなかったのに。
事の発端は私が今回担当した詐欺事件。
オオサカ・ディビジョンでも多数の被害届が出されているし、近隣のディビジョンでも未遂とはいえ被害が発生している。
久しぶりに大きな詐欺事件、しばらく缶詰状態が続くのかななんて少し肩を落とした。
本格的に捜査本部が設置される前にいつでも署に泊まれるよう、大き目の鞄に着替えや旅行用の日用品を詰め、少し多めに飼い猫たちの餌を準備しておく。
合間に飼い猫の様子を見に来ることには慣れているし、この事件を片付けたら自動給餌機や給水機でも奮発して買おうかな。
事件内容が内容なので、天谷奴さんには大まかに連絡しかしなかった。
いつもより大きな案件を扱っているからしばらく飲みに行けない、それだけ。
トークアプリに既読はついたけど、返信はなかった。
まあいつものことだから気にしない。

「……なんか久しぶりに堪えたわ」

「名字さんもそういうとこあったんですか」

「なんだと思ってるんだ私のこと」

「パンプスお化け」

「ピッチングマシーンマイクバージョン」

「人間ですらないのは酷い」

もうみんな疲れてますね。
かれこれ五日間、署で寝ていない人間はいない。
時系列にしたら昨日だ、天谷奴さんから電話があった。
私が担当している案件に関わる情報をやろうかと。
今思えば変な意地張らないで割り切ればよかったんだ。
このオオサカ署で天谷奴さんの素性を知っている人間はいないけど、この捜査二課の人間は勘づいている。
でも天谷奴さんからの情報に手助けされていたのも事実だから、私と彼のことは目を瞑ってくれていて。
いつものようにそこで「うん、欲しい」と言えばよかったんだ。
寝不足や疲労が相まって、刑事としてのプライドなんかも表に出ていて、まあその、彼とちょっとした言い合いになってしまった。
部下や上司はどっちも悪くないと言ってくれたけれど。

「俺ら警察だからあの人みたいな人間の協力には抵抗もある、やけど警察だから解決するために協力がありがたいこともある。お前は間違ってへんよ、今までもこれからも」

「……うん」

同僚が私にエナジードリンクを手渡して言う。
──頼らない、詐欺師に頼る刑事なんて刑事じゃない。私たちで解決するから、それはいらない
いくらなんでも言い方ってもんがあるのにな。
言い訳を並べたって意味がないことも知っている。
そうかよ、と苛立たし気に電話を切った天谷奴さんはどう思っただろうか。
心のどこかで冷静に、あ、これもう終わったかも、なんて思った自分に腹が立つ。
エナジードリンクのプルタブを開け、そのまま一気に飲み干した。
舌の上で弾ける炭酸と妙な甘みに顔をしかめ、部下が調べてきた資料に目を落とす。
と、デスクに置いてある仕事用のスマートフォンが震えた。
短い時間のバイブレーション、メールか何かかな。
何か手がかりでもあったのだろうか。
一枚資料を捲ってスマートフォンを手に取る。

「知らないメアド……」

その一通のメールが、今までの私たちの捜査を生かしてくれるとは、思わなかった。

♢ ♢ ♢

悪いことをしたな、とは思った。
間も悪い。
最初はからかいついでに行き詰っているらしい捜査に手を貸してやろうとした。
だが、それは寝不足と疲労で刑事としてのプライドが前面に出ていたあいつには、傷口に塩を塗るようなモンだったらしい。
……あんなにきっぱりいらねえって言われるのは案外堪えるねェ。
言われても何も感じないでいられるはずだったのに。
ままならないな、全部が全部うまくいくもんじゃねえって頭ではわかっちゃいるのによ。

「今日はおひとりなんですね」

「ん?あー……忙しいんだと」

「もう十日程お見かけしてませんなあ」

捨てアドであいつのスマートフォンに送ったモンは、確認されただろうか。
捜査二課に必要な決め手、それから一言添えて送ったモン。
受け取らざるを得ない状況にすりゃ使うとは思ってんだがな、あれから五日経っているが……使わなかったか?
咥えていた煙草を灰皿に押しつけ、ウイスキーの注がれているグラスを煽る。
左手首の時計に目を向ければ、とっくにあいつは退勤している時間は過ぎていた。
……あいつの家に寄ってから帰るか。
うまいこと休憩の時間に飼い猫たちの世話をしに帰っているだろうが、今日はまだ帰ってきていないだろ。
飼い猫たちも飼い主である名前が帰ってこなくて寂しいのか、やけに俺に引っ付いてくる頻度も増えた。

「マスター、会計を……」

コートを手に取り、立ち上がっていえば少々乱暴にバーのドアが開いた。
呼び鈴が荒く鳴る音に思わず視線を向ければ──名前の姿が。
如何にも「激務終わりです」という風体にマスターがあらあらと声をかける。

「いらっしゃい」

「……こんばんは」

「注文はどうしましょう」

「いつもの、あとおつまみ系適当に、お腹空いた」

かつかつと迷うことなく俺の席まで歩いてきた名前は、一度深呼吸すると俺を真っ直ぐ見つめた。
それから丁寧に深々と頭を下げ──は?
九十度の綺麗なお辞儀、目の前の女から言葉はないが俺もマスターも思わず目を丸くする。

「意地張ってごめんなさい。天谷奴さんからのあのメールで末端の末端まで逮捕できました。ありがとうございます」

「……まさか、今日までやけに時間がかかったのは」

「規模の大きいグループだったからネズミ一匹たりとも逃がしてやるもんかと、何も知らないで加担していたところまでしょっ引いてさっきまで取り調べしてた」

主犯格のやつらには少々手荒に捕まえて取り調べしたけど、と少しやつれた顔で言う。
いやいや、確かにあれにはそれなりの情報はあったがそこまで捕まえられるモンじゃなかったぞ。
ってことはだ。
そこからさらにこいつら捜査二課が追い詰めていったのか?
末端の末端まで、おそらく詐欺と知らないで副業感覚で加担したようなやつまで特定したんだろう。

「解決したんならよかったな」

「うん、おかげさまで」

「いや、そこまで追い詰めてとどめ刺したのはお前ら捜査二課だろ。俺の協力はいらねぇ世話だったかもな」

「そんなことないよ、行き詰っていたのは確かだもん」

だから、ありがとう。
疲労の残る顔ではにかむ名前に少し罪悪感を覚える。
俺も、悪かったなと言えば静かに首を横に振った。

「はい、いつものとおつまみ。賄いで出すものもあるけど仕事終わりの名字さんにサービスや」

「いただきます」

酒とつまみが来れば、名前は手を合わせてからつまみに手を伸ばした。
先に煙草を吸わないことから大分疲れて腹が減っているのが伝わってくる。
帰ろうとしてはいたが、コートを椅子に掛け直して腰を下ろした。
それから煙草を口にして、さっきと同じウイスキーのロックを注文する。

「あれ、帰るんじゃないかと思ったんだけど」

「この後お前の家に寄る予定だったからな、一緒に行けばいいだろ」

「猫たち元気?」

「俺に引っ付く」

「めっずらし……」

「だよな」

グラスを手に取って笑う名前。
いつの間にか、顔を合わせない間にできてしまった重苦しい空気は消えていた。

2023年7月25日