何がきっかけかなんて覚えていない。
ただ、向こうに遊びのように追いかけられてこっちは命懸けで逃げる、命大事に、こんなのが頻繁にあるなんて願い下げだ。
家に帰れば後から波のように襲う恐怖で涙が止まらない。
毛布にくるまって、もしかしたらいつか家にまで来るかもしれないなんて思いながらポロポロと黒い珠が零れていくのをただただ見つめる。
通いたかった学校が遠いからと、実家を出てひとり暮らしを始めてよかったと何度も思ったし、同時に寂しいし不安で怖いとも思った。
優しい優しい両親に危害を加えられることは今のところない。
けれどひとりでこんな気持ちを抱えるのは嫌だ。
なんで私がこんな目に、いや解り切ってる、この個性だから。
物陰に隠れて息を潜めるようにしてその人が来ないことを祈る。
泣くな泣くな、今泣いたら真珠が落ちる音でバレるから、泣くのは家に帰ってからだ。
よりによって警官もヒーローも近くで敵が暴れてるからそっちに行ってしまってこっちには来てくれそうもない。
何回も通報したけど数回は気のせいじゃないかって言われた、でも私の個性のことを知ってる警官は何回でも通報してって言ってくれた。
だから、頼ったけど、まるでこう……狙ったかのような敵とか……偶然……だよね?
カツン、足音に体から血の気が引くのを感じる。
今私が逃げ込んだのは埠頭の倉庫街にある倉庫のひとつ。
わざとらしく黒い珠をひとつふたつ落としたのに、なんで私が逃げ込んだ先が分かるのだろうか。
怖い怖い怖い怖い!!
ひゅっ、と悲鳴を上げそうになる口を、喉を押さえつけた。
近づいてくる音に心臓がうるさくなる。
声を出すな、泣くな、動くな。
そんなの今じゃなくたってできる、今はただ、じっとして、気配を消して。
…………行った?
足音が聞こえなくなって、妙な静寂が辺りを包む。
ちょっと期待をして、物陰から体を覗かせた。
覗かせなければよかった。
「鬼ごっこの次はかくれんぼかぁ?」
思わず肩に掛けていた、ジャージの入ってる袋を声のした方向に投げつけた。
それから転がるように物陰から出て倉庫の出口へ走り出す。
全く気づかなかった!
なんなのほんとなんで私がこんな目に遭うの!?
ヒステリックにもなりたいわ!!
後ろは振り返らない、そんなちょっとの時間ももったいない。
出口が見えて、せめて外に出れば──そう思ってた。
鈍い音を立てて、その出口の前に壁が出来た。
「はァっ!?」
なにこれ、なんで!?
思わず叩いても、それはしっかりとした金属の壁でびくともしない。
まさか個性?
無理でしょ、私なんにもできないじゃん!
コツコツと近づいてくる足音に、他の出口を探そうとまた足を動かす。
が、その前に今度はその方向に壁が下から伸びた。
いや、その方向だけじゃなくて、私を追い込むように、逃げてきた方向以外の三方向に壁が出来て、逃げられない。
ブレザーのポケットに入れていたスマートフォンを取り出して、今日だけでも何回もかけた番号にかける。
「ヒーローも警察も向こうの騒ぎに出払ってるからこっちまでは来ねぇ、タイミングよく焚き付けることができなきゃお前は袋の鼠になってねえよ」
呼び出し音が長く続く。
お願いだから出て、助けて。
手が、足が、体が震える。
「殺すつもりはねえさ、貴重な資金源だからな」
ポロポロと黒い珠が零れていく。
「あーあーあー……もったいねえ」
私の目の前にまで迫ったその人が私の頬を口を覆いながら掴み、重なっている鉄の間から覗く目を細める。
頬を伝う雫は手袋に吸い込まれることなく黒い珠になって落ちた。