伊武隼人とネイルの話

数日前、友だちの嬢によって彩られた指先をしげしげと見つめる。
なんて言うんだっけこの緑……薄緑……にしてはちょっと明るいか、淡萌黄……でもないな。
マスターに爪やってもらった、爪やってても仕事していい?と聞いたついでにこれ何色?と聞けば苔色じゃないかと答えてもらった。
苔色……苔ってあれだよね、苔。
それから黒、綺麗に苔色か黒一色で塗られた爪もあれば重ねて塗りかけのようにされていたり、ネイルパーツと言うんだったっけ、シルバーメッキのものがつけられていたり、菱形のパーツが三つ並んでいたり……
誰かをイメージしたとか言ってたけど誰なのかさっぱりだ。
開店の準備をしながらマスターに誰だと思う?と聞けば、マスターは私の爪をじっと見て「あー……」と声を漏らす。

「逆に聞くけど名前はわからないのかい?」

「うん、友だちは赤とか青とか華やかなのに、私には落ち着いた色にしてたのはなんなのかよくわかんない」

そもそもネイルとかしたことないしね。
綺麗だとは思う、でもそれをしようとは思ったことがなかった。
だって、無縁だったから。
人を殴ってそれを武器に生きてる時点で華やかなものに惹かれることはほとんどなかったんだ。
拳を握った時に爪が長いと手のひらに刺さるし、爪が欠けたり最悪剥がれたりなんてこともあるし。
マスターに雇われてからは一応飲食業だから爪切りでなるべく短めに切っている。
友だちからは「せめて爪やすりにしなさい!今度買ってあげるから!」と凄い剣幕で言われた。
さすがキャバ嬢、ナンバーワンはプロ意識が違う。
マスターは私が言ったら意味ないだろう、と言って店の外に出てドアにかけたプレートをひっくり返してOPENにした。
このバーはこじんまりとしたひっそり佇む店だ。
決してお客は多くない、けれどマスターのバーテンの腕は確かだし、酒の知識はもちろん、たまに常連さんにはシガーのメニューも提供しているから意外と人気だったりする。
マスター、話術も優れているしね、マスターと会話したい常連さん多いんだよ。
店にはマスターが立って、私はキッチンでたまに注文されるつまみの用意やアイスペールにロックアイスを入れてマスターに渡したり、お客の帰ったテーブルを片付けたりと意外と忙しない。
開店して二時間程立った頃、カランカランとドアベルが鳴り、マスターがキッチンで洗い物をしている私に声をかけた。

「なに?」

「伊武さんが来たよ」

そこで何故私に声かける?
手についていた泡を流し、手を拭いて顔を出せば伊武さんと阿蒜くんが来ていた。

「よォ」

「名前さん、チッス!」

「どーも、取り立て?」

「言い方!!集金っスよ!」

だって他に思い当たることないし……
というかいつもマスターさァ、伊武さん来たら親戚が遊びに来たみたいに私を呼んでない?気のせい?
伊武さんと阿蒜くんがカウンター席に腰かけたのを見て、マスターがふたりの前にお冷を置く。
名前も座って休憩しなさい、と言ってくれたので遠慮なくカウンター席に腰かけて煙草を取り出した。
ちょうど今はお客いないし、いいよね。
一本パッケージから取り出して咥え、それから愛用のジッポで火をつける。
すると、ジッポを置いた手を伊武さんが取った。
まじまじと指先を彩る色に目を細め、それから機嫌が良さそうに目を細める。

「珍しいモンしてんだなぁ」

「友だちがしてくれたから。爪の上に膜がある感じがして違和感しかないから落としてほしいって言ったけど、何のイメージかわかったら落とすってさ」

伊武さんと阿蒜くんはわかる?と聞けば伊武さんはなんとも言えない顔をし、阿蒜くんはそれって……と言葉を発しようとした瞬間伊武さんに「すぐ答えを出すやつは羨ましくねえなぁ」とどつかれた。
マスターは苦笑しながら伊武さんに分厚い封筒を渡し、それから私の前にもお冷を置く。

「……マスター、こいつアレか?」

「残念ながらアレですね」

アレってなんだよ失礼だな。
伊武さんにどつかれて椅子から転げ落ちた阿蒜くんが腹を抱えながら呻いていた。

「名前さん……それはねえッス……不憫ッス……」

「何が?」

私だけ話に置いていかれてるのはなんで?
というか不憫って何が?
よくわかんねえなー、なんて思いながら吸う度に短くなる煙草の先を眺める。
知ってる?この間も伊武さん私の手を持ったままなんだけど。
なんなら反対も持ってネイルを眺めて質感を確かめるかのように指で弄ぶんだけど。

「変?」

「いや?思ったよりもいいなと思ってな」

「へー……」

「赤とか青とか、華やか過ぎねえ色より似合ってるよ」

……まあ、確かに華やかな色はあまり好んでないし。
でもそうやってご機嫌に褒められて嫌な気はしないな。
マスターから守り代を受け取ったものの、私の指先をご機嫌に弄る伊武さんは次に来店を告げるドアベルが鳴るまで店にいた。