男の名前は知らなくても困らなくてもそうは言ってられなくなった

「は?え?来んの?マジで?……いや、うーん……今いろいろあって同棲している人がいんだけど……うん、ほら、私仕事こっちだから別荘使ってんじゃん、まだ親父には紹介してなかったんだけどさ……誑かしたとか言うな、だったら間違いなく親父譲りだろうが」

珍しく女が困った様子で電話をしていた。
パソコンで仕事をしながら聞き耳を立てるが、どうやら電話の相手は父親らしい。

「はァ!?二時間後にフェリー!?マジかよ……あーわかったわかった、わかりました。布団はあるからこっちで寝れるよ、大丈夫……はいはい、到着待ってるから……は?焼酎?買っとくよ。じゃあ到着前に連絡して、車で行くから。うん、じゃあね。……あンのクソ親父……!!」

スマートフォンをベッドに叩きつけ、女は大きく息を吐いた。
それから慌てたように財布と叩きつけたスマートフォンをスウェットのポケットに突っ込み、ローテーブルに置いてある車の鍵を手にする。
は、どっか行くのか?待った俺も行く!
急いでパソコンをシャットダウンし、スマートフォンと財布、煙草とライターを手にした。
もう夜だってのにどこ行くんだよ。
部屋の電気を全部消して女について行けば、サンダルを履きながら留守番してればいいのにと呟く。
揃いのサイズ違いのサンダルを履けば、女は家の鍵を閉めた。

「誰と電話してたんだよ」

「父親。二時間後のフェリーに乗って明日の朝にこっち来るってさ」

「へえ、親父さんが……えっ、明日!?」

それはまずいやつじゃ……
女が運転席に乗り込み、俺はその隣の助手席に乗る。
シートベルトを閉めれば女は車のキーを回し、駐車場から車を走らせた。
窓を開けると片手でハンドルを持ちながら器用に煙草を咥えて火をつける。
はー、煙草吸って運転してんの横から見んのいいなー。

「親父が来るからあんたのことを同棲してるやつがいるって話した。嘘はつけないからね。でもほら、絶対お前が何やってる人間なのかって聞かれるだろ」

「確かに……」

「親父も母さんも駆け落ち同然だったから私に強くは言えないだろうが、お前の身元がはっきりしなかったらいろいろ疑われて嫌な思いすんのはお前じゃん。あと酒がない。寝るまでに酒大量に買ってお前のことを辻褄合うように話しよう」

イケメンか?
は?惚れた、惚れてたわ。
煙を窓の外に吐きながら、それでも女は真面目な顔をしていた。

「まあ、最悪は……」

「最悪は……?」

「酔い潰す、私の方が酒は強い」

俺の旦那がかっこいい……!
しばらく車を走らせ、向かっていたのは空港に比較的近いスーパーだった。
女曰く、酒買うならここがいいんだと。
吸っていた煙草を備え付けの吸殻入れに押し付けると女は車を降りる。
続いて降りれば女はほら、と俺に手を出した。
迷うことなくそれに手を重ねれば女は俺の手をしっかりと握って歩き出す。
店に入り、俺の手を引いた女は真っ先に酒のところへ向かった。
女が迷いなく手にするのは焼酎の一升瓶だ。
それを三本手にすると近くのカゴに入れてそのまま腕から提げる。

「なんか欲しいモンあれば入れていいよ」

「重くねえの?」

「このくらいなら余裕」

一升瓶三本ですけど?
そこに女は私これ飲もーなんて言いながら下ろしたカゴに何本か缶チューハイをぶっ込んでいった。
……俺もいくつかいれよ……
自然と手にするのは組織にいた頃に飲んでいた、自分の名前と同じ酒。
そういや、まだ女に名前言ってねえな。
ずっと過ごしていて、名前なくても困ったことがない。
どこの誰でも気にしない、そんなモンなくても何も困らない、女の態度は正にそれで。
でもなあ、さすがにこいつの親父さんが来るなら名前ねえと不便だよなあ。

「それにするの?」

少し目を離した隙にカゴには大量の酒とつまみな入っていた。
どんだけ飲むんだよ……いや、親父さんの分もあると思うけど。

「あー……名前」

「名前?」

「俺の、グレースとは別の名前の由来がこれだったから」

「ふーん……洒落てっけど名前付けた人間は馬鹿だね」

突然のディスかよ……
女は俺の持っていた酒のラベルを見て、それを手にして置いていたカゴに入れる。
すげーな、組織の人間に合わせたら攻撃ならぬ口撃めちゃくちゃ出るんじゃねえかな。
それはそれで見たい。
特にジンのメンタルをボコボコにしてほしい。

「だって、あんたを見捨てたんでしょ。見る目ねーじゃん」

は?好きなんだが?
えっ、めっちゃ好き。

「まあその馬鹿さ加減であんたがここにいてくれるから、馬鹿でありがとうって感じかな。そのまま馬鹿で間抜けで腑抜けでいろって思う」

どうしよう、工藤新一に惚気のメール送ってもいい?

「めっちゃ好き……」

「ありがとう、私も好きだよ」

よし送ろう。

 

スーパーで大量に酒を買い込んで家に帰ってきた。
まあいつかは父さん来るんだろうなって思ってはいた、けどフェリーに乗る二時間前に連絡してくると誰が思うか、迅速な報連相をしろクソ親父。
男と順番に風呂に入り、それからローテーブルで向かい合って親父対策の話を詰めていく。
最悪、伝家の宝刀「てめーも駆け落ち同然だったくせに何言ってんだこの野郎」を抜く覚悟。
別に父さんが嫌いって訳じゃない、でもやんちゃしていた時のきっかけはあのクソ親父っちゃクソ親父。
多感な時期に何言ってんだクソが、ってところかな。
……なんか思い出したらイラッとしてきた、絶対明日酔い潰してやろ。

「名前は気にしてなかったわ、名前知らんでも問題ねえし」

「だよなぁ……さすがに親父さんに名前知りませんはやべーだろ」

「それはさすがにやべーわ」

グレースでもいいけど、今はグレースじゃないしね。
……いや一周まわってグレースでもいいんじゃねえの?
父さんがグレースって名前が女の名前ってわかんなさそう。
そう言えばさすがにザルだろと言われた、ですよねー。
咥えていた煙草の灰を灰皿に落とし、置いていた缶チューハイを手にする。
これは今日の分だからセーフ。
明日は元々休み、問題は明後日。
私仕事だもん、こいつと父さんふたりで大丈夫か?
父さんのことだから酒飲んだ次の日は夕方に水上バイク乗り回すんだろうけど。
車で迎えに来いって言わなかったから多分水上バイクは持参だ。
凝ってるからなー父さん。
俺も吸う、と煙草に手を伸ばす男に煙草を渡し、ライターで火をつけてやる。

「つーか、前の名前何?」

「ピンガって名乗ってた」

「カシャッサとかカシャーサじゃないんだ」

「ピンガの方がらしいだろ」

有名なペンギンの妹ペンギンかな。
だめだ、一度思い浮かべると変な鳴き声のペンギンが頭から離れなくなっちゃう。
妹ペンギンが編み込んだコーンロウの頭でワーワー鳴いてる姿しか浮かばん、やめろ笑っちゃうだろ。
珍しく酔いが回んの早いな、と思いながら煙草を口にした。
目の前で噎せる男にこいつ慣れないのに吸うんだよなー、ちょっと馬鹿だなー、可愛いなーと思いつつフィルター越しに煙を吸う。

「じゃあグレースの名前を男っぽくすれば?フランスの名前でやれば特に問題ないでしょ」

どんな発音になるかは知らん、丸投げ。
噎せて涙目になっていた男はそれなら、と口の中でいくつかの音を紡いだ。
日本人じゃないのは知ってるけど、こいつ英語はもちろん日本語綺麗に発するよな。
私は英語で精一杯、パシフィック・ブイでは英語喋れればなんとかなったし。
男の近くにあったグラスに手を伸ばし、男が飲んでいた酒を飲んでみる。
辛いなこれ、ロックで飲んでいるけどそこそこ度数高そうだ、なんだっけ、何か追加すればカクテルになるんだっけ。
つーか酒弱いのによく飲めるな、べろべろになっても知らないぞ。
うんうん頭を悩ませる男を横目にグラスの中身を全部煽った。

「あ!俺飲んでんのに飲むなよ!」

「辛口あんまり好きじゃない」

「飲み干しといて何言ってんだ!」

私からグラスを取り返して男がそのグラスに追加で酒を注ぐ。
マジでべろべろになっても知らんぞ、少し前の醜態忘れたとは言わせない。
部屋の時計に目をやればそろそろ日付も変わりそうだ。
咥えていた煙草を灰皿に押し付けてから男のグラス以外の片付けを始め、台所で空き缶を濯いで潰す。
あー、父さんの寝るところどうすっかな。
さすがにせっかく来たのに居間で布団ってのもな。
かといって男と寝室で寝るのはお互い気を遣うだろうし。
ローテーブルを拭きに戻れば、案の定というかなんというか、一気に酒を飲み干したのかローテーブルに男が突っ伏していた。
ほら見ろ言わんこっちゃない、ゆっくり飲めばいいのに。
ほらテーブル拭くからどいて。
畳にごろっと横になったのを見てローテーブルを手早く拭いてから布巾を台所に戻す。
換気扇は朝までつけていてもいいか、煙草の匂いも煙もそこそこ凄い、それに寝る前にもう一本吸いたい。
寝るならベッド行きなと男に声をかけ、男の近くに腰を下ろして煙草を口にして火をつけた。
のそのそと動いた男が胡座をかいている私の太ももの上に頭を乗せる。
灰落ちても怒るなよ。

「意外といい枕」

「落とすぞ」

海に潜ることが多いから脂肪はつかないようにしているけど、女の方が脂肪がつきやすいんだから仕方ないだろうが。
それ思えばよくグレースっていう女を演じていたなと思うわ。
誰がどう見ても女だったもん。
なんならめちゃくちゃ綺麗で可愛かった、男性スタッフからアピールされていたしね。
コーンロウにしていた髪はもうする気がないのかなんなのか、意外と長い髪は緩くウェーブがかかっていて柔らかい。
私はいくらパーマしてもすぐ取れたし、ブリーチしたことあったけど飽きてやめたしな。
男の刈り上げていた部分を撫でてみる。
伸びてきているからしょりしょりってよりはふわふわ……?

「くすぐってえ」

「やめる?」

「もっと」

器用に私の腰に腕を回して腹に顔を埋める姿を見てはいはい、と言いながら男の髪に指を通す。
胡座じゃ居心地悪いだろうと思って両足を伸ばした。
男の髪を纏めているヘアゴムを解いてテーブルに置く。
私と同じくらい髪長いんじゃない?
コーンロウって編んでいるから短く見えるけど解くと長いんだよね。
解いた姿ばかり見ていたからこっちの方が男っぽいっちゃ男っぽい。
男の髪を手慰みにしつつ、煙草を吸い終えて短くなったそれを灰皿に押し付けると男が体を起こして私にのしかかってきて、そのままひっくり返った。
重いんだが。
構って欲しい大型犬かよ。

「……思ったよりちっせえな」

「てめーのその髪引っこ抜いてやろうか?」

人の胸を枕にしておいて贅沢なこと言ってんじゃねえ。
そのまま私に腕を回して胸に顔を埋めながらこっちを見上げる姿は、こいつ自分の顔の良さわかってやってんなーと思う。

「寝るならベッド行きなよ」

「やだ、一緒に寝る」

「だからベッド……」

「ここでいい」

「明日体痛くなんじゃん」

いくら畳でも直に寝ると後悔すんだぞ。
男はそのまま寝入る気満々のようで、私の言葉を聞こえてないフリをして私の胸に顔を埋めるようにして目を閉じた。
マジかよ。
軽く小突いても意地でも起きねえし、そんなに腕で締め付けんな蛇かお前は。
早々に引き剥がすのを諦めてなんとかテーブルの上にある電気のリモコンに手を伸ばす。
とりあえず消しとこ。
暗くなった室内で聞こえてくるのは台所の換気扇が動く音、それから男の寝息。
こいつ、最初は私が寝なきゃ寝なかったくせに、警戒心はどこへ行ったのか。
申し訳程度に近くにあった座布団を二つに折って頭の下に入れた。
もういい、私も寝るわ。
念の為寝る前にスマートフォンを確認すれば、父さんから無事にフェリーに乗った旨の連絡が入っている。
水上バイク持ってきているんなら多分車だしな、朝起きたら私の水上バイクの場所を少しずらして置くか。
あ、こいつが結局なんて名乗るのか聞いてなかった、明日聞こう。
もうなるようにしかならんし、なるようにする。
充電ケーブルは遠くてスマートフォンの充電はできなさそうだな、と思いながらスマートフォンを枕元に置いた。
目を閉じる前にもう一度男の髪に指を通す。
柔らかい髪、羨ましい。
自毛金髪なのかな、グラデーション綺麗だけど。
くあ、とあくびをひとつして男を抱えるように腕を回して目を閉じた。
明日は結構忙しいだろうし騒がしいんだろうな、と半ば呆れながら。


元サポートスタッフの女の子
父親襲来決定で穏やかじゃない。
急いでお酒を大量に買い込みに行った。
男の名前が知らないと困ったことなかったのに今困った、まあなんとかするだろ、こいつが、の気持ち。
いざとなったら親父を酔い潰す所存。
父親に男を紹介する時は「嫁」って言う。
もしも、組織にいたらジンニキにめちゃくちゃ反発しているだろうしゴーイングマイウェイ、キャンティとは息合うかも。
今後組織に会ったら容赦なく口撃が放たれる。

ピンガ
旦那の親父さん襲来決定でちょっとやばいんじゃね?と慌てている。
何回も女の子に惚れ直す、めっちゃ好き、ちょっと聞け工藤新一!とメール送った、文章だけなのに重くなってコナンくんはスペースコナンになっているはず。
名前どうすっかなあ、ってとりあえずは決めた、まだ女の子には言っていない。
もしも女の子が組織の人間だったら真っ向からジンニキとぶつかっているので後ろでペンラ持って応援しているかもしれない。
女の子よりお酒弱いので女の子のペースに乗るとすぐ潰れて寝る。
お胸は柔らかいけど小さかった、素面なら殴られてた。

江戸川コナン
ピンガからのメールでなんだ!?って身構えたけど十割惚気で宇宙を背負った。

2023年8月5日