「あれ、なあに?」
俺の外套の裾を掴みながら子どもがそう言う。
ついさっき泣いている子どもを拾ったばかりだ。
いつもならそのまま放置か適当に消去するが……なぜか、そんな気が起こらなかった。
どう見ても、ナビやウイルスの類ではない。
──人間か、しかもまだまだ幼い、ただの小娘。
どうして裏にいるのか、そもそも人間が電脳世界になぜいるのか。
また人間のくだらない実験かなにかだろうか。
俺の歩く速さにやや駆け足で必死について来る。
一度止まれば、小娘は俺の足にぶつかった。
子どもが指差す方向は、おそらく事切れて時間の経ったナビのなれの果てだ。
興味津々とばかりにそれを見る子どもの視線を遮るように外套で覆う。
「見るものじゃない」
「あ」
ついでに柔い体に腕を回して抱き上げた。
帰すだけだ。
どうせこの先二度と会うことはない、放っておく気も消す気も起きなかった。
気まぐれだ、随分と昔に捨てたはずのお節介だ。
子どもを脇に抱えながらしばらく歩いていると、体勢が不服なのか子どもが居心地悪そうに動く。
ずっと動かれるのも鬱陶しい、小さな体を抱え直してやれば掴まる場所を求めて俺の首に腕を回した。
動かれるのは鬱陶しいと言ったが引っ付かれるのも鬱陶しい。
何か言ってやろうと子どもに視線を向けたが、子どもは安心したような顔で俺を見ている。
何も知らないような、そんな目で。
「……」
「……」
お互い口を開くことなく無言の時間が過ぎる。
勘違いするな、気まぐれだ、今回だけだ、二度目はない。
それが伝わっているのかいないのか、子どもはそれでも俺にしがみついたままだった。
妙なものは見るなよ、と子どもに声をかけて歩を進める。
どこからこんなところへ迷い込んだのか。
まだ深層ではないだけ無事であることを自覚した方がいい。
そう、まだ深層ではない。
でなければナビの残骸などいるわけがない。
強者だけが生き残れる、それが裏インターネット。
だから足を踏み入れた者が弱ければすぐ消えていく。
力試しだと豪語して、気軽に一歩でもここへ足を踏み入れたものが死んでいく。
……ナビに死なんて言葉は合わないか。
いくつか心当たりのある表への出口に辿り着き、子どもを自分にしては丁寧に下ろした。
「そこを進めば表に戻れる、二度とここへは来るな」
「……おにいさんは?」
「いいからさっさと行け」
一緒に行こうと言わんばかりに俺の外套を掴む子どもの手を振り払い、表へ歩き出せるようにその小さな背を押す。
恐る恐る歩き出した子どもを確認し、俺もこんな表層ではなく奥へ戻ろうと身を翻した。
「おにいさん!ありがとう!」
そんな、舌っ足らずの声を背に受けながら。
もう会うことはない、今日のこの出来事は偶然だ、俺の気まぐれだ。
きっと、小さな手を振っているのだろう。
裏で生きる俺に、それは不要だ。
……と、この時は思っていた。
不定期に裏へ迷い込む子どもが俺に懐いたのを見て、呆れつつも、次第に絆されるなんて、この俺が。
何が起こるかなんてわかったもんじゃない。