これが日常だなんて嫌だよね

痛かった。
泣きたいわけじゃない、痛くて自然と涙が出てくる。
口の中が不味い。
鉄の味、血の味。
世界が狭い。
そりゃあ、床に這いつくばっているんだもの、視界が狭いからそう感じるんだろう。
自分がしっかりと握っていたはずの鞘に納めたままの刀が目の前に転がっていた。
のろのろと顔を上げて、視線を上げる。
その人は、酷くつまらなさそうな顔をして私を見下ろしていた。
わざとらしく溜め息を吐くと、手に持っていた木刀を私に放ると背を向ける。
そんな顔されても、困る。
この船に乗って5日、初めて真剣を手に取って5日、察してほしい。

「何度も同じことを言わせんな。真っ直ぐ過ぎる」

なら何度も同じことを思わせないでほしい、アンタと経験値を同じにすんな。
赤く、を通り越して青くなってそうな横っ腹を抑えて咳き込む。
食事前でよかった、吐くのは嫌だ。
なっちゃいねェだの宝の持ち腐れだの言われながらこれが稽古とか、武士とか侍は自分を痛めつけるのが好きな人間たちなんだろうか。
そもそも宝の持ち腐れとか、ただ運動神経がちょっといいだけなのに。
あれだあれ、クラスに1人いる運動に出来る子並。
それを真剣で殺し合いするような人と同じ括りにしないでほしい、全然違うもん。

「……明日は少しマシなところを見せろよ」

アンタがマシじゃねえんだよ。
口を動かすと痛いので、その背中にとりあえず目で訴えておいた。
動くのは痛いけれど、私に、と渡された刀を取り、ゆっくりと体を起こす。
懐から煙管を取り出して吹かしているのを見るに暫く船内に戻らないだろう。
木刀も拾い、一応頭を下げてから私は船内に足を向けた。


部屋まで戻って、そのまま横になってしまいたいのを耐えて腰を下ろした。
いつの間にか私専用になっていた救急箱を開けて、稽古の時に着ている道着を肌く。
胸のサラシは解かなくて大丈夫かな、顔や腹くらいしか思い切りやられてないし。
案の定、腹には青痣が複数できていた。
ここ5日の分もあるとはいえ、大分女の子がつくるようなものではないんじゃないかな、今更だけど。
身体中の痛み故、もたもたと顔と腹に湿布を貼って唇の横に小さい絆創膏を貼る。
それから道着を脱いで、寝間着に着替え、そこでやっと一息つけた。
布団を敷くのは億劫だ、掛け布団だけあればいい。
どうせあの人は勝手に布団敷いて勝手に寝るだろうし。
あの人と同じ部屋なのも解せない、一応私は年頃の女の子なんですけど。

「あの無駄に整った顔いつかベコベコにしてやる……」

誰も聞いていないだろうから遠慮なく悪態をついて掛け布団だけを取って横になった。
……ご飯、今日はいっか。
明日、明日の朝に早めに食べに行こう。
この船に同い年くらいの人なんていないからか、それとも別に理由でもあるのか、この船にいる人たちは私に甘い。
ちょっと狡いとは思うけど、炊事の人に無理言って早めにご飯食べて、それから……それからはあの人がいないところでゆっくり景色を眺めよう。
ああでも、また稽古があるのか、それは嫌だなあ。

「……田舎帰りたいな」

なんで私はここにいるんだろう。
畳の匂いにほっと息を吐いて丸くなる。
上物の布団はあったかいし、とてもふかふかしていて気持ちがいい。
けれど私の疑問はそんなものじゃなくならなくて。
なんで、あの人に──高杉晋助さんに稽古をつけてもらっているんだろうか。
稽古やだなあ、なんて不登校児みたいなことを思いながら、襖が開く音を聞きながら目を閉じた。