思ったより雁字搦め

自分だけが取り残されて話が進む、事態が悪化する。
もっと早く言えばよかった、遠回りして帰ろうって。
もっと早く気づけばよかった、嫌な感じがするって。
なんだろう、怖いのか。
手が足が震える、歯がガチガチと音がなる。
怖い、怖い。
けれど、他にもうひとつの感情を、私は確かに抱いている。
──悔しいって。

「その嬢ちゃん置いてってくれりゃお前に危害は加えない……つもりだったが無理だな。お前のことだ、嬢ちゃん置いてってくんねェだろうし」

「ったりめーよ。年頃の娘をいかついおっさんに渡すわけねェだろ」

「じゃあ力ずくだな。お前にその可哀想な娘を守りながら戦えるかねェ?」

離れるなよ、と坂田さんが木刀を抜いた瞬間、男は勢いよく剣を坂田さんに振り下ろした。
離れるどころか、足が地面に縫い付けられたように動かない。
目の前で命のやり取りが始まっている。
ズキズキと背中が痛む。
嫌だ、怖い、痛い。
刃を身に受けるとどのくらい痛いのか知っているんだ。
体が覚えているんだ。
逃げなきゃ、でも坂田さんを置いていくなんて、できない。

「ぐあっ!」

男に押し負けて体勢を崩した坂田さんが吹っ飛ばされるのを見てハッと我にかえる。
私のいる方向とは全く別の方向へ吹っ飛ばされ、路地に置いてある木箱やゴミ箱に突っ込んだ。
男は鼻で笑うと、こっちを振り向いて剣を持ったまま私に近づいてくる。
動け動け。
逃げるでもなんでもいい、動け。
怖くて怖くて動かないままじゃ、何も変わらないじゃない。
足は動かなかった、けど。
手は動いた。
布に包まれたままの刀に手を伸ばして、こんなに素早く動いたことないのに、まるで体が覚えているかのように、何も考えないままその刀の柄を布越しに掴んで男に向かって思い切り奮う。

「っとォ!」

「……!」

「なんだよ嬢ちゃん。チャンバラごっこに付き合ってやろうか?」

動いた、動けた!
奮った刀は男の剣に遮られたけど、動ける!
なんでか知らないけど、体は動いた。
動いたからって逃げられない、坂田さんを置いて行くなんて嫌だ。
敵わなくていい、何かの時間稼ぎになれば──それで。
もう一度、と大きく刀を振りかぶった。


「──短調なのが玉に瑕なんだよ」

何度か剣を交えた後だった。
きっと剣と刀のぶつかる音と衝撃がするんだろう。
そう思っていたのに、その言葉の直後にお腹に酷く重い衝撃がして、次の瞬間に何かに突っ込んだ。
固いもの、なんだろうこれ。

「名前!」

坂田さんの声が遠くに聞こえる。
お腹が痛い、吐きそう、苦しい、頭も体も全部痛い。
チカチカする視界で何があったのか把握しようと自分を見て、あの男を見る。
男の足は何かを蹴った後のような格好で、自分は木片と血が散らばる地面に転がっていて。
蹴られた、あの男に蹴られた。
力が抜けて体を起こせない。
ぬるりと額から頬を、頬から顎を温いものが伝っていく。
怪我、ケガしたんだ。

「あの男の娘だから筋はいいんだろうけど突っ込むだけじゃ変わらねえよ、って言われたことねェ?……あ、今は覚えてないか」

男の言葉は流れていくだけでちゃんと頭に入ってこない。
痛い痛い、苦しい。
無意識にお腹を押さえて丸まる体勢になってしまう。
けれど、耐えないと、堪えないと。
堪えて起きなきゃ、起きなきゃいけない。
胃の中身が迫り上げる感覚。
無理矢理押し込めて、丸くなってしまう体勢を起きるための体勢に変えて。
力の入らない腕にめいっぱい力に入れて、起きろ。

「……嬢ちゃんよォ、俺が育ててやろうか」

「はァ!?」

何言ってんだこの野郎。
体勢を立て直した坂田さんが声を上げた。
ほんと何言ってんだこのおっさん。
腕を突っ張って上体を起こす頃には男は私の前にしゃがみ、顔を上げた私の顎を乱暴に掴む。

「俺はさァ、10年も昔の戦争で出会ったとある男と好敵手になったの。地球人と天人、戦争なかったら親友になれたと思うね。そんな男と戦ってんのに横槍入れた挙句流れ弾で死なせたクソガキが憎くて憎くて仕方ねェ……嬢ちゃんを俺が育ててそのクソガキと当てちまえばさ、俺の鬱憤は晴れるわけよ」

……なんかイラッとした。
すっっごくイラッとした。
なんだそれ、私それ凄く嫌いなやつだ。
どいつもこいつも私を見ないの、凄く嫌なの。
あの人なんか特にそう。
私を見てるくせに誰を見てんの?
いない人間見てどうしたいの?
みえる人にでもなったつもり?
不愉快、超不愉快、このうえなく不愉快極まりないんですけど。


思い切り手を跳ね除けた。
動けないのが嘘みたい。
男はきょとんとした顔で、坂田さんも唖然としている。
ねえわからない?
私怒ってんだけど。

「私に、誰を重ねてるか全く知らないし、これっぽっちもどうでもいいはずなのに、ただただ不愉快だから、消えてくんない?」

「……師匠の方に似たのかね」

「知るか」

地面に座り込んだ状態のまま、男の顔面に拳を叩き込んだ。
叩き込むって言ったって、そんなに威力ないし私の手が痛んだくらいだけど。
それでしゃがんでいた体勢が崩れた男の後ろから、坂田さんが木刀を体目掛けて薙ぐように奮った。
ほとんど無抵抗の形になっていた男が建物の壁に衝突する。
壁割れてない?え?
うわあ、と他人事のように思っていたら坂田さんによって勢いよく担ぎ上げられた。
うっ、肩がお腹圧迫して苦しい……!

「逃げっからな!戦略的撤退だからな!」

坂田さんの手には私の刀、木刀はもう腰のベルトに納まっている。
あの男が怯んでるのをいいことに、坂田さんは私を担いだまま走り出した。
流れていく風景。
落ちないように反射的に坂田さんにしがみついて、ふと顔を上げると男が立ち上がってこっちを見ているのに気づく。
目がぱちりと合うと、男は愉快そうに口角を上げた。

「──」

「え……?」

何か言っていたけれど、路地を曲がる瞬間のことで、わからなかった。