さよならにはまだ猶予がある

「なあ名前さん、零がどこにおんのか知らんか?」

暁進高校で定期的に行っているオオサカ署の犯罪に遭わないためには講座の片づけを終え、同僚や後輩と署へ撤収する直前に盧笙くんに声をかけられた。
話題に同僚と後輩は「俺らがほかすから行ってき」「帰りしなにコーヒー奢ってくださいね」と言い残して先にパトカーへ向かう。
まあ、ふたりがいいならいいか。

「それ私も聞きたかった。連絡もないし、てっきりバトル近いからかなって思ってたんだけど」

「名前さんのところにも顔出しておらんのか……」

「見つけたら連絡しようか?」

「……不思議なんやけど、名前さん随分冷静やな、零がおらんってのに」

なんかジト目で盧笙くんが私を見る。
おっとォ?なんか地雷でも踏んだ?サイレント地雷にはさすがに対応できないよ?
正直似たようなことは数回あった。
慣れた、と言ったら目の前の盧笙くんがキレ散らかしそうな予感がしたので黙っておく。
友人以上の自覚はあるけど、その前に詐欺師と刑事だよ?
私は職業柄ある程度の一線を引いておかないといけない。

「またふらっと会えるかなって思ってはいるけど……だってほら、ブロパの時に一瞬しか会えなかったけどあの人猫っぽいところあるじゃん」

「……そういうことにしときますわ。俺も零見つけたら名前さんのところ引き摺ってでも連れてきたるからな」

はて、もしかしてどついたれ本舗の三人に何かあったんだろうか。
じゃあまたね、と盧笙くんと別れて同僚と後輩の待つパトカーへ向かった。
まあそんな盧笙くんとのやり取りがあったのが数日前。
相変わらずパンプスのままあちこち走り回り、署長とは「いっそのことその芸風極めればええんちゃう?ひっかけ橋から川のクルーズ船に飛び乗るなんてどうや?」「それはもうアクション俳優なんですよ」なんてくだらない話をし、マイク破損の始末書明日提出だな、なんて思いながら帰宅したら家の電気はついているし鍵も開いていた。

「一回簓くん通報しとく?どう?」

「あかんですぅ!!今回は俺やのうて盧笙なんや!」

「零が鍵持っとるからって上がり込もうっちゅう提案と実行したのはお前やろ」

「盧笙の裏切り者!」

そう、何故かどついたれ本舗全員集合だ。
ちょっと面白いのは三人とも床で正座してるところ、かつ、ひとりだけ気まずそうにしているんだよね。
それにぎゃあぎゃあ賑やかなふたりに圧倒されているのか、うちの猫たちはキャットタワーの中に入って出てくる様子がない。

「まあ名前さんも帰ってきたから俺らの役目はおしまいやな」

「役目?」

「零が逃げんようにせんとって思っとってん。な、盧笙」

「賑やかにしてすんませんでした。簓、帰るで」

その気まずそうにしているひとりを置いて帰るのは一体どんな心境なの?
確かに盧笙くんは引き摺ってでも連れてくるとは言っていたけども。
嵐みたいだったな、と思いつつふたりを見送り、玄関ドアにしっかりと鍵をかけておいた。
簓くんと盧笙くんが帰ったからか、キャットタワーからロクとゼロが出てきて大きく伸びをする。
ロクに至ってはまるで「あいつらがいじめた!」と訴えるように私の足下でにゃあにゃあと鳴き始めた。
はいはい、と宥めながら抱き上げ、ゴロゴロと喉を鳴らすロクを撫でる。
ゼロは……天谷奴さんを下からなんかガラ悪く見上げていた。

「……」

「……」

「……ビールとコーヒー、どっちがいい?」

「あー……コーヒー」

「じゃあソファーに座って待ってて」

相変わらずゴロゴロ鳴らしながら私に顔を擦りつけるロクを抱えたまま、私はキッチンへ足を向ける。
別にこう、私からしばらく連絡も取れずにいなくなっていた天谷奴さんに言う事はない。
決して冷たいわけではなく、何度も言うが一線を引くことが大事だと思っているからだ。
……ま、まあ、越えた日もあるけれど。
でも、それって大事なことじゃない?
強がっているわけでもない、冷たいわけでもない、割り切る、が正しいかも。
お湯を沸かしてマグカップにインスタントコーヒーのバッグを用意する。
時間的に私は夕飯も食べたい。
ソファーに腰かけてぶみぶみ鳴いているゼロに詰められている天谷奴さんにお腹は空いているか聞けば、彼も空腹ではあったらしいので昨日作って冷蔵庫に入れていたカレーを温めることにした。
この間にロクを下ろそうとしたけどブラウスに爪を立てて意地でも離れようとしない。
あ、ちょ、いたたたたたたた!
めっちゃ今日離れないじゃんこの子。
……あ、もしかしてあれか、天谷奴さんのこと忘れてるパターン?
ビビってんな君。
仕方ないので普段着用をさぼっているエプロンをつけて中にロクを入れた。
大丈夫、うまいことウエストの紐がロクを支えているから。
ゼロはゼロで「誰だお前」か「しばらく顔見せなかったじゃんか」みたいに凄んでいるのか……
ほら天谷奴さんも自覚あるのかなんかいたたまれない顔してるぅ。
とりあえず両手も空いてコーヒーもカレーも準備できたのでダイニングテーブルまで運ぶ。

「はいお待たせ」

「悪ィな」

天谷奴さんがダイニングテーブルについてもそれにゼロはついてきてすっごい文句言ってるんだけど。
ロクはロクでエプロンの中で文句言ってる……そんなパパが長い単身赴任から帰ってきた子どもみたいなリアクションしなくても……
とりあえず食べよう、お腹空いているし。
お互いにいただきます、とそれぞれ口にする。
うーん、やっぱり一晩経ったカレーは美味しい。

「……なあ名前」

福神漬けくらい買ってくればよかったかな、なんて思っていると天谷奴さんがおそるおそるといったように口を開いた。
はて、そんな天谷奴さんが慎重になるようなことあっただろうか。

「簓と盧笙には話したんだが、お前にも話した方がいいと思ってんだ」

「え、別に無理に話さなくてよくない?」

「は……」

「その様子だと天谷奴さんが他人に触れられるのが苦手な部分の話じゃない?簓くんと盧笙くんはチームメイトだから話す必要とかもあったかもだけど……私に話して、いいの?それ」

これでもいろんな人間相手に取り調べやってきているから大方の内容はわかるよ。
内容というか、どんな性質の話なのか。
天谷奴さんがそれを私に話してどうするんだろう、確かに共有したい、力になれることがあればなりたい、とは思う。
けれど、簓くんや盧笙くんと私は違う、だって……皆まで言わなくてもわかるでしょ。
そう、私なりのプライドだ。
それでも話すなら聞くよ、聞くだけしかできないけど。

「……」

「興味がないわけじゃない、知りたいとは思う。でも私が天谷奴さんにしてあげられることはない」

「珍しく弱気じゃねえか」

「弱気っていうか、ささやかな意地っていうの?私はいい、今が少しでも続いてくれるなら、それでいい」

「……」

「その話を聞いても聞かなくても、簓くんと盧笙くんみたいにどついたれ本舗にはなれないもの」

ぴょこ、とエプロンから顔を出したロクの白い頭を撫でる。
前に心の準備をしていなかったのを反省している、だからか今回盧笙くんに声をかけられるまでは気にしないようにしていた。
友人以上ではあるけれど恋人ではない。
それに、女だからとかそういうことはあまり言いたくないけど、多分そうなんでろうなってことは察している。

「いいよ、話さなくて」

「名前」

「その代わり、今まで通りに接してくれれば私は十分。それが難しくても、別に恨み言は言わないよ」

「……」

「それじゃだめ?」

「……だめ、って普通言われるんじゃねえの?」

「私たちの関係って普通だったっけ?」

意地悪するわけじゃないけれど、苦い顔をした天谷奴さんを見て少しだけ頬が緩む。
ああ、最高に性悪女になってんじゃんかよ私。
しょうがないじゃん。
天谷奴さんが言わなくても、あのイケブクロの三兄弟の親かなって察していたし、マイクの件に関しても明言はされなくても私がマイク壊したってわかったら署長よりも怒っていたし、わかるよそれくらい、何年警察に身を置いていると思ってんの。
ちょとだけ、私のこと考えてそんな顔をしてくれるのが嬉しいと思うくらいには、普通じゃない。

「あ、ひとつだけ」

「?」

「終わる時は、さよならを伝えなくていいからね」

そのくらいは聞いてくれる?
本当は終わりがなければいいけど、その気持ちくらいは察して黙っていてくれないかな。
私の言葉に天谷奴さんは視線を落とすと、そんな日なんて来ないだろ、と私を真っ直ぐ見た。
ああ、私、本当に笑えていたかな。

2024年10月19日