あの子はとても不憫な思いをしてきたと思う。
引き取ったのはあの子が小学生の頃だ。
当時、割りと早い段階であの子が色を認識できないとわかってはいた。
どんな色なのか教えたものだ。
ただ色の名前を言っただけじゃ想像できないから、できるだけ詳しく。
教養も悲しいことにあるとは言えないおれだったが、あの子のためならと勉強したのはいい思い出。
そんなある日、あの子が泣き腫らして学校から帰って来た日があった。
図工かなんかの授業で同級生や教師に心ない言葉を言われて、あの子は傷ついた。
後にも先にも、酷く泣き腫らしていたのはその時だけ。
何もしていないのに、ただ見えないだけなのに、なんで。
その色が見えないのは生まれつきだ。
あの子の両親だって、あの子自身だって何か悪いことをしたわけではない。
そういうものだ。
医者にだって見せた。
生まれつき、色を感知する器官が少ないだけで、そういうものだと。
ただでさえ大人しいあの子はしばらく外に出なかった。
友人もいたらしいが、あの時に一緒に笑っているのを見たからあんな子たちは友達なんかじゃないと、透明な灰色の目を冷たくして呟いていた。
あの子が学校に行かなかったのはどのくらいだろうか。
小学校は終ぞ通うことはなく、保健室に顔を出すことはなく、卒業式すら出ず、ただ家でおれの部下である福ロクジュが家庭教師のように勉学を教え、色が見えなくとも絵に興味はあるのか鉛筆を手にひたすら絵を描いている小学校時代。
中学生になれば、先のことを考え保健室登校の形ではあるが通い、それでも友人はつくらず、ひとりで過ごして定時制の高校へ通うことを決めた。
もちろん、中学も、その先の高校も卒業式は出ない。
何が転機だったか、おれが貿易会社を立ち上げ、事業も軌道に乗った時にあの子はカメラを手にしたのだったか。
頑張っているお父さんを撮りたい。
そう言ってカメラを手にして、おれや福ロクジュ、部下たちの写真を撮るようになってから外へ出るようになった。
自分のことのように、嬉しかった。
自分とおれと福ロクジュと、他に数名の部下としか関わらないあの子が外へ出たことが。
いつの間にか、フリーのカメラマンとして生計を立てられるくらいまで成長して、本当に嬉しかった。
「なのになんでキングの野郎に目を付けられちまったかなァー!!」
「泣くか飲むかはっきりしろよ……」
「キングが娘を蔑ろにしてんなら有無を言わさず連れ戻すのによォォォォなんだよ溺愛じゃねェかちくしょう!!」
飲まないでやってられるか!!
そう、娘は何故かキングの気を惹いた。
あの時顔を合わせるのは初めてだったはず、まあ、相手がな……極道だからな……少しでも気になったら探るのかもしれぬが。
……認めたくはねェが、キングと出会ってからあの子はいい方向に変わったとも思う。
表情が豊かな子ではなかったが、少し、少しだけ豊かになったと思うのだ。
何より、幸せに見える。
「別にいいんだ……あの子がああやって笑ってんなら」
世界を狭くしていたあの子が、広い世界を知れたなら。
おれがいなくても笑ってんなら。
ああなんだろうな、前もこんなことを思っていたような気がする。
前は、何もかもに気づくのが遅かったってのに、今回は遅くなくてよかったと、思えるんだ。
カイドウが酒を煽り、そりゃよかったなと口にした。
「キングがお前の娘をどんだけ好いてるかなんて本人から惚気られんだから知ってんよ。無意識なんだろうが隙あらば惚気けるあいつに付き合ってみろ……!砂糖吐くぞ」
「お、おう……」
「何が悲しくて右腕の惚気を聞かなきゃならねェんだ!知ってるってんだ!!嬢ちゃんが可愛いだのなんだの!お前から嫌というほど聞かされてるからなァ!!」
そんなブチ切れんでも……
まあおれ以外からあの子が可愛いと言ってもらえるのはおれも鼻が高いからな!
確かにあの百獣組の大看板が惚気けるという図はどうかと思うが、その嫁がおれの娘ならそうだろうそうだろうと頷きたい。
まあまあ、とカイドウの持つ盃に酒を注げばそれをカイドウはあっという間に飲み干した。
「ああ、あとそうだ」
「なんだ」
「……クイーンがよ、小紫に取り次いでほしいんだと」
「さすがに懇意にしているキャバ嬢、しかも娘の親友に取り次ぐほどおれは優しくねェぞ」
「だよなァ」
聞けば娘にも取り次ぐように頼み込んだらしいが娘には丁寧に断られ、キングにバレて蹴り上げられたのだとか。
そりゃそうだ。
小紫……日和も、おれにとっちゃ大事な娘の大事な親友だ。
そこに男女の情はない、ただ、そうだな……初めて会って、日和ならあの子と仲良くしてくれるのだろうなと直感しただけで。
おれの思うよりとても仲良しなふたりだ、とても、とても安心する。
「それを本人がおれに言わねェでお前伝手に言うのはどうなんだよ」
「それを言うなよ!!困ってんだよ!まともな大看板はジャックしかいねェねか!!」
片や嫁の惚気話をする大看板、片やケツ持ちをしているキャバクラのナンバーワンに取り次いでほしい大看板。
……苦労してんな、こいつも。
少しだけ同情する。
厳つい見た目とは裏腹に、なんだかんだ繊細なカイドウの肩を慰めるように叩いた。
「あれ……もしかして黒炭?」
女と夕飯の買い出しをしていると、そう声をかけられた。
あれが食べたい、味付けこれがいい、デザートもほしい、と幼い子どものようにおれの腕に抱きついて注文をする姿に微笑ましく思っていたってのに。
女と振り向けば、そこにいたのは普通の男だ。
歳は女と同い年くらいだろうか。
おれだよ、小学校の時に同級生だった……と男が言っても女はピンと来ていないらしい。
そういや、こいつのガキの頃の話は聞いたことなかったな。
知りたいわけじゃねェ、おれたちにそんな昔の話は必要ないからお互いしなかっただけだ。
小声で知り合いか?と聞いても全く覚えがないと女は表情を変えない。
だろうな、知っている人間ならこいつも挨拶くらいはするだろう。
「まあ、覚えてないよな……あの、ずっと、お前に謝りたくて」
「……お前何かされたのか?」
「まっっっったく覚えがない、誰かも知らない」
男の言葉に女は躊躇いなく素直に答える。
おい、ぐさっと男に見えない言葉の刃が思い切り刺さったのはわかったぞ。
覚えのないことで謝られても気味が悪い。
続いた女の言葉に男はスーパーの中だというのにそのまま項垂れた。
容赦ねェな、本当に。
まさか仮にも子どもの頃の知り合いだと言う人間にここまで容赦のない言葉を突きつけるとは誰が思うのか。
例え覚えがなくてもそこまで素直には言わねェぞ。
興味もないようだ、もう男のことは見ていない。
わかる、こいつ顔いいからそんな女に直球で言われたら余計にダメージがでけェ。
少しだけ同情した。
女は陳列棚のお手軽に作れるプリンを手にしてそれをカゴに入れ、覚えてないってことは思い出したくないってことでしょ嫌なことだから、それをわざわざ思い出させて自分が楽になるためだけに謝るってただの独りよがりじゃんキショい、とさらに追い討ちをかける。
すげーな、オーバーキルだ。
ここまで華麗な言葉でのオーバーキルは見たことねェ。
……少し、男が可哀想だな。
たとえ、自業自得でも。
男は顔を上げ、それからおれと女を見比べてもしかしてご結婚なされた……?と口にする。
女はうん、と当たり前のように返すも視線は相変わらず陳列棚。
その女の素っ気ない当たり前の答えに男は涙目だ。
意地でも泣かないところはうちのクイーンに見習わせてェな。
きっとあれだな、ガキの頃に好きだった女子に何か意地悪して嫌われたやつだ。
しかも女は全く覚えていない、そりゃ泣きたくもなる。
それでも男はぐっと堪えると、女をまっすぐ見つめた。
「……わかった、でも、おれ、お前にしたこと謝っても許されないと思っているから。ごめん、本当にごめん。……旦那さんと仲良くな」
そう言って男は女に深々と頭を下げ、それから去って行く。
ふと、女を見るとなんとも言えない顔をしておれの手を握っていた。
名前を呼んでみれば、のろのろと顔を上げる。
「……ずるいと思う?知らないフリして、謝罪受け入れないの」
なんだ、覚えていたのか。
思えばそうじゃなきゃ相手を傷つけるような言葉は吐かないか。
本当に覚えてないのならそこまで言わねェもんな。
ずるくねェ、お前らしいよ。
前だってそうだったじゃねェか。
ふたりでワノ国を出た後に、ほんの一週間何があったのか吐き出したのを憶えている。
当時の光月日和の言葉を全て突っぱねた。
それに納得しなかったから。
こいつは悪く言えば根に持つ。
理不尽に晒された人生だったから、余計にな。
それでも、おれはそこが好ましいと思った。
おれは女がどうあれ、それは変わることない。
「……前も言ったがな」
「……」
「溜め込んだもんがあるなら、吐き出すなら聞いてやるよ」
「うん……」
「ほら、今日はカレーにすんだろ。辛さは?」
「甘口がいい」
全然構わないんだがな、そんなファンシーなパッケージのカレールーはやめねえか……
なんとかの王子様カレーを手に食べてみたい、と珍しくキラキラした目で言われたからおれが折れた。
思ったよりも薄い味のそれに味見の時点でおれは顔を顰めたし、思っていたものと違ったのか女も複雑そうな顔をしたとだけ言っておく。
……クッソ甘い……
急いで普通のカレールーを足した。
これはな、ガキの頃に食べると美味いが大人になると……こう……舌が肥えてるから合う合わないが極端なんだよ……
子ども向けでも大人にウケるものもあるが、これは……おれも女も舌が肥えている方だから……
今度から普通の甘口にしような……
ちなみに混ぜるだけでできるプリンはお気に召したようだった。
そしてその日の夜、早めに風呂を済ませてふたり広いベッドで横になって少しすれば女がぽつぽつと言葉を零し始める。
「そりゃ子どもの時の話だからね、根に持つ方が心狭いって言われるかもだけど子どもだったから根に持つんじゃん。子どもの方が心ない言葉を吐くんだよ。ええ、ええ、めちゃくちゃ傷つきましたとも。泣きましたとも。お父さんが学校に抗議しに行くのをもっとやれとか思いながら見送って引きこもってましたとも。担任や同級生が校長や親に連れられて謝りに来た時も出ませんでしたとも。お父さんだって門前払いしてた。引きずるんだよね、高校だってさすがに通わないと人間としてダメになると思って定時制に行ったくらいには引きずった。そこでも友達はいなかったけどね、少なかったしみんな訳ありみたいなもんだから。でも、子どもの時から、いや、前から保護者には恵まれているから、悠々自適に過ごせたし……うん、まあ、めちゃクソ根に持つ女だけど、なんだかんだ楽しくはあったかな」
なんか懐かしいな……本当に変わらなくて何よりだ。
今日のように、他にもああやって謝りたいって言われたら?と聞けば女は唇を尖らせた。
「勝手に言ってればいいよ、自己満足してれば?って感じ。私はあっそう、って思うし許す気なんてさらさらねェもん。お互いごめんなさいなんて、そんな理不尽なこと大人になって、ううん、子どもでも受け入れない。だって私、何もしてない。いつもそうじゃん、私何もしてないのに私が悪いなんてあるわけないし、こっちは傷ついたのにごめんなさいの一言で誰かを許せるほど聖人じゃないしなりたくもない」
ヒートアップしてきた女の背をあやす様に撫でる。
こいつはベッドに入ればほとんどすぐ寝るしな、こうしてりゃ寝るだろ。
あくまでこいつは吐き出したいだけ、おれは聞いているだけ。
慰められたいとか、共感してほしいとか、そういう人間じゃねェからな。
うんうんと聞いて背を撫でていれば、女はうとうとと勢いをなくしてきた。
それに合わせて部屋の電気を落とす。
完全に暗いと怖がるからサイドボードのライトはつけたまま。
もうそこまで子どもじゃないと言っていたが、先日暗がりでべそべそしていたのは覚えているからな。
吐き出してすっきりしたのか、少しだけ表情が穏やかになっていた。
「なんて言うか……お前いつも苦労するな」
思わずそう零せば、女はふふ、と笑う。
小さな手を伸ばしておれの顔に触れ、そっと撫でた。
「でもほら、前はアルベルに会えたし、今もアルベルに会えたから、別にいいかな」
それはそれで、報われた気がするから。
……おれのことをずるいだなんだ言う時はあるが、お前もずるいだろ。
熱を持った顔を隠すように女に腕を回して抱きしめる。
惚れた方の負けとは言うが、先に惚れたおれの負けか。
そういうところは敵わない、敵う気がしない。
ああでも、そこが、本当に愛おしいのだけど。
元黒炭の女の子
なんちゃって転生者。
トラウマって程じゃないけど精神が肉体に釣られてめちゃくちゃ泣いた日もあった。
頭ではこのクソガキ今に見てろよとか思っていたけどほら、肉体は小学生だったからね。
カレー食べたい、甘いの、なんとか様のカレー食べてみたい。
ちょっと甘過ぎて後悔した……別に甘党って訳じゃない、気になっただけ。
キング
嫁の吐き出した鬱憤をうんうん聞いてあげるいい旦那さん。
多分、これで嫁が覚えていて同級生に相応の対応していたら止めていたかもしれないし、嫁が泣きそうな顔してたら多分手が出ていた、多分。
さすがに一方的に言葉で刺される嫁の同級生可哀想だなとちょーっとだけ同情した。
惚れた方の負け、先に惚れたのはどっちだったか。
黒炭オロチ
娘がどんな思いをして幼少を過ごしてきて成長したのか知っているし見守っていたから嫁にやる時は誰よりも荒ぶった人。
でも、幸せならいいんだ。
娘が小学校時代はまだ社長ではなかったけれど、パパらしく対応していた、キレていたけど。
カイドウ
なんでおれは大看板の惚気やらキャバ嬢に取り次いでくれやらを聞かなきゃならねーんだよ!!
不憫。
女の子の同級生
色の見えないことを笑ったことがあった。
そうじゃなくても好き故にちょっかいも出していたし、女の子が学校に来なくなってからは後悔した。
見事に女の子の言葉の刃にぶっ刺された人。