もしも呪いの世界と交わっていたら⑥

風の噂であの名前さんが五条悟を吊るし上げたと聞いた。
予想はしていたけれどまさか現代最強の特級呪術師を吊るし上げるなんて誰が思うのか。
私も思わなかった。
ということは彼女は五条悟の無下限を無効にできる術式を持っていることになる、五条悟が無下限を解いていたとしてもできる能力がある。
呪具や術式で無下限を無効にできなくはないがどちらも希少なものだ。
なんという僥倖。
……ただなあ……名前さんっていうのがなあ……こちらに引き込めるわけがない。
所持している呪霊で洗脳する?いやいやそれが効くとは思えない、絶対効かない、むしろ呪霊がビビって出てこないし呪霊操術で配下にある呪霊でも手のひら返して彼女の言うことを聞く気しかしない。
灰谷兄弟を人質に言うことを聞かせるか?
もっとない、彼女に無下限を無効にできる術式があるのなら従弟である灰谷兄弟が似たような術式を持ってないとは限らない、加えてあの身のこなしは正直手に余る。
詰んだ……何しても詰んだ……
名前さんにはただの絵師として過ごしてもらおう……そうしよう……
ちょくちょく彼女の個展に足を運んで話をしているけれど、自分たちに害がなければ本当に普通の女性だから。
ちゃんとあの呪霊たちにも言って聞かせないとな……初対面のインパクトがやばくて大丈夫だと思うけど、真人はいつかやり返してやるからな!と息巻いていた。
頼むから、何も、するな。
改めて彼女や灰谷兄弟に手を出さないように言っておこう、そう思って陀艮の領域に足を踏み入れる。

「スイカ割りしようか、オマエスイカな」

「いやああああああああ!!」

最初からクライマックスだった。
どうしてそうなる!?
砂浜には三人身を固めて震えている呪霊たち、波打ち際の近くで首から上しか出ていない真人、それからバットのようなサイズの棒をこれからホームランでも打つのかとばかりに素振りをしている名前さん。
遅かった……!何もかも遅かった!!

「目隠しなんてもんはねーから私がスイカかち割ったら終わりな」

「やだああああああ!!助けてええええええええ!」

ブォンブォンとメジャーリーガーも顔負けのスイング、もう名前さん絵師やめたら?
見なかったことにして陀艮の領域から出たい、出よう。
くるりと背を向けて領域から出ようとすると、私に気づいた真人が声を上げた。

「げとおおおおおお!!」

「……気づかないでほしかったな」

助けてあげようか、なんて言いたくない。
万が一彼女の力が有り余って真人が祓われでもしたら私の計画も狂う。
無意識なのがタチ悪い、コントロールもなにもあったもんじゃない。
出て行こうと思った体を意を決して名前さんと真人に向き直った。
ら、なんかもっと酷い光景に早変わりしてた。
棒でゴスゴスと真人の額を無表情で叩く名前さん。
ごめんなさいごめんなさいを繰り返す真人。
……か、帰りたい。

「何スイカが喋ってんだよスイカは喋んねえんだよそんなのもわかんねーの?」

「ごべんなざい……ごべんなざい……」

「別に何泣き喚こうが構わねえけどな、今からスイカかち割るんだし」

「す゛み゛ま゛せ゛ん゛て゛し゛た゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

「安心しろよ景気よく一発で決めてやんから」

「や゛た゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

「……名前さん、多分絶対おそらく真人が悪いんだと思うんだけど、なんでこうなったのか聞いてもいいかい?」

声かけるの怖いんだけど。
恐る恐る声をかけると、無表情の名前さんが振り向いた。

「ジム帰りにこのツギハギにここに拉致られたんだが?」

「ほんっっっっとーにすまない」

言い訳すらできないやつだこれ。
棒を肩に担ぐ名前さんによると、今日はジムに行く日だったらしい。
キックボクシングやってるんだあ……そっかあ……知りたくなかったなあ……
現実逃避をしたい、とても。
そのジムの帰り道、どこかでスケッチをしようと思っていた名前さんを真人が拉致して、この陀艮の領域に連れてきたと。
適当にいじめる程度に名前さんに術式を使おうと真人が手を伸ばした瞬間、名前さんの蹴りが真人の股間を容赦なく蹴り上げ、他の三人に穴掘れよと真人がすっぽり入る穴を掘らせ、それから今に至る。
……ほんっとうにとんでもない人だな。
真人これで股間蹴り上げられるのは二回目だっけ?
真人が悪いけど容赦のなさが酷い。

「命の危機がない程度に暴れたらこっちで好きにしていいって話だから好きにした」

「予想の斜め上を行くのやめない?いや、名前さんからやっちゃうんだなーって思う私がいるのも確かなんだけども……」

これはあれだな、完全に肉体の記憶だな。
何回彼女に痛い目に遭わされたか……私自身は彼女をあわよくば駒にしようと思っても肉体が拒否する、やめとけ死ぬぞ主に心が。

「真人も反省しているから許してくれないかな?」

「んー……別に許す気はねえからなぁ」

「ここで絵を描いていってもいいよ?ほら、私がちゃんと灰谷兄弟のところまで送るから」

「……少し前に、誘拐されたことがあんだけどさ」

ぽつり、名前さんが淡々と言葉を続ける。
ポケットから取り出したスマートフォンを開き、私に見せるのは画面右上のアンテナ。
ここは領域内だし、正直電波が入るかどうか言われたらほとんど入らないだろう。
名前さんのスマートフォンは圏外を表すマークが。

「梵天の弱みになるからって誘拐されたことがあんだよね、蘭と竜胆の従姉だし、ガキ共と仲良いし、果てに私が売れてる絵師で梵天の資金にも利用されてるから体のいい人質。その後から蘭と竜胆と話をして、私のスマートフォンで位置情報がわかるように設定した」

「……とても嫌な予感しかしない」

まるで術式を開示しているかのような威圧感。
なんで今その話をするのか、なんでわざわざスマートフォンを取り出したのか。
その真意にまだ気づけないでいると、私が入ってきたドアからドンドンと叩く音が。

「梵天って最新機器とか使ってるんだよ、私にも惜しみなく使ってくれてる。で、この位置情報って電波入らなくなるとそこで途切れんだけど、どこで消えたのかログ残るんだよね」

「げ、げと……」

真人が怯えた目を向ける。
無表情だった名前さんは、滅多に見せないにっこりとした顔を見せた。
いつも表情が変わらない人間の表情が変わると恐ろしく感じるものだ。
何年生きていても関係ない。
それこそ私が千年の時を体を変えて生きていても、たった四十年近くしか生きていない彼女に圧倒される。

「私の位置情報が途切れたら、何が起こるか説明しなくてもわかるだろ?」

彼女の言葉と同時にこの領域へ通じるドアが蹴破られた。
ふたり揃いの色違いのスーツ、揃いの色の髪、喉から覗く独特な刺青。
誰が来たかなんて、これで十分だ。

「五条に私たちの術式何?って毎回聞かれるんだよ。よくわかんねーけど、蘭と竜胆が私って言ってるんならさ、私の術式は蘭と竜胆で合ってるのかな?」

そんな術式あるわけないだろ。

「げーとーおーくーん」

「あーそびーましょおー」

終わった……いろいろ終わった……ここで死ぬかもしれない……志半ばで……
笑ってない目で笑う彼女の弟分たちに、柄にもなく命の危機を感じる。

「滅多に言葉にしないけど、蘭と竜胆に大切にされている自覚はあるし、ちゃんと頼りにしてるんだよ」

可愛い頼りになる弟分たちだから。
にっこりと清々しい程の笑顔は全く清々しく感じることはできなくて。
そっくりじゃないか、灰谷兄弟の笑顔と。
やっぱり彼女たちは血縁なんだなあ……頭の中だけは現実逃避していた。

 

「で?テメェはこのまま頭かち割ってやればいいのかな?あーやだわー、とうとう私も人殺しに手を染めちゃったかー、でもオマエは普通の人には見えないらしいからノーカンで貫き通せるかもしんねーよなー」

「ごめんなさいもう二度とお姉さんを拉致らないし絶対に害を与えないですなのでここから出してええええええええ」

俺を見下ろす女が俺の頭の横にドスッと棒が振り下ろされた。
多分生まれてから一生分泣いた。
もう喉カスッカス、呪力で治した片っ端から泣かされてまた喉カスッカスになって、その繰り返し。
やだよお……こんな物騒な女に泣かされて喉痛めて治してまた泣かされてのループはやだよお……
ちなみにさっきこの領域にやってきた女の弟たちは嬉々として夏油を追いかけていた。
一番そっちがやべーよ、俺たちは呪霊だけど夏油は生身の人間だ。
そんな生身の人間に向かってバンバカ銃を打ってるし鈍器投げつけてるし、やべーよ……夏油死なないで……いやもしかしたら死ぬかもだけど。
俺はお姉さんに次はねえぞと冷たい目で見下ろされ、離れたところで固まっていた漏瑚たちによって掘り起こされた。
お姉さんは弟たちに「ちょっとだけ絵を描いているからそれまで待っててー」と声をかけると、そのまま砂浜に腰をかけて鞄の中身を少し広げる。
すげーな、こんなところで始めるの?
一応ここ陀艮の領域だよ?連れ込まれたお姉さんがどんな位置にいるのか、ちゃんとわかってんの?
弟たちに追いかけられていた夏油は長髪の方に捕まり、腕を締め上げられていた。
うわあ……めちゃくちゃ悲鳴が聞こえる……
短髪の方は爆笑しているし、その片手に警棒を持っているもんだから本当に夏油の命の危機を感じるんだよ……夏油危機一髪……
夏油の悲鳴なんて聞きたくなかった……

「痛い痛い痛い痛い!!ねえ!ねえ名前さん!ふたりを止めてくれないかな!?」

「やだよ、主犯は圧倒的被害者の私がやったし監督責任のあるオマエは蘭と竜胆がやればいいかなって思う」

「漢字変換殺るじゃないよね!?ね!?」

「竜胆ぉー、次オレなー」

「一本折るまで待って」

「ああああああああああ!!」

可哀想……俺が原因だけど可哀想……
お姉さんは夏油の悲鳴なんて聞こえてはいないのか、一冊のスケッチブックを取り出すとまっさらなページを開く。
広げたものの中から鉛筆を取り、そのまままっさらなページに滑らせた。
夏油とお姉さんの弟たちは殺伐としているのに、お姉さん本人だけ別の場所にいるみたいだ。
お姉さんが絵を描いているのを気にしているのは俺と陀艮、こっそり後ろから覗き込む。
黒の鉛筆でしか描いてないのに、この領域が色づいていくんだよ。
お姉さんは呪術師じゃなくて魔法使いなのかも。

「……すっご」

「ぶぅー」

いつの間にか漏瑚と花御も一緒になって覗き込んでいた。
漏瑚なんかめちゃくちゃ食い入るように見てんの。
花御だって素晴らしいですね、と賞賛している。
ページの三分の二を占めるのは空、それから海と砂浜、ちょこんと人影が四人分。
もしかしてだけどこのシルエットって俺たちかな?
これは、ダメだ。
こんな殺そうと思っている人間が、こんな綺麗なものを生み出せるってわかったら、縛りがあるのに殺したくなっても、俺は殺せない。
ダメだ、こんな人間がいるなんて。
漏瑚が山で、花御が森で、陀艮が海で、俺が人なら、この女は空だから。
空なんてそんな小さなモンじゃない、世界だって生み出せるだろうから。
お姉さんは鉛筆で一通り描き終えると、今度は色のついた鉛筆を手にして軽く色をつけていく。
この人は魔法使いだよ、目の前で真っ白から空と海と俺たちを生み出したんだ。

「ねーちゃん終わった?こっちはそろそろ終わりそうなんだけどー」

「オレはもうちょい時間ほしいなぁ、もうすぐで夏油殺れそう」

「そんな軽く言わないでほしいんだけど!ほら私呪霊出すほど必死だよ!?」

弟たちの声にお姉さんが顔を上げる。
夏油に向けていた、清々しいけど清々しくない笑みはなく、いつも通りであろう無表情だ。
お姉さんは描き終わったスケッチブックと周りの景色を一瞥すると、そのページをぺりぺりと剥がして一番近くにいた俺に差し出す。

「あげる」

「えっ」

「拉致られたのは許さないけど、思ったよりも綺麗なところで描けて満足した」

せめて次は拉致ってくんじゃなくて普通に連れてきてよ。
自然と手を伸ばして絵を受け取れば、お姉さんは手早く広げたものを鞄に戻して立ち上がった。
短髪の弟と肩で息をしている夏油に視線を向け、お待たせ、帰ろうか、と恐ろしい程普通に言う。
そんなお姉さんの言葉を聞いて、夏油と向き合っていた弟は手を下ろすとにっこりと笑ってねえちゃん帰ろー、と同じように普通に言った。

「じゃあ帰る」

「……もう、来なくていいからね」

「私を拉致んないようにツギハギに言っとけ」

弟たちが蹴破ったドアから今日何食べる?せっかくだから外食しよーよ、なんて何事もなかったかのように平然と領域を出て行く三人。
その姿を見送って、気配が遠ざかって行くのを感じて俺たちはやっといつものように息ができた。
呪霊なのに、息なんて。
まるで人間みたいだよな。


親戚のおねえさん
ジム帰りに真人くんによって陀艮ちゃんの領域に拉致られたので主犯の真人くんを砂に埋めてスイカ割り未遂した。
人間だろうがそうじゃなかろうが容赦ない。
普通に領域は綺麗だったのでお絵描きしたいなーって思っていたとか。
スマートフォンのGPSはいつもオンにしているし、途切れたら蘭くんと竜胆くんが来るって信頼しているので特にビビったりはしなかった。
今なら術式は?って聞かれたら蘭と竜胆って答える。そうじゃない。

灰谷兄弟
ねーちゃんのGPS途切れたんだけど!ねえちゃんどこで消えた?って領域探し当てた人間ほとんどやめてるような技を見せた。
夏油くーん、遊びましょおー。そんな軽い言葉でシャレにならない本気具合で夏油さん(中身は別)を追いかけ回してボコボコにしようとしてた、ほとんどボロボロだったけどね夏油さん。
この後家族会議で今回みたいにおねえさんの位置情報途切れたらどうするかが議題に上がる。
特級呪詛師にも特級呪霊にも負けない特級反社たち。

真人
今回の戦犯。
縛りなんて知らない!生きてりゃいいんだろ!?と息巻いておねえさん拉致ったらスイカ割りされそうになった。
呪力で回復しなきゃいけないほど泣き叫んだのは初めての経験。
さらにトラウマを植え付けられたけれど、絵をくれたおねえさんに本当に同一人物かわからなくなった。
仲良くなれる日は果たして来るのか……?

夏油傑(中身はメロンパン)
監督責任不十分で灰谷兄弟に追いかけ回され腕折られそうになりボコボコにされそうになった。
割りと本気で戦おうとしていたけれど縛りがあるから無理。逃げることと生きることだけに徹した。
おねえさんの話し方が術式開示のように聞こえて割りと本気でビビってた人。
冒頭であるようにこちらに引き込もうとしてたけどどう足掻いても無理、と結論。

他の呪霊たち
真人が厄介な女連れてきたぞ!連れてこないで元いたところに返しなさい!!

補足
世界線が違えば似たような力でも異なる力だし、呪霊も呪術師もいない世界で命のやり合いをしてきた方が上手かもね。
東リべ世界の住人たちの呪力が理解できないものと言われているのはそれ。
百鬼夜行前の夏油さんがおねえさんのギャラリーに訪れたことで縁は結ばれた。
切るには?まだ夏油さんの肉体は存在しているよね。

 

次回、五条悟危機一髪。

2023年8月3日