なんちゃって転生者のワノ国生活②

「ほら見てみろ、あれが桜だ」

可哀想だと思った、不憫だと思った。
こんなおれの心にも、自分と同じ血の流れる子どもに同情をする心が残っていたらしい。
小さな手を繋いで青空にそれはそれは映える綺麗な桜を見せても子どもはきょとんと目を丸くするだけ。
子どもには見えない。
この憎たらしいほど澄んだ空も、この恨めしいほど鮮やかな花も、子どもにはわからない。
ババアが連れてきた子どもはぼんやりと表情の抜け落ちた無の顔だが、それでも可愛らしさを残していた。
黒炭の一族、その生き残り。
よくぞ生きていたとさえ思う。
両親は既に死に、野垂れ死にそうなところをババアが拾ったのだという。
目のことは割りと早い段階で察した。
この子ども、見えてはいるのだろうが見えていない。
色がわからないのだという。
鮮やかな色も、淡い色も、全てが白と黒でしか認識できない。
何の呪いだ、先人の罪を償えとでも言うのか。
親の罪は子の罪か?
同じ血の流れる人間の罪は、たとえ直系の子どもでなくとも贖わないといけないとでも言うのか。
早いうちに親を亡くしたからか、心が壊れたのか、子どもはにこりと笑うことも煩く泣くこともない。
けれど、おれにとっては可愛い姪のような子どもだ。
おじさま、と幼い声でおれを呼ぶ。
ババアに手を引かれ、歩いている時も無意識かどうかは知らねェがおれに手を伸ばす。
可愛い可愛い、おれの姪。
可哀想なおれの姪。
先人の罪の証とでも言わんばかりの灰色の目は、子どもの見える世界を物語っている。
だからこそ、余計にこの国を滅ぼしてやろうと思った。
ワノ国を滅ぼしたら、子どもは外の国へ出してやろう。
黒炭の名を知らない、ワノ国を知らない人間のいるところで、少しでも人間らしく生きてほしいと思った。
カイドウと手を組み、おでんを処刑し、来たる二十年に怯えながらもいつも心の隅にあるのは色の見えない子どものこと。
揺らめくものが何かわからなかったから触ったら実は燃え上がる炎で、手に酷い火傷をした。
痛いと泣き喚くこともなく、何が起こったのかわからなくて普段は変わらない表情が戸惑いに変わり、後になって痛みを自覚してほろほろと涙を零す姿は可哀想だった。
転んで鼻血を出しても、それが血だとわからずに紙に血塗れた手を滑らせて絵を描いていたこともあった。
とても、とても痛々しかった、かわいそうだった。
迫害されてきた黒炭の人間の中でも、一番かわいそうだった。
何も知らないのに、自分が何者かもわからないのに、その小さな体に罪を背負わされているようで。
時が流れ、空虚に生きていた子どもが絵を描きたいと言った時は戸惑いながらも喜んだ。
何にも興味を示さなかったあの子が、絵を描きたいだと!
色が見えねェのにどうやるんだと聞けば黒だけでも絵を描けると言い張るもんだから、その時に築き上げた全てを使って子どもに絵を指南する人間をあてがってやり、それが今では花の都で一番の絵師になるとは。
初めて描いたのはおれの似顔絵だ。
巷の子どもたちでも色を使って親の絵を描くというのに、子どもは黒だけで描いた。
上出来だと頭を撫でて言えば、普段変わらない表情が嬉しそうに綻んだのを見て、改めて決心する。
こんな国、どうなっても構わねェ。
この子どもがゆっくりでいいから笑って泣いて、そんな当たり前を取り戻せるのなら、この国は滅んで然るべきだ。
成長した子どもが、女になっても表情は変わらない。
けれどおれに見せるその拙い笑顔が、少しずつ増えていくのを見て、成せばならぬとおれを焚きつける。
どれだけおれに力がなくとも、おれ自身に力がないのなら他の強大な力を使えばいい。
おでんも死に、おれが名実共に将軍として納めるこの国で、姪が女になっても子どもらしさがなくならなくとも、姪が国の外に出るその日まで、おれはこの国を滅ぼすべく、奔走する。
成長した姪は、城の内装が白黒に見えても目がチカチカするようで外で過ごしたいと言い始めた。
もちろん最初は反対した。
いくらおれが将軍とはいえ、侍の残党だっているだろう。
けれどいつだって考えるのは姪のこと。
こっそりと福ロクジュたち忍に護衛をさせ、逐一姪の様子を報告させながら、離れて暮らしていてもおれは姪を大切に思っている。
カイドウに会わせたのは、この先国から出すのならカイドウの伝手を使った方が滞りなく行えると思ったからだ。
色は見えなくとも絵が描ける、なんならおれとカイドウに披露した絵は、色が見えぬはずなのに鮮やかな色がついていた。
きっと、もう、大丈夫。
外に出て黒炭に囚われずに生きてゆける。
白と黒の世界しかなかった子どもだった姪は、見えなくとも確かに色づいていた。
安全に国の外へ出れるように、国のしがらみを断ち切るために、おれは今日も悪政の限りを尽くしていく。
……ただな、鬼ヶ島に向かわせるのだけは別だ。
好き好んで可愛い姪を、海賊なんぞのところへ向かわせるのだけは反対に決まっているだろう。
どうやったかは知らないが、五体満足で戻ってきた姪を盛大に迎え、精神が疲労している姪を休ませ、カイドウにどう釘を刺すか頭を回した。

 

ワノ国の一部ではあれど、鬼ヶ島は冬だった。
さっむ、めちゃくちゃさっむい、おじ様が暖かくしていけと行った理由がよーくわかったわ。
そりゃ暖かくしないと無理、一応ほら、繊細な姫様ですから。
実際そんな繊細じゃないけどな。
ここへ来たのは私と、それからおじ様が信頼しているひとりの侍女さんだ。
見えないならひとりでは不便であろうと、気を遣ってくれた、おじ様は私には優しい。
侍女さんに手を引かれながら鬼ヶ島の中へ足を踏み入れる。
侍女さんの方が怯えているな……まあ、どんなところか私よりわかっていると思うし……
それよりさっむいんだけど、どうにかならんのか。
くしゅん、とくしゃみをひとつしておじ様にもらった襟巻に顔を埋める。
手は死守しているんだけどね、指先かじかんだら筆持ちにくいからさ。
それにしても、雪なんて久しぶりじゃないだろうか。
正確には、花の都でも降ったのを見るけれど、町人たちがそれで遊んだり、除雪したりするから辺り一面真っ白ではなかったから、こんなに手付かずなのは久しぶりに見たかも。
いつもの黒や灰色だけじゃない、圧倒的に白の多い景色。
思わず足を止めると、侍女さんが「姫様は雪はお久しぶりですか?」と聞く。
そうね、見るのは久しぶりかもしれない。
雪が降っていても寒いからって長屋から出るのは少なかったから。
ちょっと触ってもいいかな、雪ってどれくらい冷たかったっけ。
侍女さんからするりと手を抜いてその場に身を屈めて雪に触れる。
手袋越しでも冷たい、そりゃそうか、雪だもん。
雪、そうだ、唯一わかるのは雪の色だ。
だって雪は白いもん、白黒の世界で雪だけが誰とも共有できる自然の色。
雪の影ってグレーだったっけ?
前の世界では、誰かが雪の影は水色なんだよと言っていた気がする。
本当に綺麗な雪の影は、水色だと。
そうだ、幼い頃におじ様と見た桜は、雪なのかなって思ったことがある。
暖かいのに雪が降るのかなって、幼い頃は不思議だったけれど、おじ様があれは桜だと教えてくれたから桜なんだって認識していたんだっけな。

「姫様、お手が冷えてしまいますよ」

おっと、そうだった。
なんか自分が見ているものと他の人が見ているものが同じってあまりないからちょっとテンション上がってた。
ほんとだよ、テンション上がってたんだよ。
誰も信じてくれなさそうだけど。
カイドウの部下が私と侍女さんを部屋まで案内する。
なんか物珍しそうに見られているような……あのオロチにこんな姫様がいたんだなって聞こえた。
案内されたのはいいけれど、私と侍女さんは別々の部屋だ。
嘘やん……そこまで人払いする……?
まあでも顔晒せない人って言ってたもんな、私には大丈夫そうで侍女さんには駄目ってどういうことだろう。
通されたのはめちゃくちゃでっかい部屋、それもそうか、カイドウがあんだけでかけりゃ部屋もでかいか。
室内だから凄く寒いわけではないけれど、やっぱり冷えるというかなんというか。
申し訳程度に置いてある火鉢に手を翳して暖を取りながら件の人が来るのを待つ。
……触ったらこれ火傷するよな。
うずうずと、色がわからないものに触りたくなるけれど、火傷するのは目に見えている、でも触りたい。
長屋でもえいって触ったら火傷したしなァ……うん、やめよ、そこまで子どもじゃないし。
空気は温まりにくいけど、翳している手はぽかぽかと温かくなる。
きっと白かった指先は血の気を取り戻してほんのりピンクにでもなっているんだろう、わからないけれど。
さて、指先も温まって動かしやすくなったところで持ってきた荷物を広げた。
絵を描いてもいいと言っていたし、来るまで時間を潰してもいいでしょ、多分。
今回は岩絵具は持ってきていないから必然的に墨だけで描くことになるけれど。
何を描こう、雪、ときたらうさぎかな。
真っ白なうさぎ、おじ様が白いうさぎは目が赤いと教えてくれたっけ。
どんな赤だろうか、朧気な前の世界での記憶でもうさぎの目が赤いのは知っている、けれど、どんな赤だったかは思い出せない。
真っ赤な血の色?照りつけるような太陽の色?それとも少しピンクがかった山茶花のような色?
わからない、思い出せない。
耳の粘膜はピンクだったかな、本当に、朧気だ。
ぱちりと火鉢の中で炭が弾ける音、それから私が硯で墨を磨る音。
外からはカイドウの率いる海賊たちの喧騒が聞こえるけれど遠くに感じる。
それが聞こえなかったら雪が降るしんしんとした音が聞こえただろうか。
……そういえば、おじ様が侍の中に密偵がいるって言ってたな。
その人も絵を描くみたいなことを聞いたような、聞いてないような……
どんな絵を描くんだろう、でも、おじ様が密偵なんてさせるくらいだから絵はあまり描かないのだろうか。
筆に墨をとって、紙に滑らせる。
うさぎ、白いうさぎ。
茶色のうさぎや黒いうさぎもいるけれど、白いうさぎが好きだな。
あとあれ、雪で作った雪うさぎ。
目は南天の実で、耳は南天の葉っぱで、きっと鮮やかなんだろうな。
黒にしか見えないけれど、そんな気がする。
紙にうさぎを描いて、薄くした墨で簡単に影をつけていると外からドカドカと歩く音が聞こえた。
障子の向こうから声をかけられるでもなく、やや乱暴に開かれればそこにはカイドウが。

「待たせたな」

「カイドウ様」

「あー頭下げんな、こっちが頼んで来てもらったんだからな」

楽にしてろ、と声をかけられたので畏まらずにそのまま正座をしていた足を崩す。
相変わらずでっか……と思っていると、カイドウの後ろから全身真っ黒に見える人が出てきた。

「……でっか」

おっと、思わず口に出ちゃった。
カイドウは一瞬だけ目を丸くすると、愉快そうに笑う。
すみませんね、別にいつも猫を被ってるわけじゃないけれどこれが素なもんで。
というか、言い訳ちょっとだけしてもいい?
予想はしていたけどでっかいじゃん、翼生えているとは思わなかったしそれも真っ黒に見えるしでっかいじゃん、結論とにかくでっかい、ここの人間マジででかい人間しかいねーのか。

「こいつが話していたキングだ。まあ、話し相手にでもなるか絵でも描いてろよ」

カイドウはそれだけ言うと部屋に押し込むようにキングの背中を押して障子を閉めた。
……なんかあれだ、強引に見合いをさせるような前世のクソブラック企業のクソ上司みたいなことするな。
多分、クソ上司よりはまだマシなんだろうけど、部下の気休め程度のつもりだろうし。
キングはキングでマスクで表情はわからないけれど擬音をつけるならぽかーんだろ、あれ。
とりあえずはじめまして、と頭を下げて挨拶をする。
はい、無視!
というか多分この人状況飲み込めてない、お疲れなのかな。
でも挨拶はしたのでまだ途中だった絵を仕上げにかかる。
岩絵具は持ってきてないからうさぎの目は墨で黒く塗って、どうせなら雪が降っているように松の木でも描こうかな。
空を見上げるようなうさぎの横にさらさらと松の木を描いて、雪を松の木に乗せて、ほら雪景色の中のうさぎができた。
色をつけるなら全体につけるよりもワンポイントでうさぎの目に赤を塗ればいいだろうな、今度やってみよう。
でも長屋に赤の岩絵具あったかな、鮮やかな色なら蘇芳とか、いや、茜色や朱殷がいいかな。
どのくらい違うのか記憶は朧気だけど、それなりに映えるはずだ。

「……目が見えねェと聞いたが」

使わない和紙で筆先の墨を拭っていると、腰を下ろしたキングがそう私に声をかけた。
見えないけど正確には違うんだな。

「いえ、見えないのは色でございます。キング様がどのようなお召ものをされているか私めにはわかりませぬが、私には黒に見えますので」

「黒で合ってる」

ってことはこの人全身真っ黒なわけ?
というかレザー生地かな?熱くない?あ、なんか背中は翼だけじゃなくて何かゆらゆらしている……炎?
えっ、翼生えて炎出てんの?なんて人間?
……前から思っていたけどこの世界とんでもねーな、人はでけーしこの人翼生えてんし、こっわ……この国というかこの世界こっわ。
余計なことは言わんでおこ、ボロが出る、いや初っ端で出たけど。
カイドウからも絵を描いていていいと言われたようなもんだし、次は何を描こうかな。
キングもそれ以上口を開くことなく、ただ私が筆を紙に滑らせるところをじっと見つめる。
興味がある、というものじゃなくて警戒する、が正しいだろうな。
そりゃそうよ、あのおじ様の姪なわけだから警戒するよ。
正確には姪じゃなくて姪みたいなものだけどさ。
おじ様は黒炭の本家だろうし、私は分家だろうし。
警戒の一択、それははっきりわかんだね。
うさぎときたら、今度は月かな。
お月見だお月見、今そんな季節じゃないけど。
紙の上半分に大きく月を描いて、その下には臼を挟むようにうさぎが二羽、一羽だけは杵を持って。
うさぎに落ちる影は月の光、逆光だから薄く墨で影を塗って……

「色はつけねェのか」

「本日は岩絵具を持ち合わせておりませぬ故、未熟ではありますが墨で代用しております」

と言っても岩絵具あっても慎重に選ばなきゃお粗末だし。
……なんか、思ったよりも怖くないな?
気を遣われている、そんな気がする。
既に描き終えた雪とうさぎの絵をその大きな手に取ってキングがほう、と息を吐いた。
悪くはないらしい、それならよかった。
生憎芸妓でも舞妓でもない、しがない絵描きだから、それくらいしかできない。
気の利いた話もできないし、できるのは絵を描くことくらいだもん。

「何か、お題がありましたら描きますけれど……」

「……いや、いい。好きにしろ」

あっそうですか。
カイドウよりも警戒心強いのかな。
それからずっと紙が尽きるまで絵を描き続けた。
終わった頃にキングは立ち上がると「明日、紙を寄越す」とだけ残して部屋から出て行く。
とりあえずは、よかったのかな?
まあ次の日も無言でやってきたキングの前で絵を描いて、その次の日には花の都に帰った。
おじ様はとても喜んで迎えてくれたので、よしとする。
そういやあの人マスク外さなかったな、息抜きとは?
また呼ぶとか勘弁してくれ、絵を描いてなけりゃ苦痛な時間だったんだから。


黒炭の女の子
なんちゃって転生者。
鬼ヶ島でひたすら絵を描いていた。
元々ブラック企業に勤めていたけれど辞めたような記憶がある、もう朧気だけど。
猫を被ってるわけじゃない、たまに前世の口調が出るだけ。
カイドウとキングに対しては「でっか、こっわ、厳つ……」だけどいつか変わるかもしれない。

黒炭オロチ
自分の姪のような子どもに対しては可哀想だと思っている人。
自分がワノ国を滅ぼしたら姪には国の外で黒炭に囚われずに生きて欲しいと思って今日も悪政の限りを尽くす。
姪は大切ではあるけれど、ワノ国への復讐心は拭えなかった。
姪にも復讐心を強制する気は一切ない。

カイドウ
姫様を呼びつけた人。
生きて鬼ヶ島から花の都に帰れたってことはそういうことだろうと頻繁に呼ぶようになる。

キング
百獣海賊団の大看板。
カイドウについて行ったらオロチの姪がいた。
存在は聞いていたし、きっとオロチに似ているんだろうなと思ったら全く違ってちょっと困惑。
なくなった紙を持ってこさせるくらいには気が利く。
警戒していたからこそじっと見ていたけれど、彼女が黒だけで絵を描いていたから感心した。
次?次はもうちょい口数多くなるんじゃないかな?

2023年8月4日