姫様と呼ばれているにしては、あのオロチの血縁にしては、何もかもが似ていなかった。
恒例の火祭り一週間前の宴ではオロチの隣に座していたがぼんやりとした表情で黙々と食事を口に運び、時折オロチと言葉を交わす程度。
てっきりオロチの権力を盾にしているのかと思えば、お召し物も煌びやかではないし、城で暮らすのではなく花の都の長屋で暮らしている浮世離れの絵描き。
そこに在って、けれど在ってないような。
誰かが言っていた、彼女は目が見えないのだと。
可哀想に、と誰もが口にしていたが、当人はそんなことを感じさせないくらい、恐ろしくなるくらい全てが凪いでいて、髪と目のように透明で。
色素の抜けた白い髪に灰色の目。
オロチが前に零していたのは、血の繋がりも薄い子どもに罪を償えと言われているようで不憫だと。
なんて複雑なのだろうか。
おれたちはオロチを、カイドウを討つために何年も何年も堪えていたが、まさかそんな黒炭の罪を体現するような人間がいるなど、思ったことがあっただろうか。
姫様と呼ばれるのは日和様だけなはずなのに、なぜあの娘が呼ばれるのか。
姫様と呼ばれているのに、なぜあの娘はそう振る舞わないのか。
いっそ、オロチのように悪逆の限りを尽くしていれば、こんな複雑な気持ちは抱かなかったのに。
ふと、姫様がオロチに何か告げるとオロチは侍女を呼んで彼女と席を外させる。
気分が優れないのか、繊細だと聞いたことがあったがそんなにか。
日和様がオロチに酌をしているのを見て、多少は席を外しても大丈夫と判断して追いかけるようにおれも席を外す。
部屋から少し離れたところではその場に腰を下ろした姫様が侍女にまた呼ぶよと声をかけ、ひとりで大きく息を吐いていた。
すれ違って侍女が「姫様は休んでおられますので、会話はお控えくださいませ」と頭を下げて部屋に戻る。
足を崩し、小さくしんどいと零した彼女の前に足を進めれば、こちらに気づいた彼女は佇まいを直して頭を下げた。
「狂死郎様」
「ああ姫様、拙者なぞに頭を下げずどうか上げてください」
調子が狂わされるのは、これもだな。
オロチのように権力に胡座をかくことはない。
顔を上げた姫様は、おれの言葉に顔を上げるとそのままじっとおれを見上げる。
目が見えない、それは恐らく正確ではないだろう。
見えぬなら目の前に誰がいるのかわからないはずだ。
しかし移動の時には彼女は誰かに手を引かれなければ歩けない。
足が悪いわけでもないだろうな。
……いや、その前に絵など描けるわけがないのだ。
見えない姫様が絵を描く、物珍しさから有名ではあるが。
「いいのですか、小紫様を置いて私なんぞのところへ赴いて」
「何を仰いますか、拙者は将軍の犬でございます。もちろん、姫様の犬でもあります故」
「……他人の飼い犬は、飼い主の許可なく遊んでいいものではありませぬでしょう」
見透かすような言葉に心の臓が冷える。
知っている?
おれの素性を?
いや、この姫様と会話を交わすことはほとんどなかった。
小紫様……わざわざ姫様と呼ばれる人間が、花魁に様など敬称をつけるものだろうか。
日和様のことも、知っているのか?
「それに、人間を犬など失礼なことを申されないでください」
人間も犬も可哀想です。
……なんか、独特なお人だな。
姫様はそれきり言葉を続けることはなく、おれから目を逸らして窓の外へ視線を向けた。
でも、わかった。
この人はオロチのような人間ではない。
何かを恨んでいるわけでも、憎んでいるわけでもない。
何かをなそうとも思っていない。
ただ、雲のように風の流れに身を任せているだけだ。
澄んだ青空を、見えているのかは知らないが、彼女にはどう映っているのだろうか。
拙者如きが失礼を、と声をかけてから宴の行われている部屋に足を向ける。
障子を開いて部屋に入る寸前ちらりと見えた姫様の表情は、やはりぼんやりとしていて、いつか溶けてしまうのではないかと思うような姿だった。
ストレスフルー!!
とってもストレス、めちゃくちゃストレス、ストレス発散したい、マジで、切実に。
最近のストレス?なんか狂死郎に勘繰られたところだよ!!
何もしてませんから!私!!
つーかあまり話したこともない人間に犬ですなんて言われて私にどうしろと?
ちょっと引いた、ごめん。
でもほら、耳たぶ長いあの人もだけど仕えているのはおじ様なわけでしょ?
さすがにおじ様のものは私のもの!って言う勇気はねェんですよ。
そもそも狂死郎は小紫を守っているように見えるしさ。
感性はほら、普通の人のつもりなのよ、一応。
なんかいつもとは違うストレスでめちゃくちゃ荒れた、落ち着け落ち着け、冷静に冷静に。
じゃないと筆も乱れ……あっ、筆割れた!もー!!
そんな私の様子を見て、相変わらず無言を貫いていたキングはふふ、と笑った。
……えっ、笑うのこの人。
「ああ、悪ィな。お前も荒れるんだなと思って」
まあわかりますよね、今日の絵の線めちゃくちゃ荒いから。
失礼しました、と頭を下げればキングは私を制して愉快そうに声をかける。
「休憩にしたらどうだ。甘いモンは食えるか?」
甘いものは大好きですけど……
私が答える前にキングは少し待ってろ、と残して部屋から出て行った。
そうです、今日も数日鬼ヶ島に滞在の日です。
ぶっちゃけ狂死郎の件があってこっちの方が落ち着くとかどういうこと。
まあ花の都でのことは気にしなくていいもんね、そりゃ落ち着きますわ。
何がどう気に入られたのかも知らないし、これに関してはもうどうにでもなーれ精神なので一度筆を置いて伸びをする。
決まった日に侍女さんとここに来て、侍女さんとは別室で、キングに見られながら絵を描く、それだけ。
絵を描くのは好きだ。
本当に前の私からは考えられないよね、前は何描いても逆に画伯か?って友達からからかわれるくらいだったもの。
人間変わるんだな、死ねば。
ブラックジョークです、はい。
先が割れてしまった筆を水に浸して形を戻し、和紙で水気を拭って硯の隣に置く。
あんなに鬼ヶ島はめちゃくちゃ賑やかなのに、この部屋だけとても静かだ。
どっちにかは知らないけど気を遣ってここら辺を人払いしているのかな、じゃなきゃ物珍しさに野次馬のひとりやふたり来そうなものだけど。
「……姫様、いらっしゃいますか」
正座していた足を崩して爪先を揉んでいると障子の向こうから声がした。
静かに開かれたそこには、一緒に来た侍女さんが。
……なんか、表情暗くないですか。
やな予感がする、本当に、やばい気がする。
微笑んでいらっしゃるんだけど、とても怖い。
侍女さんはにっこりと笑いながら後ろ手で障子を閉め、一歩一歩私に近づいてきた。
……なんか、持ってませんか。
今きらりとした気がするんだけど、何持ってるんですか。
なんかやべーわこれ!
私の前に立った侍女さんが持っていたものを振り被って私に下ろすのが見えたので、反射的に転がるようにその場から離れた。
畳に刺さっているのは、包丁では……?
あれだわ、あれ、えっと……暗殺ってやつでは?
「避けなければ苦しまずに死ねたのに、なぜ避けるのです?」
避けるに決まってんだろばーか!
言ってやりたいけど、不思議と声は出てくれない。
誰か呼ばなきゃ、でも誰を?
呼べる名前なんて持ってない、誰か、誰か。
「オロチの姪だから、そう思っていたのにあなたは何もしないのね。民を脅かすことも、かといって救うこともせず、ゆらゆらゆらゆらと流されるように生きて。ねえ、姫様?私がこんなことするなんて思ってなかったでしょう?何年も私はオロチの忠実な侍女を演じていましたもの、いつかあのオロチを、あなたを、殺そうと思って。こんな目に遭ってもあなたは声ひとつ上げないのですね。可哀想……オロチなんかのせいで、殺されるなんて、本当に可哀想」
……つーか殺すならさっさと殺ればいいんでない?
こっそり硯を手に、侍女さんから離れるように畳に尻をつけながらも後ずさる。
大丈夫、正当防衛になるから、硯でぶん殴った程度じゃ打ちどころが悪くなければ死なないだろうし。
というか、可哀想っつったなこの女?
腹が立つ。
私は自分が可哀想だと思ったことはない。
可哀想って言葉は、本当にその人を哀れんで慈しんで言うか、自分が優位に立っていなきゃ出ない言葉だろ?
おじ様は可哀想って私のことを言うけれど、でもちゃんと私のことを大切に大切にしてくれている。
目の前のクソ女のように、優位に立っているからじゃない。
確かにあの人はこの国じゃ一番の嫌われ者だよ、でも私には誰よりも優しくて本当の父親のように愛してくれているよ。
知った口を利くんじゃねーよクソ女。
……と、言ってやりたい、でも人間って本当にやばい場面じゃ口が上手く動かないもんだな。
もしも、ここで殺されるなら何か一言言ってやりたい。
「……な、よ」
「なんです姫様、ああ、お飾りですものね。なんと呼べばよろしいです?」
「知った口を利くなよっつったんだよクソ女!!」
「は……は!?クソ!?クソ女!?」
「お前以外にこの場のどこにクソ女がいるんだよ!!どの目線に立って人のこと可哀想っつってんだ!私は自分が可哀想だなんてひとっことも言ったこともねーし思ったこともねーんだよ!!」
「はしたないですわ姫様!一体どこでそのようなお言葉を……!」
「はァー?元々ですけどォ?元々こうですけどォ?人のことを繊細だなんだの好き勝手に言ってるけどな、元々こうなの!でもこうしたらおじ様が卒倒しちゃうでしょ!考えてんの!!空気読めるから!お前みてーに空気の読めなさナンバーワンじゃねーから!!それにてめーの言葉にこれっっっぽっちも傷つかねェからな!残念だったなクソ女!!まったくどいつもこいつも色眼鏡でみやがってさァ!!色がわからねェ私への当て付けか!!てめーに教える名前はねーんだよばーか!」
「きゃっ……!」
そう言って思い切りクソ女に墨が入ったままの硯を投げつけた、ごめんね!硯!君の勇姿は忘れない!後でうんと磨いて綺麗にするね!!
見事に女の頭にヒットして、ついでに墨で視界が潰れた隙をついて急いで立ち上がって部屋の外へと障子に手をかけた。
「何かあるとは思っていたが、ひでェ素だな」
障子が開く前に、その横の障子が蹴り飛ばされたのはなぜでしょうか。
外れた障子が飛んで、追い討ちをかけるかのように女に当たる。
それで女はノックアウト、ちょっとざまーみろと思ってしまった。
恐る恐る視線を上げれば、手に小さなお盆を持ったキングが。
……やっべ、今の全部聞かれてたわこれ。
命の危機からは脱したのに別の危機。
何かされるんじゃないかとダラダラ冷や汗が流れる。
大きな音を聞きつけてやってきたのは多分キングの部下で、キングが「オロチのところの姫様が殺されかけた。その女拘束しておけ」と指示を出した。
速やかに伸びた女が拘束されて連れ出される。
それだけでも安心して息を吐き、へなへなとその場に座り込んだ。
こっ……わ……
怖かった。
いや、本当に、冗談抜きで、怖かった。
人って怖いんだ、わかってはいたはずなんだけどな。
おじ様が将軍になってどのくらい過ぎた?
あの女が侍女として城で勤めてどのくらい経っていた?
長い年月とは、人を変えるんじゃなかったか。
なんだこの国、マジでクソ。
しかも私は何もやってないはずなのに、そりゃあ無関係ではないけれど、間接的におじ様を脅かしに来やがったよ。
あー、口調、口調がいつものなんちゃって姫様に戻らない。
そうだよ、これが私だよ、知ってた。
蹲った私に合わせてキングが膝をついて大きな手で背を撫でる。
「怪我はねェな」
言葉が上手く出ないので何度か首を縦に振った。
怖かった、怖かった。
死ぬかと思った。
カタカタと震える体をどうにかしようと情けなくも自分の体を抱きしめる。
いろいろと口走った自覚もあるけれど、そんなの今はどうでもいい。
どうしよう、花の都に戻ってもこういう目に遭うんじゃないだろうか。
だって、恨んでいる人間の方が多いもの。
私は何もやってない、良くも悪くも、何もしていないのに。
なんで?なんでただそこにいただけで殺されそうにならなきゃいけないの?
揚げ足取りをするのなら、最初に石を投げたのはあなたたちだろう?
因果応報という言葉をご存知でない?教えてやろうか?
無知で幼稚で周りも見えない愚か者しかいないのか、この国は。
おじ様がこの国を滅ぼそうとする気持ちがよくわかる。
凄くわかる。
恨みはらさでおくべきか、ってよく言うじゃない。
でも、同じになりたくない、そんな人間たちのような人間には、なりたくない。
誰かを何かを恨みながら生きるのは、苦しいから。
おじ様だって、そうやって生きているから。
私は苦しまないようにって、おじ様は生きているから。
「……この国クソかよ」
「……」
答えは返ってこない。
黒炭の女の子
なんちゃって転生者。
狂死郎になんか勘繰られてストレスだー!のところに侍女だと思っていた人に殺されそうになってSAN値チェック状態。
改めてこの国クソかよと実感。
多分しばらく花の都には帰らない、怖いもの。
狂死郎
いろいろ思うことがあって姫様とお話した人。
もしかしてバレている……!?と絶賛勘違い中。
大丈夫、何もわかってないから。
キング
荒れてるなー、くらいに思って気を利かせて女子供の好きそうな甘味を持ってきたら修羅場だった。
ストレス全部吐き出すかのような言葉にひでェ素だなと思いつつもちゃんと助けた。
そりゃ帰らねェよな、とちょっと同情している。
侍女だった人
何年も何年も、オロチを討つために潜り込んでいた。
オロチもいないし、キングもいないから絶好の機会と思って襲撃したけど硯を投げられるわ障子にぶつかるわ散々な目に遭った。
この後?花の都に連れていかれて拷問受けて処刑されるんじゃないかな?
黒炭オロチ
可愛い姪がどんな目に遭ったか聞いて激おこ。