女がいくらオロチを慕っていようと関係ねェな。
前からわかってはいたことだった。
おじ様おじ様と、ワノ国では誰よりも何よりも嫌われ憎まれ恨まれているオロチを慕っているのだから。
本人もオロチからはそれはそれは大層大事にされている、だからと言って気遣うつもりもない。
大事にしているのなら、カイドウさんの頼みに首を縦に振らなきゃよかった。
おれに会わせなきゃよかった。
その果てが、これなのだから。
オロチがガキを手に磔を用意しろと口にする。
隣の女は心配そうにオロチを見ている。
ガキを心配しているんじゃねェなあれは、あの女の優先順位はいつだってオロチが一番上だ。
気に入らねェ、とは思わない。
奪えばいい話だ。
どんな手を使っても欲しいと思ったモンは力ずくで奪い取る。
海賊ってのはそういうものだ。
それに、ワノ国で男が女へ簪を贈る意味を知らないわけじゃねェ。
そういうこと。
そういうことだ。
選んだ花も、そういうこと。
らしくねェのもわかっている。
そうさせようと思わせた、あの女と会わせたオロチの自業自得。
まだ協力者だと思ってんならなんてお気楽なことか。
そこがバカ殿だと呼ばれる由縁だとすれば皮肉なモンだな。
カイドウさんとクイーン、ジャックと共にステージでカイドウさんの言う「重大発表」に耳を傾ける。
少し離れたところにいる女に目を向ければ、不思議そうに目を擦る女が見えた。
わかってねェだろうな、さっき何が入っているものを飲んだのか。
あくまで保険だ、あの女なら何をするかわからないからな。
……まあ、大したことができるわけがねェだろうが。
いくら自分を殺そうとする女に啖呵を切れる勢いを隠し持っていても、所詮蝶よ花よと育てられたただの絵描きの女。
何もできねェ、できるのは吼えることだけだ。
今度からはいくらこっちへまだ敵意がなくとも差し出されたモンは無闇矢鱈に受け取って口にするなと言っておこう。
カイドウさんがオロチの部下に選択を迫ればオロチの顔色を変え、声を荒げる。
そもそも誰のおかげでてめェはその場所にいられると思ってんだ。
腰から提げていた刀をカイドウさんが握れるように柄を向ければ、カイドウさんは躊躇いなくそれを抜くとそのまま一閃してオロチの首を落とした。
「……は……?」
騒がしくなるライブフロア、悲鳴や戸惑い、果てに笑い声も上がる。
その中で、女が呆然と息を零した音はやけに通って聞こえた。
ちらりと盗み見れば灰色の瞳は見開かれ、ただでさえ白い顔が青白くなる。
何か叫ぶか、嘆くか。
そのどちらでもなく、女は立ち上がるとオロチに駆け寄ろうと足を踏み出した。
「おじ様!!」
近づけさせるなよ、とカイドウさんが呟いたのに合わせてその女の体を抱き上げて押さえ込めば、少し潤む目でおれを睨みつける。
そういう顔もできるんだな。
再びカイドウさんがオロチの部下に選択を迫り、この国の将軍をヤマトにすると高らかに告げれば忍や侍といったオロチの部下はあっさりとカイドウさんの部下になることを宣言した。
「……はァ?」
……なんか、ドスの効いた低い声がしたんだが?
おれを睨んでいた女はすんと表情を消し、恐ろしく冷たい目をカイドウさんに向ける。
思っていた反応とは違うような……
何もできないだろうが、おれはこの女の素を知っている。
黙ったままの女じゃねェと。
すう、と女は息を吸い、それから口を開いた。
「てめーに黒炭も光月も関係ねェようにこっちだっててめーのことは関係ねェんだよばァーか!!」
「……は!?」
やりやがった……黙ったままじゃねェ予想は当たっていた。
まさかのか弱いただの姫様だと思っていた女からそんな大きな声で馬鹿と言われりゃカイドウさんだってびっくりするよな。
「お前あってこそのおじ様の立場と同時にてめーだっておじ様あってこそこの国で悠々自適に過ごしていたんだろうが!!道理がねェんだよクソ野郎!おじ様が殺されるならてめーは相応しくない!!不相応!!まっっっったく持ってそんな大役は力不足にも程がある!弁えろハゲ!!」
「は、ハゲだァァァァ!?」
「何が四皇だ!!おじ様が殺されるならてめーなんかじゃなくて光月に決まってんだろーが常識的に考えて!そんなのもわかんねーのか鰻野郎!!お前ら忍も侍も同じだクソッタレ!どんなにおじ様がバカ殿だ悪将軍だ言われてもてめーらが選んで仕えたんだろうが!!嫌なら最初からおじ様に抗え!抗って死ね!!手のひらクルーすんなら忍も侍も名乗るのやめて裏切り安売り中の旗でも掲げとけ!てめーら全員そんな大層な肩書きなんて似合わねェんだよカァース!!」
しん、と静まり返るライブフロア。
女の剣幕に気圧されて黙らせることも躊躇ってしまった。
いや、だってな?
か弱いだの儚いだの言われていた姫様のこの正論暴言オンパレードは誰にでも刺さる、おれもちょっと刺さった。
えっ、おま、それ本当にあの姫様?とカイドウさんがおれと女を見比べる。
残念なことにこれがこの女のありのままで、でもおれはその女に思った以上に入れ込んでいるわけで。
まだ言い足りないのか女はおれの腕から抜け出そうとするが、突然女から力が抜けた。
「……なんか、一服盛りやがったな」
本当に、頭はキレる。
味の濃い飲み物に混ぜるように指示をしたが、それでも薬の味は誤魔化されなかったらしいと部下から報告は受けている。
おれなりの優しさだったんだがな、全部飲んでりゃおじ様の首を斬り落とされる瞬間なんて見もせずに済んだだろうに。
飲ませたのは睡眠薬と少し眩暈が起こるだろう薬だ。
効果が早い薬が先に効いて眩暈が先に起こり、気分が優れないからと休めば睡眠薬の効果で明日の朝までは眠っていたはず。
ほんの一口じゃ思ったよりも効果はなさそうだが。
眩暈と少しの眠気に襲われている女を待機させていた部下を呼んで引き渡した。
丁重に扱えよと釘を刺せば部下は女を抱える。
最後に目が合った女は忌々しそうに顔を歪め、揃って女を見るカイドウさん、おれ、クイーン、ジャックに右手の中指を立てた。
あー、ああいう気の強いところはいいな躾がいがあって。
「……えっ、偽者じゃねェのか?」
「残念だがあれは本人だな」
嘘だろ、とおれ以外が呆然と呟き、カイドウさんは気を取り直したように磔にされているガキに名前を問う。
……まあ、全てが終わったら顔くらい出してやるか。
その時はどんな顔をするだろうか、どんな言葉を口にするだろうか。
大切なおじ様を殺されて、恨み言を吐きながら泣きそうに顔を歪めるのだろうか。
もちろんあいつが笑った顔の方が好みだが、そこまで感情を顕にしない女が感情のままに表情を変え、普段の振る舞いからは想像できない口の悪さが見られると思うと、それすらも好ましく愛おしいと思うのだ。
マジであの鰻野郎許さねー、鰻のくせに鯰髭しやがって。
放り込まれた、ってことはなく手と足を細い鎖で拘束されて連れて行かれたのはあの座敷牢だった。
まだ残してるのかよ……こっわ……
絶対なにか盛られたし、あのジュースの苦味はそれだろ。
「……おじ様」
頭にこびり付いている。
カイドウが振り下ろす鋭い切っ先、声も上げられずに落ちたおじ様の首。
痛くは、なかっただろうか。
鋭い刃で首を斬り落とされると痛みは感じないと言うけれど、それだけが唯一の救いかな。
ぽろぽろと目から涙が溢れ落ちる。
泣くな、まだ泣くな。
今泣いたって、後に泣いたって何も変わらない。
つけ込ませるな、泣いているってだけで人間は、人の死を悼みもしない人間はつけ込んでくる。
泣くなら全部終わってからだ、終わらせてたまるか。
首だけでもいい、おじ様はこんなところで眠らせるのは似合わない。
カイドウにも言ったけど、もしもおじ様が殺されるならあんな海賊風情じゃなくて光月の侍だった。
だったら、ワノ国の本土でどんなに国民から詰られようが責められようが、ワノ国で眠った方がいいに決まっている。
私がやること、なんとかして、おじ様の首だけでも本土へ持ち帰ること。
主君が死んだ途端に堂々と手のひら返した耳たぶクソ野郎は当てにならねェ、自分でやらないと。
加えてあのジュースに何か盛られていたからか、眩暈と眠気が酷い。
多分睡眠薬みたいなものを盛られたなこれ。
あの苦味は薬の苦味か、一口で済んでよかったかも。
たくさん水飲んで出せれば一番だけど、そんな都合よく大量に飲み水ないしな……
動けなくはない、眩暈と眠気が酷いだけで。
寝たらだめだ、本当にしばらく起きれなさそうだもん。
あとこの鎖、細いのにやけに頑丈だ。
……本来なら、詰んだ!って叫びたいけど詰むなよ私。
まずは鎖を外すことを考えないと。
何かないかなと周りを見渡せば、座敷牢の中には私が絵を描くのに使っていた道具がいくつかそのまま残されていた。
頼むから残っていてくれよと思いながら文机を見れば、そこには乾燥したままの膠が。
飲み水程はないけど瓶に入った水もある。
あとはお湯があればもっと早い。
文机の横には火鉢、火は……ついてる!ラッキー!
瓶にこれでもかと膠を目いっぱい入れて、それから火鉢の中でたまに火が弾ける炭の上に置いた。
こんだけ丈夫なら火で割れることはないでしょ、多分。
「あちっ」
思ったよりも早く瓶の中の水が沸騰したのを見てその瓶を火鉢の外に下ろす。
それから膠匙を手にして中身を攪拌した。
いつもは前日に水につけて溶かすけれど、今はとにかく時間短縮!
まだ膠の形は残っているけど、水が粘ついてきたのを確認して今度はそれを文机の上へ。
マジで頼むよ膠先輩。
瓶を倒して、粘ついた液体が文机を伝って落ちていく。
そこに両手を出して熱い液体に耐えて両手首を濡らし、ぬるつく手首を勢いよく引けば片方が鎖から抜けた。
片方抜けりゃこっちのもん、手錠じゃなくてよかったわ。
同じ要領で足首も膠液で浸して足を引けば多少皮膚を擦りながらも抜け出せる。
手首と足首がちょっと擦れてしまったし、膠液は熱いし沁みるけど、仕方ない。
着物の袖で手首と足首を拭い、袖にしまっていた襷をかけて袖を纏めた。
「一番の問題はこれなんだよな……」
馬鹿でけー牢、木製ではあるけど格子から私の体が抜け出せたことはない。
肩で詰まるもんな、かといって体全体を膠液で濡らせるほど膠液は多くない。
せめて錠前が近ければいいんだけど、カイドウやキングくらいでかくないと届かない、錠前近けりゃ適当にいろんなものとか使って外せたかもなんだよな。
よじ登る?いやいや体力はそんなにないしそもそも眩暈はまだするから途中で落っこちて怪我するだろうな。
……誰か、呼ぶ?
誰を?私に呼べる名前なんてあるか?ねェんだよ、気軽に助けを求められる名前なんてさ。
だって、聞こえてくる騒ぎから推測して、来たのは光月の侍でしょう?
私が何もしてなくても、黒炭を助けると思う?
思わねーわ、誰でもわかるっての。
この国の人間には、どちらにも期待なんかしていない。
……となると、やっぱり自力だな。
じくじく痛む手首と足首のおかげで眠気はいくらかマシだ。
「……火鉢ひっくり返して燃えるかな」
もう木製なら燃やしちまえ!
全部燃えなくていい、私が通れるくらいになれば大丈夫。
幸い、火鉢もあるし火にくべられそうな紙もある。
……絵描きからしたら、ちょっと心苦しいけれどね。
火鉢の外側は思ったより熱くないし、ただ重いだけなので上手いこと格子まで引きずってそのまま格子に向けてひっくり返す。
炭だけだと燃えてもたかが知れてるから間髪入れずに文机にあった紙を置いた。
眩暈が治まるまではあまり立たない方がいいだろうと判断して、なるべく床に腰を下ろしてただ紙をくべていく。
……来るんじゃなかった。
贈り物をされて浮かれていたんだ、私。
もうちょいさ、考えてみりゃよかったじゃん。
相手は海賊、私は世間知らずの姫様。
そりゃ簡単だよね、ころころころころ、手のひらで転がすのって。
同時に疑問もある。
あそこでおじ様を殺すなら、私だって簡単に殺せたはずなのになんで殺さなかったのか。
そもそもがさ、おじ様が用済みなのだとしたら私なんてもっと要らないじゃん。
わかんねーしわかりたいと今は思わねーわ。
髪を纏めていた簪を抜けばはらりと髪は解ける。
ワノ国で男が女へ簪を贈る意味、まあ海賊だもんね、そんなの知らないよね。
段々と勢いを増す炎にぶち込んでやろうかとも思ったけど、簪自体には罪はないし、せっかく綺麗なのに燃やしたら可哀想だし、そう理由をつけて懐へしまいこんだ。
さあ、そうしているうちに火は炎になって、格子を一本燃やし尽くしていたので今度は燃えて脆くなった格子を壊そうと意を決する。
大丈夫、熱くないと思えば熱くない、いや、怖いですよそりゃ、決めたところで熱いし痛いのは目に見えているもん。
立ち上がって息を吐いた。
よし、行くぞ!
……と、思って走り出そうとしたら突然地響きがして揺れた。
「なになになになに、地震?」
思わずぺたんと尻もちをついたけど、燃えていた格子が崩れるのが見える。
地震があったのはともかく、崩れたのはラッキーかな。
よいしょっ、声を出して崩れたところを潜れば、ほら座敷牢から抜け出せた。
ちょっと足下が火で軽い火傷はしたけど、眠気覚ましと思えば問題ない。
……おじ様を、首だけでも迎えに行こう。
帰り方はとりあえずその時に……あ、なんかカイドウが花の都に移すって言ってたような……?
……何を?この鬼ヶ島って、言ってなかった?
どうやって……?
いや、どういうやり方でもいい。
おじ様の首を確保して、それからその移動が終わるまで隠れる、それなら私にもできるはず。
海に出たところで舵の切り方がわからないんだから、それならいける。
まずはおじ様の首、それから隠れて、何をどうか知らんけど花の都に移ったらここから抜け出す、それでいこう。
隠れるまでも、隠れてからもだけど、海賊にも侍にも忍にも見つかっちゃだめだ。
大丈夫、怖いけど、足は止めないで行ける。
見つかった時のことは考えるな、隠れればいいんだから。
息を潜めて、正義感が強いだけの理不尽から両親が逃げていた時のように、私を守ってくれたように。
「待っててね、おじ様」
海賊も侍も忍も好き勝手していればいいよ。
私も好きに動くから。
大きな襖を開けて、周りを見渡しながら走り出した。
黒炭の女の子
なんちゃって転生者。
目の前でオロチの首が斬り落とされる瞬間を見て取り乱しつつも正論暴言オンパレードを決めた。
もうこうなりゃやりたいことやるわ精神。
どうにでもなれ精神は今はなりを潜めている、終わってからどうにでもなればいい。
キングが自分をどう思っているかなんて知らない。
浮かれていた自分が馬鹿みたいだよね。
キング
姫様に薬を盛る用意周到さを披露した人、優しさだよ優しさ。
黙ったままじゃねェだろうなと思ったら本当に黙ったままじゃない姫様の姿に納得しつつも正論暴言オンパレードだったのでちょっと刺さった、でもな、一番大切なおじ様はもういねェからもういいだろ?
女の子への想いは重いだろうしちょっと歪んでいるかもしれない。
好ましく愛おしく思っているのも本当、簪を贈る意味だってわかっている。
それが全部伝わっているかは別として。
カイドウ
クソ野郎だ鰻野郎だ散々言われた人。
まさかそんなキレ方するなんて思わなくて一瞬放心した。
えっ、本当にそれ姫様か?
残念ながら本当にみんながか弱いだなんだ言っていた姫様ですよ。
年とか状況とか違えば癖に刺さっていたかもしれない。
黒炭オロチ
首を斬り落とされたがまだ生きている。
自分の可愛がっている女の子が正論暴言オンパレードしたか把握しているかわからない。
福ロクジュ
姫様の正論暴言オンパレードにびっくりしたものの、内心「立派になられて……!」と感涙していたかもしれない。