電脳世界の幽霊少女①

──いいなぁ、ずるいなぁ。
声が聞こえる。
──わたしと同じ顔なのに、あなたもわたしなのに。
この声の主を、私は知っている。
──ねえ、わたしとその場所、とりかえっこしよう?
この声は、〝私〟の声だ。
──いいよね、あなたもわたしだもん。
でも私、こんなに恨みつらみを詰め込んだ声なんて出せない。
──わたしにぜぇんぶ、ちょおだい?
やめて、とっていかないで。

電脳世界に幽霊が出るんだって、知ってる?

「電脳世界に幽霊なんて出るわけないのにね、だってデータが集まっているだけなのにさ。もちろんAIを活かしたナビは別だけど」

人間のデータもそこへ行けるし無事に帰ってこれるんですよ、なんて心の中でクラスメイトの会話に横入りしながら帰りの支度をする。
今日は定期健診だ、忘れ物がないように鞄を確認してクラスメイトたちにまたね、と声をかけて教室を出た。
予定の時間まではまだまだ余裕がある、ゆっくりと歩きながらPETを取り出して今日出された宿題を確認すべく画面の中でメールの選別をしているBGくんに声をかける。

『数学と現代文だ。向こうで健診中にやるだろうからこちらに分けておいた』

「さっすがBGくん!頼りになるぅ」

BGくん、ビージーくん。
私のPETで私のサポートをしてくれるナビだ。
正確には私のナビではなくて、お父さんとお母さんが私を守ってくれるからと小さな頃から傍に置いてくれたお父さんとお母さんのナビ。
譲り受けた、とはまた違う感じがするし、ナビとはいえ物のように扱うのもなんか違う気がするんだよなぁ。
ボディーガードから冠してBGくん、こっちの呼び方の方が堅苦しくないよね。
科学省へ向かう道すがら、今日の空は綺麗な青空だな、雲が白いな、ツバメが飛んでいるな、なんて景色を見ておく。
……健診中、向こうで彼に会えたら話すことは多い方がいい。
こちらのことに興味はないかもしれなくても、私になんだかんだ構ってくれる時は聞いてくれるから。
毎回会えるわけじゃないけどね。
科学省に到着し、受付で入館受付をして来館者用のIDカードを首から提げる。
後頭部にある端子に引っ掛からないように髪を直して、光博士のいるフロアへと向かった。

「光博士、こんにちは。今日もよろしくお願いします」

「やあ名前ちゃん。学校お疲れ様」

「父と母は今日いないんですか?」

「あれ、聞いてなかったかい?急遽アメロッパで研修が入ったから昼前に出発したよ」

あれま。
手にしているPETから『昼休みにメールを確認した方がいいのでは?とオレは言ったぞお嬢』と溜め息交じりに聞こえる。
言われたような、言われてないような……
急いでPETのメールフォルダを確認すると、重要だと思われる順に並んでおり、一番上は父と母からのメール。
なになに……?
『急にアメロッパの研修が入ってしまったので母さんと行ってきます。三日後には帰国する予定です。お土産たくさん買ってくるからいい子にな』
本当だ、母からは戸締りしっかりねとメッセージが入っていた。

「あちゃぁ、私の確認ミスです」

「ははは、学業に専念していたってことじゃないかな?さて、準備はできたから横になって。ドクターも君がプラグインしたらすぐ来るって言っていたよ」

「はい光博士。BGくん、先に行っててね」

いつものようにPETをパソコンに向けてBGくんをプラグインさせる。
それから私は用意されている診察台に腰かけ、後頭部の端子のカバーを外した。
なるべく埃や水滴の侵入、破損をしないようにつけているカバーは、私の髪と同じ色をしているからポニーテールみたいに髪を上げない限り目立たない。
同時に電子機器の電波も遮断しているから端子は壊れにくいけれど、あいにく私は生身の人間だし今では普通に生活を送っているから定期的なメンテナンスと健診が必要なわけだ。

「先生にはもっと可愛いカバーが欲しいって伝えておいてもらえますか?」

「言うだけね」

光博士は苦笑し、カバーをデスクに置く。
それと入れ違いにプラグを挿し込まれたのでそのまま頭を所定の位置へ置くように横になった。
始めるよ、という博士の言葉に頷いて目を閉じる。
いつの間にか怖いと思っていた感覚は不思議と慣れてしまった。
知ってる?ナビがPETから電脳世界へプラグインする時の感覚。
まるで、そう。
高速で、いや光速で落ちていくような、そんな感覚。
博士が操作する機械から起動を知らせる音が鳴ったと同時に私の意識が体から引き離される。
明るい膨大なデータの道を落ちていくような、もしくはリニアと同じ速度を味わっているような。
次の瞬間には見慣れた空間にいた。
私の体が、電脳世界での体が構成されていく。
それなりにあった身長は低く、お気に入りの制服のリボンはなくなって、代わりに大きなリボンが髪を留めて。
ふくふくとした柔らかい手、青いワンピース。
距離感を取ろうと手を伸ばせばそれをBGくんが取ってくれた。

「ありがとうBGくん」

「ここでだって転んだら痛いんだ、それは嫌だろう」

私を抱え上げると、この体に異常がないか確かめるようにBGくんが背中に手を当てる。
そう、電脳世界では五歳の頃の姿をしているから。

「学校の宿題が終わったら遊びに行くんだろう?今のうちにこれを」

「うん、ちゃんと持っておくね」

BGくんから渡されたのはバトルチップだ。
決してウイルスを駆除したり、他のナビと戦うわけじゃない。
念のためだ。
逆に一方的に攻撃される可能性もあるから自分の身を守るためのもの。
リカバリー、バリア、カワリミ、トップウ……幼い姿でも問題なく使える。
それをリボンに読み込ませて収納しておいた、いやあ、こういう時だとこの体便利だなって思うよ。
さて、準備が完了したところでBGくんが私を椅子の上に下ろした。
私はBGくんにありがとうと声をかけ、それからデータを開く。
学校の宿題だ、健診中でもこうやってできるのはとても助かるよね。
時間の有効活用、大事。
現代文は来週で大丈夫だから数学だけ終わらせてしまおう。
明日の授業で当たる可能性あるんだよねぇ……
数学の先生、言い方がきついから苦手なんだよ……いやいい先生だけどね?
終わったらどこに遊びに行こうかな、なんて考えながら数学の問題に向き合った。

ほんの少ししたら、真っ暗なところで苦しむなんて知らず。

2024年10月7日