「桜の木の下には死体が埋まっているそうですよ」
ご存知でしたか?
そんな抑揚のない声で発された女の言葉に噎せた。
おれじゃねェ、カイドウさんが。
目の前に絵描き道具を広げた女は休憩とばかりに桜餅を頬張り、噎せたカイドウさんを見て小さく「うわ」と呟く。
今描いている題材だからってそれはねェ、女もだがカイドウさんが酒のあてにそれを食っているからってそれはねェ。
悪気もなにもない、ただ手元に話の種になりそうなモンがあるからこその話題の選択か。
手にそれを持っていたカイドウさんはやや叩きつけるようにそれを皿に戻すと、なんとも言えない顔で女に視線を向けた。
女は女で自分の持つそれになにも抵抗感を抱いていないのか、色や形を観察するように見てからついている葉も一緒に口へ運ぶ。
「そんな話聞いたことねえぞ」
「桜って綺麗ですよね」
「おい聞いてんのか」
「まるで、そう……命を吸い上げていてもおかしくないような、そんな恐ろしいと思うような美しさがある」
まあ、私は実際に掘って確認したことはないのですけれど。
そんな恐ろしい話があってたまるか。
ならなんだ、今カイドウさんと女が食った桜餅はどうなんだ。
女としてはただの世間話、カイドウさんとおれからしたら初めて聞く伝承。
湯呑を手にした女がカイドウさんとおれを見て、それから色素の薄い目を少し、ほんの少しだけきゅうと細めた。
「噂ですよ、噂。でも」
火のないところに煙は立たないって言いますでしょう?
肌を晒していないのに、背筋がすぅっと冷えていく感覚が襲う。
ああこれはあれだな。
久しく感じていなかった、恐怖だ。
息を飲むおれの隣ではカイドウさんが固まっている。
このお茶と桜餅美味しい、と呑気に呟く女に何か言ってやろうと口を開いたが、言葉にならずそのまま閉じた。
桜の木の下に死体が埋まってるわけないじゃん、でっけー体してんのに繊細さんか。
事の発端は数日前に私がカイドウとキングの前で桜餅をもっちもち頬張りながら上げた話題だ。
なんでも、あれ以降カイドウは鬼ヶ島に桜の木がないか確認してあったら引っこ抜いて死体がないか見ている、らしい。
そもそも埋まっていたら成長と共に幹の方に上がるんじゃないかな、詳しくはないけど。
季節は春、けれどこの鬼ヶ島は寒い。
咲いているならワノ国本土だと思うんだけどな、鬼ヶ島で桜の木を見た覚えはない。
なんであの話をしたのかって、食べていたのが桜餅で、描いていたのが桜で、偶然だ偶然。
しかもこのワノ国にそんな噂はない、前世で読んだ本の話だ。
その本の話だってうろ覚えだよ。
さて、そろそろ絵に取りかからないと。
桜の咲く季節になるし、桜の絵を描こうと思って硯に墨を滑らせる。
今回は水を調整しながら描こう。
影がはっきりしているかしていないかで、季節の陽の光は表現できる。
けれど桜をモノクロで描くならはっきりした花弁ではちょっとこれじゃない感が出てしまうからな……
葉が落ちるのと花が散るのでは音が違うのと一緒、伝われ。
うーん……先に花を描くか、それから木の幹と影を描いて……桜の木を描くのと、アップして花も描こう。
メジロを添えてもいいかもしれない、花の蜜を吸いに鳥たちも集まってくるのだし。
なんとなくの構図を頭の中で整理して畳に紙を広げ、手にした筆の穂先を濡らしてから墨に浸した時だ。
部屋の外からズカズカと歩いてくるような、少し苛立たしげな乱暴か足音が聞こえてきた。
……多分キングかな、カイドウが来る時はもっと重さがあったはず。
なんでこんな乱暴に歩いてんだろ。
入るぞ、と私が答える前にやっぱり乱暴に襖が開かれる。
部屋に入らず、キングは私と目が合うと少し怒ったように声を荒らげた。
「桜の木の下に死体なんてねえじゃねェか……!」
……あらやだ、信じてたの?
あらあらー、なんて口元を手で押さえればドス、と鈍い音を立てて目の前に何かが置かれる。
ひらりと視界に入る薄い花びらと、鼻を擽る土の匂い。
言われなくても何色かわかる。
きっと淡い色をしている、薄紅色の桜。
なんで鈍い音がしたのかって?
ほら、キングってめちゃくちゃでかいじゃない?
普通の桜の木よりでかいじゃない?
「……まさか本当にわざわざ引き抜いて確かめたんですか?」
目の前に根っこから引っこ抜かれた桜の木が置かれるかと誰が思うか。
マジかよ、と正直ドン引きしたしなんか可愛いところがあるなとは思ってしまった。
「噂でもないな、お前の作り話だ」
しかもわざわざ誰かに確認しているわこれ。
自然とにやけそうな顔にならないように唇に力を入れて噛み締める。
付き合いが長くなってきたからか、そんな私の表情に気づいたキングがイライラしてますよと言わんばかりに大きな翼をばさばさと動かした。
いやだってただの小娘の戯言を信じるのも大概じゃん?
ひらひらと散っている花びらが墨に浸るのは可哀想なので、真っ白の紙はそのままに硯と筆は邪魔にならないように文机の下にそっと置く。
「作り話……としても実行するくらい、その桜が綺麗だったってことでしょう?」
「……」
図星だなこれは。
そういう感性はあるんですね、と言外でも伝わっただろうか。
いやあれだね、物理的にはどうやったって敵わないのでこうして私の言うことに右往左往しているのは見ていてちょっと面白い。
作り話のつもりはなかったんだけどね、まあ元ネタを知るのは私だけだから仕方ないか。
実際、前のあの世界では検証とまではいかないけれど考察している人はいたな。
結論としては死体の養分で桜を成長させるより、ちゃんとした栄養剤を使った方がコスパもいいんだっけ。
そんなことを思い出していると、フッと影が落ちる。
キングが私の目の前に置いた桜の木を持ち上げて私の頭上に移動させた。
いや、いやいや、さすがにそれはやめてよ?さすがに私に落とすのはやめてよ?マジで。
相変わらずの悪趣味なマスクで表情はわからないけど、なんとなくわかる、多分、いや絶対悪い顔して笑ってる。
だってほら、目が弓形に細いもん。
ちょっと待ってください。
なんて言葉は私の口から零れるもキングに届くことはなく。
私の視界を覆ったのは、大量の桜の花びらだった。
わかりやすく不機嫌な顔をしている女の髪についている花びらをひとつひとつ取っていく。
こんもりとした桜の花びらでつくられた山から顔を出した女は、それはそれは怒り心頭なのだろうな。
言い訳をするならこれは女の話がスタートではあるが……いやこの分じゃずっとへそ曲がりだ。
……多少は大人げなかったかもしれねェか。
引っこ抜いてそのまま持ってきた桜の木を女の上で遠慮なく振ったら思った以上に女の頭から花びらが降り注ぐこととなった。
加減ってもんがあるでしょうが!と案の定、女はキレたが。
女の言うこともわかる。
色を認識できないこいつが美しいんだと、綺麗だと言うほどだ。
人の命を吸い取るように咲き誇っているのではないかと錯覚してもおかしくない。
唇を尖らせている女の機嫌をとるように指の背をその頬に滑らせる。
「少し意地悪しただけだ、そう拗ねるな」
「拗ねますけど?桜は好きですけどこんな過剰にやられるのはちょっと……」
そうじゃないんですよ、と大きく息をつく女は形の残る花を手にするとしげしげと眺め、指先で花を回した。
何か考える素振りを見せると、耳に横髪をかけてそれをそのまま耳に引っ掛ける。
悪くない、似合っているな。
けれど、個人的に女に合うのはもっと鮮やかな色の花だ。
それこそ血のように鮮やかで濃い赤。
薔薇……はワノ国の人間に合わなさ過ぎる。
菊、赤い菊は似合うのだろう。
椿や彼岸花といった赤い花も似合うと思う。
「どうかしましたか?」
「いや……桜より、似合うモンがあるだろうと思っただけだ」
「はあ……」
そう言われても色なんてわからないし、なんて言いたそうな顔をしている。
そうだな……もしも、もしもだが何か贈り物をする時は鮮やかな色のものがいい。
白い肌に、白髪に、灰色の瞳に似合うだろう。
「キング様」
「なんだ」
「この桜どうするんです?」
「……」
「……」
女が細い指先で差すのは、おれが引っこ抜いてきた桜の木。
先程大きく振ってこの木だけ冬に逆戻りしたような、なかなか見ていて哀れに思う有様になっていた。
このまま室内に放置というわけにはいかない。
かといって、元の場所に戻すか?わざわざ?
面倒だな。
燃やすか……
手を出して燃やそうとすれば、女が「いやいやいやいや」と首を横に振る。
「ここ!室内です!」
「……そうだな」
「せめて外でやってください」
「……そっちか」
てっきり燃やすのは可哀想、そう言うと思っていたんだがな。
ああでも、そういうやつだった。
思うだけで言わない、もしくは仕方ないとでも思っているか。
おれの言いたいことに気づいたのか、女が「だって仕方ないのは事実でしょう?」と首を傾げた。
「元の場所に戻すにしたって、ただ引っこ抜いて来た方は懇切丁寧にはい元通りにしました、ってできなさそうなんで」
可哀想に、花が散るだけよかったのでしょうけど。
ふと、呟いた女がおれを見上げる。
「もしかしたら、幹から出てくるかもしれませんね」
「出てくる?」
「桜の木の下にある死体、成長して大きくなったらそのまま一緒に上へ上がりそうですから」
「……」
ちょっとした意地悪を言っただけですよ、と薄らと笑う女の顔を見て、これは燃やさず元の場所に戻した方がいいなと漠然と思った。
黒炭の女の子
なんちゃって転生者。
春だし桜と言えばあの話だなーって軽い気持ちで冒頭の話をした人。
別に怖がらせるつもりはなかった、こういう話があるんですよって紹介のつもりだった。
キング
怖がってはいない。
いないけど気味が悪いとは感じたかもしれない。
桜の枝を手折ろうとしたら桜の木一本丸々引っこ抜いてきそうなタイプ。
カイドウ
ビビっていない、だって最強生物。
でも気にはなったからウキウキしながら桜を掘り返すように指示を出していたかもしれない。