油断していた、と思う。
だって私はおじ様の、黒炭オロチの姪で。一応は姫様なんて持て囃されて、いろんな事情があってカイドウに鬼ヶ島に呼ばれたのがきっかけでキングにも呼ばれて頻繁に来て……
だから大丈夫だと思っていた。
そうだこいつら品のない、いや海賊に品の有無を聞くまでもないか、下っ端とはいえ海賊だった。
おじ様の名前がある程度の抑止力になるかと思ったけど、身の程を知らないクソ野郎はそんなものは関係ないんだろうな。
端的に言えば、最初は絡まれた。
呼ぶだけ呼んでおいて、なかなか部屋に来ないキングに文句の十個や百個は言ってやろうと思いながら一心不乱に墨を磨っている時だ。
知らないやつらがここの部屋の襖を開けたのは。
ここを誰が使っているのか知らない人間がいることにも驚いたし、さっさと出て行くだろうを高を括っていた私を後ろから引っ叩きたい。
そいつらはこの部屋がなんだだのお前は誰だのはたまた女にかける言葉にしては随分と不躾な言葉を口にした。
ああこれやべーやつ。
多分自分からキングを探しに行った方が安全だ、なんならカイドウでもいい、それなりに気に入られている自信はある。
自惚れだろうと罵られようがいい、自分の身の方が可愛いに決まっているだろこの状況。
海賊の男たちに姫様と持て囃されている女。
頭の悪いやつでも何をされるか察するっつーの。
にじり寄ってきた男たちに向けて墨を磨っていた硯を投げつけ、それから急いで立ち上がって走り出した。
ごめんよ硯……一度ならず二度までも……!
薄く開いていた大きな襖を開き、廊下に出たところで一歩甘かったのだと思い知らされる。
「このアマァ!」
「いっ……!」
靡いた髪を掴まれ、それをそのまま強く引っ張られた。
痛みと衝撃に耐えきれず、部屋に戻されるように倒れる。
この状況で何されるかわかんないやついるわけねえだろ!
全力で手と足をばたつかせて抵抗していると、頬に重い衝撃。
髪引っ張られたのなんてかわいいくらいだ、殴られた。
なんなら少しだけ血の味がする。
そういう衝撃を受けたのはいつ以来か、覚えていないくらい前なんじゃないか。
羽交い絞めにされ、ひとりが私の上に跨って襟に手をかける。
ええいせめて思いっきり大事なところ蹴り上げてやろ!
「てめェらおれの客人に随分行儀の悪ィことするじゃねえか、あァ?」
めっちゃくちゃひっくい、地を這うような声に男たちの動きが止まった。
こ、この声は……今なら救いに感じるこの声は……!
私のこと放っておいた冷たいキングじゃねーですか遅いんですよ。
何メートルだっけ、数メートル上からの見開かれた目に燃え上がる炎、威嚇するかのように広げられた翼。
その姿に男たちは青褪めて私の上から下り、手を離す。
離された瞬間、私は男たちを押しのけるように飛び起きてキングのところまで走った。
あーいろいろと危ない目に遭った……未遂でよかった……
髪引っ張られたし殴られたしちょっと着物も乱れたけど。
じんじんと熱を持つ頬を押さえながら乱れた襟を正していると、ごうっと熱風が吹き荒れた。
いや、正確には炎だった。
口にするのもアレなやつ、何も言わずにキングが男たちを燃やしたのだ。
人間発火器どころじゃない、というか茶化す気力もない。
初めて目の当たりにする悲惨な光景に目を逸らせば、こちらを見下ろしたキングが存外そっと私を拾い上げた。
腕に乗せるように体勢を整えると、何事かとやってきた部下の人たちに燃やしたものを片付けて私の荷物を持ってくるように指示を出す。
「少しは声くらい上げろ。おれの名前を知らねえわけじゃないだろうが」
「すみません、ありがとうございます」
「ああ、いや……おれも部屋に行くまで遅くなった、悪い。殴られた……か?」
私を抱えるのとは反対の手を伸ばし、指の背で私の頬に触れた。
唇の端も切れてそうだし、血が付きます、とやんわり押し返そうとしたけど全く離れん、どゆこと。
いいよなぁ……でっけーやつは力もあって。
しばらく歩くキングに任せたままでいると、着いたのは誰かの部屋だ。
私がいつも使わせてもらっている客室じゃない、というか多分キングの部屋では?
だって家具のサイズがでっかいもん。
キングはベッドに腰かけると膝の上に私を乗せる。
「痛みは?」
「とても痛いです」
「だろうな」
「わかるなら聞かなくてもいいのでは?」
ちょっと刺々しいのはご愛嬌。
悪かったよ、とキングは少し苦々しそうに呟いた。
それからというものの、思ったよりも手厚くキングに手当てをしてもらい、唇の切れたところに絆創膏みたいなものを貼ってもらって、またキングに抱えられて部屋を出た。
向かった先はさっきとは違うけど、ほとんど同じ内装の客室。
ここはさっきよりも奥にあるし、あの男たちがいい見せしめになったからもうああいうのは来ないだろうって。
……ああ、うん、そうですね。
似たようなことは前もあったし、不思議と前よりも怖くはない。
ない方がいいに決まっているけど。
さあ、いつものように絵を描きますか。
余談ではあるけれど、いつもなら離れたところから私を見ているのに今日は真横の至近距離でキングが見下ろしていたからなんだかそわそわしてしまったとだけ言っておく。
思ったよりもけろっとしている女の頬は痛々しかった。
同時にあそこで燃やすんじゃなくてできるだけあいつらを苦しませてから処分すればよかったと反省もしている。
大方、物珍しさにやってきて辱めようとしたんだろうが……あの女が抵抗したってところだな。
見間違いでなければ女は自分に跨った男を蹴り上げようとしていた、何を、というのは言わないでおく。
女の休憩に、普段はおれが甘味を取りに行っているが、今日はここにいた方が良さそうだな。
いくら姫様でも、あのオロチの姪でも、人並みに繊細なところは繊細だ。
襖を開き、待機していた部下に声をかけて指示すれば迅速に動いた。
数分後、部下が持ってきたのは花の都で人気だという和菓子と淹れたての茶。
……ふと柄にもなく悪戯心が芽生えたのでそのまま女の手が届く位置にトレーを置く。
夢中で描いてはいるものの、茶が入ったぞ、と声をかければありがとうございますと口にして湯呑へ手を伸ばした。
そしてそれを、熱々のそれを口にした瞬間。
「あっっっっつ!!いった!?」
「……っふ」
「おかしいでしょ!?そこは熱いから気をつけろよって言うところじゃないんですか!?こちとら口ん中も少し切れてるんですよ!!」
「いや……冷ましながら飲むと思っていたからな」
「絶対笑ってるでしょ!!確信犯っていうんですよキング様!」
全く!と怒りながら唇を尖らせてふうふうと茶を冷まそうとする女の姿に思わず笑ってしまう。
悪かったよ、と腫れていない頬に手の甲を滑らせれば拗ねたのか、ふいっとそっぽを向いてしまった。
……落ち込んだり塞ぎ込んだりしねえか心配だったが、この分なら平気だな。
少し幼さの残る女の姿にまた笑いを零せばか弱い平手がおれの膝を打った。