裏社会で生きてきた人間にはある種の毒みてえなモンなんだろうなと思った。
俺はまだ恵まれている。
自分の容姿や力を自覚して、親父に道を示してもらってここまで来た。
生まれた時から剣は身近にあったけれど、それで誰かの命を奪うことは強要されなかったし、今ここにいるのは俺がこういう生き方をしたいと思ったからここにいる。
けれど、ずっと腹の探り合いをしてきたような人間や、道具であることを求められていた人間はどうなんだろうか。
少なくとも俺は異常だと思った、ただのカタギの女の子を、一家全滅させて、その子の足も動かなくしてまで、囲ってしまうなんてのは。
「ケーキ食べたい、ふわふわのパンケーキ食べたい、プリンがいい、生クリームマシマシがいい、ヌン茶したい、榊くん買ってきて」
「無茶言うなよ」
ああ、強いんだな。
俺が抱いた感想に、お嬢は何言ってんだはよ買ってこいと言わんばかりの顔をした。
はいはい、全部は無理だけど。
ちょうど周防とお嬢の護衛を交代する時間だ。
他は?と訊けば「合う紅茶!」といつもよりはご機嫌な声で返事をする。
普通、こうまでして囲われてんなら近くにいる人間に対してビビるモンだと思ったんだけどな、いや、御前にはビビってんか。
あー……でも最近は少し軟化している、か?
本心から御前に安心感を抱いたんじゃねえ。
ストックホルム症候群ってやつ、誘拐犯に親しみを持つんだったか。
お嬢に言ったら否定するだろうし黙っておく。
衣食住全部を提供されて、割りと多い頻度で体を重ねているただの女の子だったお嬢は、なんであんなに自分でいられるんだろうなあ。
ああ、違うな、多分それだ。
御前がお嬢のそれに魅入られたんだ。
俺はそういうのはわっかんねーけど、御前とか、周防とか冬馬とか、裏社会にいる時間が長いやつを魅了してしまう何かがお嬢にはあんだろうな。
さて、お嬢のささやかでわがままな注文を叶えてやろうと、周防と交代してから少し多めに甘いモンを買ってきた。
ケーキとかプリンとかなら買えたけど、ふわふわのパンケーキは無理だっての。
それとクッキーとかチョコとか、これならお嬢の部屋でも保存できるから少しは気が紛れるだろ。
洋菓子が好きなお嬢には、毎日なにかしらおやつで出る和菓子じゃ満足しきれなかったらしい。
複雑そうな顔で「美味しいんだけどぉ……私ケーキとかパンケーキとか、そういうのが食べたい……」なんてぼやいていたのを周防が聞いてたんだとか。
つーか意外と周防ってお嬢のこと気に入っているよな、周防は認めねえだろうしお嬢は嫌な顔すんだろうけど。
「お嬢のパシリ……それはつまり糖分の大量買い出し」
「それお嬢に聞かれたら怒られんぞ」
「さっき言ったら座布団投げられた」
「ほら見ろ」
「ああ、でも今は行かない方がいい。御前が彼女のところに来ているからな」
お嬢の過ごす離れから少し離れた廊下で周防が視線を離れへ向ける。
ここから見えたのは、御前に膝枕をされて丸くなって目を閉じているお嬢だ。
遠目とはいえ、お嬢が穏やかな表情で御前の手を握り、御前もその手を柔らかく握り返してお嬢の髪を撫でている。
……お嬢と過ごす時は、表情も柔らかいんだよな。
人を見抜くような鋭く冷たい目ではない。
何かを慈しむような、愛でるような、そんな温かみのある目だ。
それにお嬢は気づいているのだろうか。
それとも気づいた上で受け入れているのだろうか。
本心では拒絶をしたくても、その冷たさに垣間見える温かさが心地いいのだろうか。
「……ふーん、じゃあこれは冷蔵庫に入れてもらうかな」
「少しは預かってやろうか。あとでお嬢の部屋にでも置いておくよ」
「勝手に食うと怒られっからな、食うなよ」
この前俺がそれやったらすっげー怒られたんだからな。
お嬢の部屋に置くはずだった菓子の入った紙袋を周防に預ける。
その場から離れる前にもう一度視線は御前とお嬢へ。
あったかそ、昼寝したくなってきた。
あんなに心地のいい陽だまりで寝るなんて、お嬢は気持ちよく寝てんだろうな。
そこに自分の人生をぐちゃぐちゃにした男がいても。
難しいこと考えんのやめよ、周防にもう一度絶対食うなよと念を押してその場から離れた。
