詐欺師の心刑事知らず

やらかした、と思ったのは割と早い段階でだった。
冷たい裂かれた感覚の後にじんじんと熱い痛み。
いつも悪態をつく部下が慌てた顔してた、冷静な同僚が泣きそうな顔してた。
私?私は私にこんなことしたやつの顔面を遠慮なくグーでぶん殴りましたとも。
それがかれこれ2時間程前。
逮捕した犯人の取り調べもさっき終わったし、医務室で応急処置もしてもらったし……ただ今日はアルコール禁止って言われた……そりゃ……血の巡り良くなって出血酷くなるけどさ……
溜め息を吐きながらスマートフォンに入った連絡に断りを入れる。
ごめん、今日は行けない。
ロッカーで汚れたジャケットから替えのジャケットに着替えて、汚れたものは持っていた紙袋に入れた。
そろそろ懇意にしているクリーニング屋さんは閉まった頃だろうか、家で簡単に汚れを落として明日クリーニングに出そう。
開いたロッカーにある備え付けの鏡を見ると、そこには私の顔……まあ、今は頬に血の滲むガーゼが貼ってあるけど。
ひっでえ顔。
少し隠したくて髪を下ろしているけれど、あまり意味無いかも。
明日も犯人の取り調べだから私が出よう、それはもう、八つ当たり兼ねてこてんぱんにしてやる。
後輩のようにそこまで口達者じゃないけれど後輩以上に威圧できる自信はあるしね。
ロッカーを出て、部署に寄って声をかけてから署を出るとポコポコとトークアプリにメッセージが入った。

『珍しいな何かあったか』
『明日雨降るんじゃないのか』
『悪ィがもう署の前にいるんだ』

ちょっと待て最後。
顔を上げて見渡すと、見慣れた黒いもふもふのコートとハット。
はやっ、なにあの人そんなに飲みたかったの?
ぱちりとあの人のサングラス越しに目が合った気がする。
さすがに署の敷地は申し訳ないから足早に天谷奴さんのところに駆け寄った。

「お疲れさん、お前さんが飲まないなんてめずらし……どうしたそれ」

いつもの不敵な笑みから一転、めちゃくちゃ怖い顔をして私の顔を下から覗き込む。
顔を逸らそうと思ったら器用にガーゼを避けて鷲掴みにされた。
……薄々思ってはいたけど、天谷奴さん絶対カタギじゃないと思うんだ……私が取り締まるような対象だと思うんだ……

「あー……今日の捕物で抵抗された結果というか……」

「……」

「出血酷くなるから今日はアルコール禁止令を出されたし、顔酷いのに会うのは申し訳なかったし……」

「……」

「……いやなんか言って?」

黙ったまま睨まれても困る……
しばらくそのままでいたけれど、パッと天谷奴さんは手を放して私の腕を掴む。
それから私を引っ張るように移動を始めた。
飲みに行く前提だったから今日は車出勤じゃないからいいけどさ。
声をかけようとも思ったけど、きっと今天谷奴さん冷静じゃないだろうからやめておく。
つかつかと歩く天谷奴さんの選ぶ道は私が家に帰るのと同じ道。
……同じ道?

「えっ、うち?」

「他にどこ行くんだよ」

「……どこも」

あーなんか怖いよぉー、怖い天谷奴さん怖いよぉー。
しばらく歩けば私が住んでるアパートで、2階真ん中付近の部屋に迷うことなく天谷奴さんは歩いていく。
ドアの前で立ち止まると、腕を掴んでいるのとは反対の手を私に出した。

「鍵」

はい。
鞄からキーケースを出して渡せば慣れた手つきで天谷奴さんはドアを開けて、私を押し込むようにして家の中に入る。
そういえば何回か酔い潰れて送ってもらったもんなー。
勝手知ったるなんとやら。
リビングに連れていかれてソファーに座らせられた。
被せるようにコートとハットを渡され、サングラスはローテーブルに。
天谷奴さんは私の隣にどかりと腰を下ろすと、さっきと同じように顔を鷲掴みにし、それから顔を近づける。

「どこのどいつにやられた?」

「もうブタ箱にぶち込んだ」

「チッ」

よかった逮捕しておいて。
もしかしたら社会的か物理的か抹殺されていたかもしれないあの犯人。
まあ明日また私がこてんぱんにするけどな、取り調べで。
天谷奴さんは鷲掴みにしていた手を放してガーゼを留めているテープを引っ掻いた。
ピリッとした痛みとちょっとした開放感に眉を寄せる。

「おーおー、随分ぱっくりいっちまったな」

「ギリギリ縫う必要はないってさ。しょうがないよ、そういう仕事だし」

気にしてないわけじゃないけど、命に直結しなかったしさ。
そう言えば天谷奴さんは深く息を吐いてリビングに置いてある救急箱を取りに行った。
……そんなに酔って世話になってただろうか。
また私の隣に戻ってきて、救急箱を開けててきぱきと準備をする天谷奴さんにありがとう、と声をかける。

「礼はいいからさっさと飲み行けるようになってくれや」

お前と飲みに行けないのは物足りねえからよ。
手馴れたように私の頬に消毒液をぶっかけるもんだから思わず悲鳴を上げた。

2023年7月25日