「名字さん、ひとりで帰れます?」
「だいじょぶだいじょうぶ、きょうはあるきだから」
「いやいやふらふらしとるやん」
「いざとなったらタクシーよぶから」
昨日容疑者追っかけた時にバケツ1杯の水をかけられたのがまずかったかもしれない。
心配してくれた部下と同僚にひらひらと手を振って署を出た。
申し訳ないけど早退だ、午前中は書類業務頑張ったんだから褒めてくれ。
家に薬やらなんやらあるからなんとかなる、明日の朝もまだ熱あったら休んで病院行く。
いつもより鈍い歩みで熱があるにしてはしっかり考えているよな。
まあまずこの時点で熱に浮かされているんだけど。
本音を言えばさっさと寝たい、鞄がいつもより重い、しんどい。
署から家まで近いはずなのにまだ半分もあるとか……
普段そんなことないはずなのにマンホールのちょっとした窪みに足を取られ、なんとか立て直したけれどそれがとどめとばかりにぽっきり心が折れた。
そこからどうやって家に帰ったか覚えていない。
パンプスを揃えるのも面倒、部屋着になるのも面倒。
飼い猫にはご飯を用意して、ジャケットとズボンだけ脱いでベッドに入る。
ああ薬飲まなきゃ、いやでももう横になっちゃったし起きてからにしよう。
体は熱いのに寒く感じてしまって毛布をこれでもかと引き寄せて目を閉じた。
ひやり。
そんな額の感覚に意識が浮上する。
重たい瞼を持ち上げれば大きな手が私の頭を撫でるように置かれていた。
思わず体を起こそうとすれば咎められるように声をかけられる。
「熱あんだろ、寝てな」
「あまやどさん……?」
「おーおー、声もひでーな」
寝る前はこんなに喉痛くなかったと思うんだけどな。
けほけほと乾咳を何度か繰り返してしまったので、口元まで毛布を引き上げた。
ベッドに腰かけている天谷奴さんは困ったように眉を寄せて私に体温計を差し出す。
測れってことらしい。
素直にそれを受け取って脇に挟んだ。
寝る前は測ってないけどさっきより熱も上がっただろうなあ。
「薬はまだ飲んでねえな?何か腹に入れてからにしねえと……」
「あんまりたべたくない」
「だろうな。林檎があったからすりおろしてやろうか」
固形よりは食べれる気がする。
天谷奴さんの言葉に頷くと、同時に体温計の電子音が鳴った。
脇の下からそれを取り出して小さな画面を見ようとしたけれど、私が見る前に天谷奴さんが体温計をかっ攫っていく。
反論も特に口から出ず、体温計に表示された私の体温を確認して天谷奴さんは眉間に皺を寄せた。
そんだけ高いらしい。
体温計見ると体調がもっと悪くように感じるというから天谷奴さんなりの気遣いかな、なんだかありがたい。
「明日は病院行くぞ」
病院嫌いなのに天谷奴さんがそう言うのなんか面白いな。
頬に当てられる天谷奴さんの大きな手がひんやりして気持ちいい。
もう少しこのまま。
「寝るまでいてやるからさっさと寝ちまえ」
口に出てないのに、そんなに私の態度はわかりやすいだろうか。
うん、と頷いて重たいままの瞼を閉じる。
おやすみ、と優しい声が聞こえたような気がした。