家に帰ると見慣れた靴が乱雑に脱ぎ捨てられていた。
珍しい、揃えて脱ぐのに。
その靴を揃えて端へ並べ、自分もパンプスを脱いで上がる。
部屋が暗い。
いつも電気つけているし、私が帰ってくると一言くらいあるのに。
リビングへ進んで電気をつければいつものように飼い猫が挨拶をしてくれたので、撫でてから寝室に入った。
ベッドを占領していたのは、いつもの彼だった。
大きな体躯を丸めるような体勢で、すっぽりと頭から毛布を被っている。
サイドテーブルには飲みかけのコップといくつか空になっている錠剤のシート。
それからおでこに貼るタイプの冷却シートの箱。
服が適当に脱ぎ捨てられているのを簡単に畳んで枕元へ。
体調でも崩しているのだろうか、なるべく物音を立てないように部屋着に着替えてからそっと毛布越しに体を触った。
小さく名前を呼んでも特に返答はない。
しんどそうに唸る声は聞こえるけれど、起こすのはよくないかな。
枕元には体温計がケースに入らないまま転がっている。
……おお、本気で体調悪いなこれ。
寝室の外から飼い猫のご飯を強請る声がしたので彼を起こさないままリビングへ戻った。
飼い猫のご飯を用意して、自分も有り合わせのもので用意した夕飯を食べる。
テレビの音はいつもより小さめに。
彼が食べるかわからないけど雑炊を作った鍋には蓋をしておいた。
「……そろそろお風呂にしようかな」
洗い物を手早く片付けてそのまま台所で煙草を吸う。
相変わらず天谷奴さんは起きる気配がない。
あの様子じゃお風呂入ってないんだろうけどきっと入れる状態じゃないんだよな。
冷蔵庫から出した缶ジュースのプルタブを片手で開けながら灰皿へ煙草の灰を落とした。
飼い猫がちょろちょろと歩き回り、たまに私がいる台所に顔を出したと思ったらまたリビングへ。
カウンター越しに飼い猫を見ると、飼い猫は寝室の前で気遣うように鳴く。
あの子なりに天谷奴さんのこと心配しているのかな、いつもは素っ気ないのに。
カリカリとドアを引っ掻く音が聞こえて「こら」と思わず強めに声をかけると飼い猫が慌てたようにこちらへやってきた。
「寝てるんだからそっとしてあげて。あとドア引っ掻いちゃだめ」
煙草を灰皿に乗せてから飼い猫の頭を撫でくりまわし、それから喉元を掻くように撫でる。
私が飼い猫を呼んだ声が大きかったのか、寝室から物音がするとドアがゆっくりと開いた。
出てきたのはスウェット姿の天谷奴さんだった。
紅潮した顔は明らかに体調が悪いのが見てとれる。
「おう、帰ってたのか」
「ごめん、起こした?」
「おう」
飼い猫を腕に抱いて天谷奴さんに近づき、頬に手を添えた。
伝わってくるのはいつもより高い温度。
私の真似をして飼い猫も天谷奴さんに腕を伸ばす。
そんな天谷奴さんは珍しいなと口角を少し上げて飼い猫を雑に撫でた。
「病院は?」
「行ってねえし行かねえ」
「だと思った」
「……嫌いなとこに好き好んで行くか」
「知ってるよ」
じゃなきゃ市販の薬を飲んでるわけがない。
ぺたぺたと億劫そうにソファーへ向かう天谷奴さんを見て、飼い猫を下ろし一度台所へ戻る。
冷蔵庫から冷やしてあるスポーツドリンクを取り出し、ペットボトルの蓋を開けてコップへ注いだ。
珍しくにゃーにゃーと天谷奴さんの足下を彷徨く飼い猫は余程天谷奴さんのことが心配らしい。
テレビへ視線を向けることもなくぼんやりしている彼へコップを差し出せば素直に中身を飲み干した。
「簓くんと盧笙先生は体調悪いこと知ってるの?」
「いや」
「ミーティングとかあるなら連絡しとこうか?」
「ないからいい」
ぺりぺりと熱で乾きかけの冷却シートを天谷奴さんのおでこから剥がし、それをゴミ箱へ投げ入れる。
汗で湿っている髪をよけておでこに触れれば、天谷奴さんは目を細めて手に擦り寄った。
きもちいな、そう呟いて。
「雑炊ならあるけど」
「いい」
「また寝れば?」
「おう」
私の腕を引くもんだからそれに従って隣に座ると、倒れ込むように私の膝を枕に身を横たえた。
ここなんかよりベッドの方が休めるだろうに。
床に落ちていた膝掛けをその体にかけて寝かしつけるように頭を撫でると天谷奴さんはそのまま目を閉じる。
少しだけこうしていよう。
虚勢も張らずに珍しく弱っているんだもの、起こすほど鬼ではないつもりだ。
テレビの音をもう少し小さくして、天谷奴さんに寄り添うようにソファーに上がってきた飼い猫を見ておやすみと声をかけた。