伊武隼人は気に入らない

「……お前それどうした?」

「殴られた」

「いや、それ殴られたっていうか、リンチ受けたレベルッスよ……!」

「殴られた、で、やり返した」

店に顔を出すと酷く顔を腫らした名前がカウンターの奥で片付けをしていた。
なんでCLOSEの札が出ているのか不思議だったが……まあ、この店の惨状じゃあ営業できねえよなぁ。
よく見りゃ名前は足や腕を庇いながら動いている。
俺たちの来訪に気づいたマスターがキッチンから出てくるが、マスターも名前程ではないにしろ顔を腫らしていた。

「ああ、伊武さん、阿蒜さん、今日は営業してないんですよ」

「何があった」

「最近ガラの悪いやつらが出入りしてまして、名前に絡み出したのがきっかけです」

聞けばそいつらが名前に聞くに絶えない暴言を吐いたり、そういう店じゃねえのにそういうサービスを要求したり、それに対して比較的穏便に対応していたがその態度が気に入らなくて名前に手を上げた……んだと。
そこからは名前の正当防衛の名目で力ずくで追い出したが、その時になかなか酷くやられたらしい。
マスターもその時に殴られたようでそれにキレた名前が反撃したがこのザマ、なるほど。

「一応河内組に連絡を入れて龍本さんでしたか、処理に来てくださいましたよ」

「龍本の兄貴からは何も聞いてないが……」

「それ口止めしたの私。片付いたんなら話さなくていいでしょ」

「あ、名前さん俺手伝います!」

割れたグラスや瓶をビニール袋に纏めた名前がカウンターから出てくるのを見て阿蒜が駆け寄る。
案内するからそこまで行くよとひょこひょこ足を庇いながら名前と阿蒜が外へ出て行った。
それを見て俺は無事な椅子に腰掛けマスターに向き直った。
気に入らねえな、龍本の兄貴が片付けたなら別にいいが、それがあったことを口止めしていたことなんて特に。

「……名前とあんたをやったやつらはどこのやつだ?」

「やつらの話しぶりだと仲間はまだいるんでしょうね、報復するとかなかなか勝手なこと言ってましたから……」

「ふぅん……」

「……名前には内緒ですけどね」

俺の前に灰皿を置いたマスターが声を潜めてそいつらの話をする。
最近名前を聞く半グレ共か、名前もくじ運が悪いなぁ。
煙草を取り出して火をつけ、息と共に煙を深く吸った。
あいつも決して腕っ節が弱いわけじゃない。
女という見た目のハンデがあるものの、自分の縄張りを荒すやつにゃ相手が誰でも遠慮なく牙を剥く狂犬みてえな女だ。
さすがに数にゃ敵わねえだろうが。

「ギリギリまで河内組に連絡を入れなかったのはあの子なりの気遣いだってご理解くださるとありがたい」

「気遣い?」

「あなた方内部抗争で今大変でしょう?一軒の小さなバーのゴタゴタにお呼びするのは申し訳ないって、龍本さんが帰ってからボヤいてましたから」

……カタギにここまで気を遣われるとは。
いや、あいつがカタギがどうかは微妙な立ち位置ではあるが。
参ったなぁ。
後ろに流している髪をくしゃくしゃと乱し、思わず天を仰ぐ。

「名前さんなんであんなん持てるンスか……しかも怪我ひでーのに」

「逆になんであれくらい持てないのかわかんない」

「……腕触っていいっスか?」

「やだよ今いてーもん」

阿蒜と名前が裏から戻ってきて名前がちょっと休憩する、なんて言って隣に腰掛けた。
慣れた手つきで煙草を取り出し、自分のジッポで火をつける。
息と煙を吸う時に顔を顰めたからどっかのあばら骨も痛めてるのかもな。
手を伸ばして腫れている頬に触れれば痛そうに顔を歪め、俺から距離を取るように身を捩った。
瞼の上には少し血の滲むガーゼが、深く切ったのかもしれねえ。

「残んねえといいけどなぁ、傷」

残ってたら残ってたで名誉の負傷とか言ってこいつなら鼻で笑いそうだ。
平気でしょ、と他人事のように呟く名前の頭を撫で、阿蒜に行くぞと声をかけて立ち上がる。

「出直す。修繕にはどの程度かかる?」

「費用も時間もそこそこかと」

「うちの若い衆を寄越すから使ってくれ。阿蒜、お前もな」

「はい!」

「費用もかかった分こちらに請求しろ、治療費含めてな」

無茶すんなよと名前に言えば多分ねと返ってきた。
じゃあなと声をかけ、阿蒜と店を後にする。
……さて、まだ残党がいて報復するとか言ってたんだったな。
河内組のシマで暴れたこと、女に、名前に手を出したこと。
やるこたぁ決まってるよなぁ。