「わた……し、エンジェルさ……に、終わらせてほし……い」
途切れ途切れの苦しげな声。
悪魔に憑依された状態の名前が自分の体を抱きしめるように抑え、伸びた爪をコートの上から腕に突き刺す。
彼女のミスとか、油断したとか、そんな理由で憑依されたのではない。
憑依させてからじゃないと祓えないのだ。
名前の体内に残されてた瘴気に反応してか、どんどん彼女の髪と目の色が変色していく。
灰色だった髪は真っ白に、緑に濁っていた目は苔色に。
左目は白目が瘴気に侵食されて黒くなっていた。
こんな状態の彼女を、悪魔と呼ばずになんと呼べばいいのだろう。
「名前……!」
「私が、こいつを抑える間に、エンジェルさんとカリバーンで終わらせて……私を、」
──私を祓魔師として終わらせて。
憎んでいる悪魔として終わりたくない、祓魔師として終わりたい。
名前の右目から雫が伝う。
……ああ、辛いのか。
ただでさえいつ限界を迎えてもおかしくなかった。
それを、悪魔が憎いからなんて理由で誤魔化して、オレが好きだと、いつか四大騎士になるのだと未来を語って。
弱々しい笑顔の名前に近づく。
珍しく黙ったままのカリバーンを持ち直し、それを名前に突きつけた。
「……名前、オレは」
「私ね、エンジェルさんのこと好きです」
あなたがいたからここまで来れた、あなたを好きになったからここにいられる。
「だから、エンジェルさんが終わらせてくれるなら、とても幸せですよ」
いやだ。
彼女をこの手にかけるなんて。
そんなオレの意思に反するように自然とカリバーンを握る手に力がこもる。
ピタリ、刃が名前の首筋で1度止まった。
「アーサーさん、大好き」
そのまま柔らかい皮膚に剣が食いこむ感触がして──
「名前!!」
「うあっはい!?」
飛び起きた。
目の前には名前の姿。
しかし、髪もまだ真っ白ではないし、目もまだ綺麗な翡翠の色。
どこも異常のない、正十字学園の制服を着た名字名前。
「びっくりした……起こしちゃいました?」
ずれた眼鏡をかけ直し、名前はオレの顔を覗き込む。
立て掛けていたカリバーンも珍しいわねえ、なんて言いながら不思議に思っているようだった。
名前の手にはブランケット。
オレがいるのは執務机。
申し訳なく積まれているのは書類で、どうやらサインやらなんやらをしていたら居眠りしてしまったようだ。
「疲れてましたもんね、イルミナティ関連でゲート追っかけたりしてましたし」
『ちょっと、アタシにも労りの言葉ないの?』
「いやカリバーンを振り回すのはエンジェルさんじゃん、カリバーンは疲れてなくない?」
『はー、これだから斧を振り回すしかできない小娘は……』
「うわなんかイラッとする」
カリバーンと言い合う名前。
いつもの光景だ。
彼女からあんな苦しそうな笑顔は出ないし、カリバーンと軽口を叩くし、いつもの名前。
それでも、あの光景が頭から離れない。
思わず手を伸ばした。
「エンジェルさん?」
女性らしい、けれど武器を握ってきたせいで厚く硬い掌。
切ったばかりなのだろうか、短めの丸い爪には凶器の影はない。
ああ、よかった。
困惑する名前に何も言わず引き寄せて、背に腕を回す。
立ってる状態から急に体勢が変わった名前はオレの座ってる椅子の肘掛けに手をついた。
戸惑うような声を上げる彼女の首筋に顔を埋める。
綺麗なまま、傷なんてない首筋。
すんと鼻を鳴らして息を吸えば何かの薬品の匂いがした。
『……珍しいわね』
「エンジェルさん、何かありました?」
「……」
「……うーん……じゃあ何も聞かないんで腕の力弱めてください、ちょっと苦しいです」
ぺしぺしと弱々しく肘掛けを叩く音。
少し腕を緩めると、もぞもぞと名前が動いてオレを跨ぐように膝立ちをし、オレの頭に腕を回す。
抱えるように、抱きしめるように。
「私の残念な胸でよければ貸しますよ。少し落ち着きません?」
『まあアンタの胸はシュラに比べたらとっっっっても残念よね』
「あれは発育し過ぎ!私は普通だしまだ成長中!!……何があったのか聞きません、でもこうさせてください。エンジェルさんに何かしてあげたいんで」
顔を見なくてもわかる。
きっとこの子は今とても幸せそうな顔をしているんだろう。
──エンジェルさんが終わらせてくれるなら、とても幸せですよ
でもあの言葉のあの表情とは違うのもわかる。
こんなことだけで幸せだなんて、無欲にも程があるんじゃないか?
「……少しでいいんだ、こうしててくれ」
「私なんかでよければ」
君なんかじゃない。
君じゃなきゃいけない。
年相応の柔らかい胸に顔を埋め、今度は苦しくない程度に彼女の背に回した腕に力を入れた。