※もしも身籠ったら、の話
「ごめん榊くん、使って申し訳ないんだけどトイレまで運んでほしい、ダッシュで、なるべく揺れないように」
「すげー無理難題言うじゃん」
でもちゃんと揺れないようにしてくれるのは助かる、本当に。
ここのところ、体調がすっきりしない。
日に何度もトイレに駆け込んでは吐いて、酷いと何も出てこないこともある。
さすがに何かに当たったとは考えられない、だって細かく食べられるものと食べられないもの訊かれたもの。
それに食当たりならこの屋敷の人たち全員なっているのでは……?
どうしよう、なんとか理由をつけて吐き気止めとかもらおうかな……腹痛や熱はないだけに理由付けが難しい。
用を済ませてトイレから出れば、怪訝そうな顔をした榊くんが行きのように私を肩に担いだ。
「最近変じゃね?明らかに異常だろォ」
「うん……でも心当たりないし、風邪ひいたのはこの前」
「まだ本調子じゃねえんだろ、俺みたいに一日十時間は寝ろよ」
「そんなに寝れないし……」
健康優良児め。
どうすればそんなに寝れるのか秘訣を訊きたいね。
部屋に戻れば榊くんがそっと私を畳の上に下ろす。
それから何か考えるような素振りを見せると、箪笥の引き出しを開けてそこにしまわれていた羽織を取り出した。
冷やすなよ、と言いながら私にそれを渡す。
……まあ、この際人の着替えが収納されている箪笥を勝手に開けたことは黙っておこう。
袖を通すと思ったよりも暖をとれそうでほっとした。
「ありがとう」
「おー。俺ちょっと報告にだけ行ってくるからな」
「……誰に、何を?」
「御前に、お嬢の体調不良」
「いい、言わなくていい、別に平気だし、戻すだけだし」
それ絶対大事になるやつ!
素直に言うのが悪いこととは言わないけれど!私には都合が悪い!
もうちょい強く言わないと、と思った頃には榊くんがいなくなっていた。
急いで畳の上を這って薄く開いたままの障子をさらに開けば、遠ざかっていく榊くんの大きな背中が。
……あ、あのノータリン……!!
遅かった……あれは確実に御堂さんに私の体調不良が耳に入る……
嫌かって聞かれたら嫌に決まっているじゃん、自分の弱いところは他人に見せたくない質だもの。
もう腹を括るしかないなこれ。
風邪だよ風邪、この前のに比べたら比較的軽めの。
この前はいらんこと口走ってしまったし、恥に恥を塗り重ねるのはちょっと嫌だけど、まあ悪いようにはされないとは思う。
私には御堂さんがどんな人なのか未だにわかっていないけど、ここで大人しくしているんなら手厚く扱われている、今はそれでいいや。
諦めたんじゃない、受け入れただけ、どうかそういうことにしておいて。
「ご懐妊ですね」
まあ、その一言に何もかもへし折られるとは思わないでしょうよ。
榊くんが私の意見無視したまま御堂さんに私の体調不良を報告して数日、粘りに粘って様子見にしてくださいと言っていたんだけど、毎日トイレに駆け込んでいたらお医者様を呼ばれた。
いろいろ問診して、触診もして、何やらポータブルの検査器具で検査されて、今の言葉だ。
ごめんなんて?もう一回聞いていい?
朗らかな笑顔のお医者様に、穏やかな表情の御堂さん、強張る顔の私。
いや、だって、ねえ?
誰がご懐妊?ああ私?今この場にいる女性は私だけだわ。
現実逃避くらいさせてほしい、誰の子を、なんてとっくのとうにわかっている。
思い返せば月のものが来ていなかったな、と感じたけどここのところ不順だったから全く気にも留めていなかった……
お医者様の話なんて半分も入らなかった、なんか、何週くらいだとか、手帳がどうとか、定期的に往診するだとか、細かいことは全部通り過ぎた。
いつの間にかお医者様は帰っていて、私の部屋に残されたのは私と御堂さんだ。
これどんな地獄?
やっと現実に追いついて、膝の上で握り締めている手が震える。
そんな私の手に、御堂さんの手が重なった。
恐る恐る顔を上げれば、思っていたよりも穏やかな表情で、反対の手が私の頬に触れた。
「実を成すのは難しいかと思っていたが、無事に成したようで何よりだ」
これ、どんな言葉を口にするのが正解なんだろう。
そんなもの、ないのかもしれないけど。
「もう君ひとりの体ではないのだから無理をしてはいけないよ」
「は、い……」
実感なんて全くなくて、悪い白昼夢であればどんなにいいか。
てっきり夜毎体を重ねているとはいえ、避妊なんて一度もされてなかったけど、どういうつもりなのかは全くわからなかった。
というか、今もわからない。
なんで、少し嬉しそうにしているんだろう。
そりゃ、御堂さんのこと、知らないことの方が遥かに多いけど、ある程度の時間を過ごしてきているから表情の変化くらいには気づけるもの。
いつものように膝の上に乗るよう促されたのでその通りに従うと、体に腕を回されて反対の手が私の顎をそっと掴む。
かさついた唇がほんの一瞬重ねられるとそれはすぐ離れた。
「年甲斐もなくめでたいことにははしゃいでしまうな」
めでたいってなんだっけ。
つまり、御堂さんは本気だった、ってこと?こんな一回り以上も離れている小娘相手に?
本当にわからない。
混乱している私を見抜いていたのか、御堂さんは少しだけ口角を上げると私の耳に唇を寄せる。
「いつだって、既成事実はつくり上げるものだろう?」
ああ、もう私ここから、いや、御堂さんからは離れられないんだな。
一度でも心地いいと感じたものの、その代償はあまりにも大きかった。