「あ、待ってたわぁ羽瀬山さん」
目の前の女が弓なりに目を細めた。
甘ったるい声とは裏腹に純粋に嬉しさを表す表情に毒気を抜かれる。
俺が女の──名前の隣に座ればお疲れ様、と名前が微笑んだ。
相変わらず何が嬉しいのかねえ、二回り近く離れているおっさんを捕まえて。
それでも無碍にできないのも事実だ。
カウンターの向こうにいるバーテンにこいつと同じものを注文し、ジャケットの内ポケットから煙草とライターを取り出す。
煙草を口に咥えれば自分でライターを使う前に名前が慣れた手つきで火のついたジッポライターを差し出した。
さすが元ナンバーワンキャバ嬢、気遣いってやつが身に染みてるねぇ。
オイル独特の匂いにそんなことを思いながら火に顔を寄せ、息と煙を吸い込む。
私がやるのはもう羽瀬山さんだけよ、なんて笑うと名前も同じように煙草に火をつけて大きく息を吸った。
甘ったるい。
そうだ、こいつは何もかもが甘ったるい。
好みの酒も、愛煙している煙草も、その声も。
まあ、俺がここまで育てたみたいなもんだけどな。
なのにさっさと店を辞めて情報屋まがいになってまァ……
にこにこと、綺麗な男を食ってそうな女が、純粋な嬢ちゃんみたいに笑ってちゃ何も言えねえか。
「最近店に来ねえじゃねえか、忙しいか?」
「だって、羽瀬山さんがメインのステージがやってないんだもの。また羽瀬山さんが歌ってくれるなら毎日でも行くわ」
……そうだった、こいつ、あの時フラスタやらなんやら金の力で用意してたんだった。
一体どこから話を聞いたのかと当時は動揺もしたが、情報屋になってんだ。
自惚れているわけじゃねえが、俺のことを好いているという名前が金に物を言わせないわけがない。
「ふふ、冗談。羽瀬山さんの言う通り少し忙しいの、来週にはまたお店に行く予定よ」
渋い顔をした俺を見てか、愉快そうに笑って手にした煙草を灰皿へ置く。
バーテンが俺の前に置いたグラスを取れば、女も自分のグラスを手にして俺に向けた。
乾杯、なんて口にしねえが軽くグラスをぶつければ中の氷もカランと音を立てる。
一口それを口にすれば、名前は空になった自分のグラスを傾けてバーテンに今度は甘いの頂戴ね、と声をかけた。
「羽瀬山さんこそ、最近私のお誘いに乗ってくれないじゃない。寂しかったのよ?」
「なァにキャバ嬢みてえなこと言ってんだ、もう違うだろ」
「バレちゃった。でもほんと、いつだって私は羽瀬山さんに会いたい」
俺が来る前に何杯飲んでんだろうな、薄暗い店内でもよく見れば名前の顔は薄らと赤い。
いつもならやんわりと止めるんだが、たまにはそのままってのもいいか。
目元、唇、爪、赤く色づいているそれは俺をイメージしたのだと名前は口にする。
なんだかんだ健気だなぁ。
それに応えた覚えは全くないが、それでも続けるもんなんだろうかね。
「なら会いにくればいいだろ、あいつらと違ってフロアにはいねぇけどな」
「羽瀬山さん出してって言えば運営くんは出してくれるかしら」
「駄々こねりゃいいぜ」
「あはは、いいわぁ、今度やったら運営くん困っちゃうかな」
「要領得ずに俺に報告して怒られるまでが鉄板だな」
本気でやりはしないと思うが。
そのままだらだらとどうでもいい話をお互いに続ける。
聡明な女は嫌いじゃない、こちらの引いた線をしっかりと見極めて乗り越えるどころか踏みすらしない。
悪く言えば、都合のいい女。
そう、こいつは良くも悪くもいい女なのだ。
ただまあ……そこそこ付き合いが長ければ絆されるのが人間ってもんだろう。
酔いが回ってくると煙草を吸う本数が増える名前の腰に腕を回して引き寄せる。
なぁに、と少々とろんとした顔の女にこの後は?と聞けばそれはそれは嬉しそうに破顔した。
「どこがいい?またうちに来る?」
「たまにゃ俺のうちってのはどうだ?」
「嬉しい、あまり上げてくれないんだもの」
「何言ってんだ、上げんのは名前だけだぞ」
「さすがお上手ね」
それが本当だったりするんだよなァ。
俺がどうでもいいと思っている女の私物を置くかっての。
化粧品やら下着やら、わざわざ誰かにスペースを貸してやるほどお人好しじゃない。
名前もだろうけどな。
ああ、それにしても甘ったるい。
これ以上悪酔いしたらどうしてくれんだ。
こいつが俺に自分の気持ちを悟らせないように、俺の気持ちも悟ってねえんだろうな。
ほら行くぞ、と席から立ち、酔いで足下の覚束ない名前の体を支えるように抱き寄せた。