これはほんの、ほんの一部

鮮血が舞った。
パタタ、と生暖かいそれが私に跳ねる。
なにしてんだ、と怒鳴られる。
何もできてない、動けない。
だって、だって。
突如として始まった戦闘に、頭が体がついていけない。
できるのは自分を拙いながらも守ることで。
なんで、なんで、なんでこんなことになってるの。
なんで私はここにいるの。

 

 

蹲って胃の中のものを吐き出す。
ガタガタと体が震える、喉が胃液で焼かれる、呼吸が難しい、涙が止まらない。
何が取引だ、殺し合いじゃないか。
頭上から溜め息が落ちてくる。
思わず口元を押さえながら見上げると、こちらを見下ろす高杉さんと目が合った。
なんでそんな目ェするの、私は好きでここにいるわけじゃない、こんなの、無理に決まってる。
できたのはぼろぼろと涙が溢れる目で睨みつけることだけ。

「……傷はねェな」

そうぼそりと呟くと、私の前に屈んで私の体を引き寄せた。
そのまま肩に私の体を乗せると、意外にも軽々と担ぎ上げる。
意外と鍛えられてるなとか、身長河上さんより低いとか、そういえば触られたことなかったなとか、吐いた娘をしかも担ぐとか抵抗ないのかとか、思うことはあるけれど。
安心、してしまった。
ちょっと苦しい体勢だけど、吐きはしない、多分。

「ハナから上手くいくなんざ思ってねェよ。傷つくんなかったことは褒めてやる」

何言ってんだこの人。
むしろアンタにつけられた傷の方が多いし痛いんですけど?
……黙っとこ、拗れる。
それから河上さんや他の人たちと合流し、船を停めてある港へ高杉さんは足を向けた。
途中、河上さんの「拙者が名前を運ぼうか」という申し出があったけれど高杉さんがそれを却下した、なんて信じらんない出来事があったのを付け加えておこう。


船に戻って、厠に直行してまた吐いて、それからお風呂に入って。
少しスッキリしてからゆっくりと部屋に向かう。
体が震える、目が痛い、喉が痛い。
思い知らされた、私はばーちゃんによってとんでもないところに来てしまった。
そうだ、ここは過激派攘夷浪士である高杉晋助率いる鬼兵隊だ。
私なんかがいるところじゃ、ないのに。
帰りたい。
稽古だとか宝の持ち腐れだとかどうでもいい、あの退屈でもどかしい田舎に帰りたい。
ここへ来て1週間、寝泊まりするのに慣れた部屋の襖を開ける。
部屋の灯りは蝋燭1本だけ。
部屋の主は窓際に座って煙管を吹かしていた。
顔は整ってるからそれはそれは色っぽいんだろうけどなんでそんなもん吹かしてんのか、私未成年なんですけど。
……まあいっか。
いつの間にか敷いてある2組の布団は相変わらず1畳分離れていて、使わせてもらっている方に乗っかった時だった。

「名前」

「……ひゃい?」

今呼んだの……え?嘘、マジ?
名前を呼ばれたの初めてじゃないか?
思わず固まったのは仕方ない、だってほんとに、小娘としか呼ばれなかったような。
高杉さんは煙管を咥えたままこちらを見ていて、右手で隣を差す。
…………それは、隣に来いってか。
あまりにも今までと対応違いすぎてテンパるんですけど、ええー。
戸惑っていると、「いいからさっさと来ねェか」なんて凄まれた、解せぬ。

「……」

「……」

「…………」

いざ隣に座ったものの、微妙に距離を空けてしまった。
もう隣じゃないな、近くだな。


「怖かったか」

「……うん」

「何が怖かった」

「……全部」

私に振り下ろされる刃、あまりにも多い悪意殺意、舞い散る鮮血、断末魔、動かぬ他人の体。
それら全部怖かった。
少し震える体を抑え込むように膝を抱え、顔を埋めて、ぎゅっと目を瞑る。
あんなの、知らなかった。
また胃の中のものがせり上がってくる感覚がする、なにもないのに。
怖かった、目の前に〝死〟があった。
帰りたい。
蹲ったままでいると高杉さんが距離を詰めたのか、刻み煙草の匂いが強くなった。

「怖い思いをしたくねェならもうちっと鍛えることだな」

「……」

「お前を放り出すわけにゃ行かねェ、が、かといって付きっきりになれるもんじゃねェ」

だから強くなれ、身体面も精神面も、せめて自分だけでも守れるように。
そろそろと顔を上げて高杉さんを見上げた。
見たことない、少し柔らかな表情。
何かを懐かしむような、そんな目を細めて私の頭に手を置く。
こうやって、少しとはいえ話すのは初めてかもしれない。

「落ちついたらさっさと寝ちまえ。また今日みてェに連れ出す時もあらァな」

「ん……」

落ちつくまではこのままで。
震えたまま布団に入ったって眠れない、夢に出てきそう。
なんで強くならなきゃなのか、わからないけれどひとつだけわかった。
もう、こんな怖い思いは懲り懲りだ。