知らないこと知っていること

「……なんでここにいるんだろう」

「弱気でござるな。いつもは晋助に対して反抗心剥き出しだというのに」

「はじめまして状態の人にいきなり田舎から連れてこられて稽古と称してボッコボコにされたら河上さん腹立たないの?それはそれで大丈夫?腹立つの普通じゃない?ただの小娘が過激派攘夷浪士の鬼兵隊に放り込まれた気持ちわかる?わかんなくても気持ちを汲むことはできんじゃないの?大人でしょ?私より人生経験値豊富でしょ?」

「……段々と素が出たな」

ポリポリと金平糖を頬張る名前が冷たい目で拙者を見る。
なるほど、借りてきた猫状態だったというかなんというか。
今のは本音の一部なのだろう。

「出すも何も、いつもこのくらいの倍近くは考えてるし思ってる」

なんでここにいるの。
迷子のような問いかけに答えてやることはできない。
なぜならそれを答えられるのは晋助だけだから。
連れて来ると決めたのも、稽古をつけると決めたのも、傍に置くと決めたのも、晋助だ。
──晋助の命の恩人の娘だから。
まあ戦力になると思っているからというのもあると思うが。
……しかしそれを素直に隠さず名前に言っても怪訝そうな顔をされて「だから何?」と返されるような気がするでござる。

「晋助は嫌いか」

「嫌いまではいかないけど、かと言って好きじゃない」

あー……聞いたら凹みそうな答えだな。
晋助らしく可愛がっているとは思うのだが……裏目に出てることが多い気がする、がんばれ晋助。
こんな生意気なところも可愛いが油断してると愛想を尽かされると思うぞ、そもそもないかも。

「……でも、知らないものを知るのは好き、かな」

「ほう?」

「海は見たことはあったけど、来たことなかったし、ほんとに海の水がしょっぱいとは思わなかった」

あと、金平糖初めて食べた。
珍しく表情を綻ばせるものだから思わず目を丸くする。
なるほど、田舎にいただけで、最低限の常識は親代わりの祖母に叩き込まれただけだったのか。
狭い世界が今、ゆっくりと広がっている。

「それに関しては感謝してる。……ほんのちょっとだけ」

晋助に向ける感情はともかく、いい傾向なのだろう。


「ということを話してきた」

「随分仲良くなったじゃねェか」

「もっと晃と話せばよかろう。意外と話すぞあの娘は……まあしばらく毒を吐きそうな気がするが」

──あの人を師とはまだ思わないよ。あれ稽古じゃないから、ただボコられてるだけだから
あれは随分根に持っていた。
さすが晋助の顔面を殴っただけのことはある。
そんな名前は今、また子と風呂だ。
近くを通った時に「下の名前で呼ぶっス!また子さん!!リピートアフターミー!」「来島さん」「また子さん!!」「来島さん」なんてやり取りが聞こえたから女子らしくキャッキャしてるのだろう。

「余計なことは言ってねェだろうな?」

「拙者も知らぬことは言わんよ」

恩を返す、というのならあの娘はあの田舎から連れ出さずにこの世界を壊せばよい。
なぜ連れてきたのか。
あの娘が恩人の娘だから、なんて簡単な理由ではないのは確かだ。
晋助は煙管を咥えたまま目を伏せた。

「……約束してんだ。あいつは知らねェだろうがな」

そのまま浮かべる笑みはいつもの不敵なものではなくて。
きっと晃は見ることできないのだろうな、見たら見たで「うわ嵐来るわこれ」なんて言いそうだ。

「だーかーらァ!来島さんなんて他人行儀な呼び方じゃなくて名前で呼べって言ってるんスよ!!」

「来島さん」

「また子!」

「来島さん」

「ま た 子!」

「来 島 さ ん」

パタパタと足音が聞こえる。
……まだその話か。
足音が近づいてくると、晋助は話は終わりだと言わんばかりに煙と共に息を吐いた。
拙者も部屋に戻ろうと、立ち上がった時に襖が開く。

「呼ぶまで諦めないっスよ!」

「諦めようよ……」

鼻息の荒いまた子とげんなりとした名前に思わず笑みが零れた。