溺れる夢を見た。
いや、正確には溺れていないんだろうけど、いつも過ごしている街中が空まで水に満たされるなんて夢だし、息もできている。
なんでみんな水に浸かってるのに息できてるの?と簓くんと盧笙くんに聞けば「何言ってんだこいつ」とでも言いたそうな顔をされた。
変なの。
水の中なのにこの街で有名な場所にある川はまた別の水が流れていて混乱する。
確実に夢だこれ。
水中で満たされた街で息をしている私の髪がゆらゆらと揺れてちょっとそわそわする。
ファミレスで簓くんと盧笙くんは相も変わらずふたりで漫才のかけあいのような会話をしていて、私はそれを眺めていた。
──あの人がいない。
あの人は今日来ないの?私の問いに盧笙くんが難しい顔をして答える。
「あんな名前さん、あいつに会ったら溺れんで」
だからなるべく会うのは控えとき。
もう溺れているような状況なのに何を言ってるんだろう。
水の中でクリームソーダを啜る簓くんも口を開く。
「ボンベかなんかあればええけど、名前さん持ってへんやん。ボンベは高いんや」
意味がわからない。
それでも会いたいのなら、と簓くんがあの人のいるであろう場所を教えてくれた。
初めて聞く場所だ、そんな場所このオオサカにあっただろうか。
ありがとう、とお礼を言って自分の飲んだコーヒー分のお代を置いて席を立つ。
水の中で飲み食いするなんて変だ。
だからこれは夢なんだ。
ファミレスを出て、ふぅと一息。
小さな気泡が私の口から出て上へ上がっていく。
水面はどのくらいの高さなんだろう。
気泡を見送ってもなかなか弾けないままで、いつしかそれを見失った。
気を取り直して簓くんが教えてくれた場所へ足を向ける。
なぜだろう、聞いたことのない場所なのに体はどこへ行くのか知っていて、少し気味が悪い。
それもそうか、これは夢なんだから。
その場所に進むにつれて、煌びやかな街から離れていく。
オオサカにこんな場所はなかったはずなのに。
どんどん下っていくような、どんどん暗くなっているような。
──どんどん息苦しくなるような。
歩いて向かうのもしんどくて、一度足を止めた。
このまま引き返してしまえば楽になれるはず、というか苦しくて戻りたい。
なのに体は引き返そうとは考えない。
またさらに進んで、もう街の灯りすら視認できなくなった場所へ辿り着くと誰かいた。
こんな水の中なのに、相変わらず黒いファーコートを肩にかけてハットを被ってサングラスをしているあの人。
苦しいのに、私の口からあの人の名前を零すとそれはさっきより大きな気泡になって溢れていく。
ああ苦しい苦しい。
けれど、少しだけ。
少しだけ心地が良くて。
苦しくてその場に膝をついて息を止める。
それでも状況は変わらない。
ただでさえ水で歪んでいた視界がさらにブレブレに歪んだ。
「──バカだなァ」
不意に聞こえた声に顔を上げる。
いつの間にか彼が私の目の前に膝をついていて、大きな手で私の両頬を包んでいた。
バカにしたような声音じゃなくて、どこか優しい声音。
「そんなに溺れたいのかよ」
いや、溺れたくない。
溺れたくはないけれど。
「れいさんも、いっしょじゃなきゃやだ」
私の言葉はちゃんと言葉になって届いただろうか。
ごぼごぼと溢れていく気泡に、彼はサングラス越しの目を細めて私に顔を寄せた。
そして重ねられた唇の隙間を縫って、彼から空気が送られる。
応えるように彼の首に腕を回したら私の体を強く抱きしめるように彼の腕が回された。
「じゃあ、一緒に溺れちまうか」
うん、それがいいな。
真っ暗な水の中で離れないようにお互い体を抱きしめ合う。
──夢を見た。
──彼にどれだけ溺れているのか自覚させるような。
──溺れる夢を見た。