ああ、ああ、ああ!
とうとうこの日がやってきてしまった!
内通者からの手紙を震える手で開く。
光月トキの力であの二十年前から飛んで来た、光月の亡霊共。
いつか、いつか来るとわかっていた。
時を超える能力だって?今となっちゃ存在しようがしなかろうが構わない。
一番問題なのは光月の生き残りがこのワノ国へやって来るというところだ。
おれが狙われるのは承知の上、だがあの子は?
また黒炭の血筋だからとあの子も狙われるのか。
あの子は、良くも悪くも何もしていないだろう。
おれのようにワノ国の人間を虐げることもない、おれからワノ国の人間を守ることもない。
ただ、穏やかに生きようとしているだけだ。
それすら許されないというのか、黒炭の名前を持つからと、それだけで心がずっと幼いままの可哀想な子どもは迫害されなくてはいけないのか。
だってそうだろう、三十路を過ぎた女があんなにも幼いわけがない。
どうにかしなくては。
おれ自身のことは何とでもなる、問題はあの子だ。
どうする?鬼ヶ島へ逃がす?
いや、この前鬼ヶ島ですら侍女として潜んでいた女に殺されかけたことがある、油断はならないだろう。
……なるべく、いつも通りにあの子が過ごせればいいと思う。
護衛は常につけているし、どういう風の吹き回しか知らんがカイドウのところからもあの子に護衛をつけているようだ。
なら、変にあの子をどうこうするよりも迎え撃つくらいの気持ちの方がいい。
決して囮にするわけではない、そんなものにするわけがない。
後はあの子に気をつけるべきことを言い聞かせておかねば。
今日は鬼ヶ島へ向かう日だから帰って来てからにしようか。
そういえば、最近のあの子は表情が豊かになったような気がする。
鬼ヶ島でいい刺激になっているようで、笑うことも増えた。
どういうわけかキングに気に入られたらしいが……まあ、先のことを考えれば悪いことではない。
あの子はいつかこの国を出るのだ、この国を出る手段が百獣海賊団というだけの話で出てからは好きに生きればよい。
大丈夫、幼さが残りはするもあの子は聡明だ。
でなければ鬼ヶ島へ行って無事に帰って来られるものか、命を狙われて無傷でいられるものか……表情が、豊かになるものか。
「ウォロロロ……あの娘に関してはお前も親の顔をするんだなァ」
「……ふん、あの子はおれの娘も同然だからな」
「お前に似ねえな、この前はうちのキングを足に使ってたぞ」
「なんて?」
何があってそうなったんだ。
ま、まあおれ以外にも少しは気を許せたということだろう、前向きに捉えるか。
酒を浴びるように飲んでいたカイドウが思い出したように言葉を口にする。
次の火祭りの日にはあの子を必ず鬼ヶ島へ連れて来いと。
別におれは構わねェが、あの子がそれを承諾するかはわからねェぞと言えば言いくるめて連れて来いと抜かしやがった。
どう言いくるめろと言うのか、確かにおれがどうしてもと言えばあの子は来るだろうが火祭りではカイドウのところの海賊共もほとんど集まる、あの子が怖がるじゃねェか!
カイドウとキングに物怖じしないのは慣れたからだ。
慣れねェ人間がいるとあの子は顔に出ないがビビる、なんでわかるかって?おれの可愛い可哀想な娘だからだよ!
娘のことがわかるのは当たり前じゃねェか。
そうカイドウに言えば乱暴に盃を置き、おっ怒鳴るか?と思いきや何故かしくしくと泣き始めた。
あっ、泣き上戸だなこりゃ。
……そうだ、こいつにも子どもがいるんだった。
なんでも二十年程ずっと反抗期、会話なぞなくあるのは親子喧嘩という名の殺し合い。
よく酔ったカイドウと父親談議をすることがあったが……ここまで泣くか?
おれにゃわからねェ……あの子がそんな風になるとも思えねェし、おれもおれなりにあの子のことは誰よりも愛情を注いで育ててきたからな。
「お前のところの娘はいいじゃねェか!!お淑やかで上品でこの国で言う大和撫子だろう!!それに比べてっ……うちのヤマトはおれを見るなりクソオヤジだぞ!?うっうっ……ウォロロロロォォォォォン!!」
「お、おい泣くなよ……お前のところのガキがどうかは知らねェがな、まずは話からしてみれば……」
「話をする気が向こうにはねェんだよ!顔見るなり雷鳴八卦ぶち込んできやがるんだぞ!?おれは、おれはァァァァ……!」
おれもお父様って呼ばれてェよォ!!
……なんか、可哀想だな、親としてのこいつ。
まあ泣くなよ、話なら聞いてやるからよ……
項垂れるカイドウの肩に手を置いて酒を注いでやった。
そこからも出るわ出るわ、親として四皇としての子どもに対する葛藤の数々が。
そりゃあ自分の子どもがおでんに憧れていたら殺し合いに発展するなとも思うし、それでもそうはならんだろとも思う。
今まで数々の人間の心を折ってきた男でも、どうやら自分の子どもの心を折ることはできないようだ。
そう思うとあの子がああも純粋に育ってくれてよかった……おれにはもったいねェくらいのいい子だ。
内通者からの報告に杞憂はあれど、とりあえず目の前の四皇の面影のないただの父親を慰めるべくとにかく酒を注いだ。
「へっきしっ」
「……風邪か」
「そこまで寒くないので誰か噂してるのかなと……」
思うほど私か弱くはないんですよ。
そうは言ってもキングは呆れたように溜め息を吐いた。
今日は室内じゃなくてわがまま言って外だ。
海が見たい。
別に澄んだような透明な海じゃなくていい、ただ海が見たい。
といってもこの鬼ヶ島は山で囲まれた島だ。
海を見るには港か、はたまた山の上か、になるわけだけど。
港はもう見慣れているし、どうせなら一望したい。
今いる場所?山の上。
なんかね、キングって悪魔の実の能力者……?みたいなやつで姿が変えられるんだってさ。
何に変えたと思う?プテラノドン。
いや、なんて?私の聞き間違い?
なるほど、びっくり人間か。
というかその自前の翼で飛ぶんじゃないんだ……
危ないから炎には触れるなよと釘を刺されて背中に乗ったんだけどさ、プテラノドンに乗るとは思わねーっつの。
危ないってことはこの炎飾りじゃないんだ、今さらかもだけど。
めちゃくちゃ速かった、やばかった。
多分、前世の戦闘機とかこのくらいスピード出てるんじゃないかな、詳しくは知らんけど。
あと一言言っていい?
ばっっっかじゃねーの!?
人乗せるならもうちょいスピード落とすとかさァ!もっとこう……あるだろ!!
馬鹿なんですか!?って詰め寄った私は悪くない、確かに海を一望したいとは言ったけども!運び方!!
普段気を遣ってくれてるのになんじゃそりゃ!!
凄い怒るわけじゃないけど、運んでおいてもらってだけど、文句はさすがに言いたくなるに決まってるわ!
そこまで私が声を荒らげるとは思ってなかったのか、キングはたじたじになっていた。
か弱いだ貧弱だ言うならそれ相応の対応してくれねェかなァ!?
息止まるか気を失うかと思った……これが重力……やべーわ……
よかった、絵を描く道具持ってきてたら確実に飛ばされてたわ……自分が落とされないようにするので精一杯だったもん。
とまあそんなことがありましたとも、帰りもあれかと思うと怖いけど。
山の上から見る海は思ったよりも荒れていた。
晴れているとも言えない天気だし、余計に黒く見える。
あまり海は見たことなかったからな……
鬼ヶ島に来る時はそんな余裕なんてないしさ。
本土の海岸も行ったことはほとんどない。
魚とかいるのかなあれ、めちゃくちゃ波に揉まれていそうだ。
……そういえば、この国って滝の上にあるんだっけ?
それを聞こうとしたら先に私が何を言うのか察したキングがここからじゃ終わりの見えない水平線を指差す。
「ワノ国自体へ入る港もあるがな、そっちはおれたちの息がかかっていてまず入れねェ。他にワノ国へ来るとしたら滝を登る必要がある。……鯉に船を引かせてな」
「……こい?」
「鯉」
「……えっ、小さくないですか?」
「でかいぞ、船なんぞ余裕で引ける」
それ鯉じゃなくて鯨とかなんじゃねーの?
見に行くかと言われたけれどやめときます、無謀なことはしない、鯉を見に行くんじゃなくて、キングの背中に乗る方の意味で。
首をぶんぶん横に振ればキングは鼻で笑った。
というか鯉の滝登りか……なんだっけな、激しい流れの場所が竜門って呼ばれていて、そのを登り切れば魚が竜になれるから登竜門って言うんだっけ。
今度それ描こう、そうしよう。
色は……鯉と行ったら錦鯉かな?
白地に赤と黒の模様があって……赤じゃなくて朱色っぽかったっけ……?
そもそも船を引く鯉とは……?
……なんで海に鯉!?
そこだよ!おかしいのそこ!!ここ海でしょ!?
なんか気づいちゃいけないことに気づいてしまった気分だ……なんで海に鯉がいるんだ……海水で生きられる鯉いたっけ……?
「百面相してどうした」
「なぜ鯉が海に……?」
「さァな、海は何が起こるかわからねェからその程度で驚いてたら疲れるぞ」
なんかはぐらかされた気もするんだがー?
そろそろ戻るぞと言われたのでキングの方を見れば、前のようにりかちゃん人形よろしく抱き上げられた。
……待って?
行きはプテラノドンになって乗せてもらったけど、これは、どうやって戻るんですか。
私はキングのその翼が飾りなのか飛べるのかは知らないんだけどさ、いや、ばさばさ動かしていることもあるから動くんだろうけど、飛べるかはわからんじゃん?
ね、ねえねえ、ねえってば、何でどうやって帰るのか教えてくれませんかね。
なんかめちゃくちゃがっしり抱えてくれてますけどね、ここ山の上ですよね一応。
プテラノドンの時よりも嫌な予感しかしねェんだよ何か喋れってば。
こちらを見下ろしたキングの目が、少し面白そうに弓形に細められた気がするんですけど、ねえ、なんでそのまま下に視線向けるの?ここから普通の人間落ちたら痛いじゃ済まないんだよその先にいっちゃうんだよ。
「口は閉じてろよ」
さっきと同じこと言おうか。
ばっっっっっかじゃねーのかこいつ!!
飛ぶのが怖いなら跳ぶか、みたいなお気軽な気分で山から飛び降りやがったよこの野郎!
さっきのとは違う浮遊感、内臓絶対浮いてる、絶対浮いてる!
悲鳴でも上げられればよかったんだろうけど下手に口を開いて舌を噛みたくはない。
地面にぶつかる、というところでキングは自分の翼を広げて勢いを殺し、まるでパラシュートで降りるかのように地面に足をつけた。
ドッドッ、と心臓が変な音を立てる。
わ、私……いっ、息、息吸えてる?生きてる?
くつくつと笑う声がしたので、絶対この人楽しんでんなと直感してそのままレザージャケットに掴みかかった。
「ほんっっっっと馬鹿なんですかあんたは!!飛ぶの怖いなら跳んでやろうとか、どんな思考回路してんの!?信じらんないんだけど!!」
「ふ、ふふっ……言葉が素になってるな」
「なるわ!ならないやつがいるならお目にかかりたいわ!!ここにいるだろうが!」
揺らしてみるも体格差がえぐいのでキングの体は揺れないし、むしろ私の腕が疲れるだけだ。
顔わからないのに楽しそうだなええ?
風圧で乱れた私の髪を整えるように、機嫌の悪い子どもを宥めるようにキングが私の髪を撫でる。
んぐぅ……年上だからって!クソが!!
あー!足もぷるぷるしてるんだけどー!
今下ろされても歩ける自信ない!
しかも今ので何描こうか飛んでったわ!なんてことしやがるんだ!!
「おれは、お前のその言葉遣いの方が好ましいけどな」
「……なんですか、ご機嫌取りですか」
「素直に思っただけだ。姫様らしくお淑やかのツラを被るのは構わねェが疲れるだろ」
別に意識してツラ被っているわけじゃないけど……
ゆっくり歩き出しながらキングは言葉を続ける。
黒炭の姫様のツラを被るより素の方がらしく感じる、その方がぼんやり生きているようには全く見えない、だと。
……まあ、ぼんやり……?はしてないつもりだけどな?
そう見えてるのかな、なんでだろ。
「あとは、色が見えねェってのにそう感じさせねェところは特に好ましい」
「確かに色は見えませんけど、今では怪我とかもしてないから苦労はそこまで……」
「想像力で色付いた絵を描けるのは凄い、誰にでもできることじゃないな」
前世の記憶があるっていうちょっとした強くてニューゲームみたいなところあるからですね、とは言えない。
と言ってもおじ様に拾われるまではほとんど前世の記憶はなかったと思う。
なんでだろう、物心がついてから前世を思い出したのかな。
逆におじ様に拾われる前はやけに曖昧だ。
今世の両親が殺されたのは覚えているけど、間もなくおじ様とばあ様に拾われた。
悲しいことに物心がつく前だったから両親のことが恋しいと思ったことはない、だっておじ様がいたし。
というかめちゃくちゃこの人私のこと褒めるな?どうした?
あの攫う発言からなんか違くね?なんでェ?
……変に考えるのやめとこ。
いつも私が鬼ヶ島で過ごす部屋についてからキングはそっと私を下ろした。
さっきよりは足ぷるぷるしてないけれど、問題はさ……何描こうか頭からぶっ飛んだところなんだよな……
私を下ろしたキングは茶でも持ってくると言葉を残して部屋から出ていく。
忘れちゃったけど紙だけでも広げてみるか……
いつもの紙を広げ、それから首を捻った。
何の話してたっけ……なんか、鯉が船引くとかなんで海水なのに鯉がいるんだとか思って……
ああそうだ、鯉の滝登り、登竜門みたいだなって思ったんだ。
海は黒く見えたから、青は青でもかなり深い青だろう。
浅葱とか白群じゃない、もっと濃い色。
……鯉にかけたわけじゃないからね?
濃い色ときたら群青だろうか、でも群青って空に使わなかったっけ。
海っぽい色……瑠璃とか……いや、紺碧かな。
よく言うのはオーシャンブルーとかロイヤルブルーだけど、どんな色だろう。
和名だけじゃ解説いないと難しいな、キングが戻ってきてからやろうかな。
墨を磨ってから下絵を薄く描いていく。
あ、どうせなら透明水彩使おう。
絵皿に青と黒を出して少しずつ混ぜて、自分の目に映る濃さと置いてある岩絵具の瑠璃や群青を参考に調節した。
先に色だけ作っておくか、塗るのはキングに聞きながらだ。
鯉、錦鯉。
白は紙の色で表現したい、変に白を使って際立たせるより一体感があるのが好み。
黒はそのままでいい、水で薄めればいいから。
赤は……どんな赤がいいかな……
真っ赤?朱色?
ちょっと遊び心を出して橙にする?
絵皿と睨めっこしていると、襖が開いてキングが戻ってきた。
「早いな」
「今のうちに描いておいた方がいいと思いまして」
「……鯉?」
「キング様が仰ってましたでしょう、鯉の滝登り」
「なるほど……」
空いている絵皿に赤と黄色を出して混ぜていると、キングが箱に入っている黒を指差した。
黒?ここに黒を混ぜろと?
「……おれの目は赤だ、少し暗い色だがな」
なるほど、じゃあそれでやっちゃお。
赤ってことは色素が薄いのかな、確か色素が薄い人は赤い瞳だって聞いたことがある。
赤にちょっとだけ黒を入れて、それを混ぜて見せればキングは少し照れくさそうにしながらもそれだなと頷いた。
「青は、もう少し明るい色がいい」
「明るい色?」
「カイドウさんが龍になると青龍だからな」
はー、なるほどー。
じゃあ新しく作ろう。
作ったやつはこのまま絵皿に残しておけばいいよね、透明水彩は乾いても使えるのが便利。
「ならこの絵は、カイドウ様とキング様みたいですね」
色合いが。
絵に色を塗りながらそう言って、ふとキングを見上げると目を丸くしていた。
それからさっきよりも照れたのか、ふいと顔を逸らす。
……なんだ、可愛いとこあんじゃんこの人。
黙っとこ。
思ったよりもこの人意地悪だし、なんか可愛いところあるし、一体今日はどうした。
それこそこの人の素なんじゃね?
そうは思いつつ、いつもの静かな空間では私が筆を滑らせる音だけがやけに大きく聞こえた。
黒炭の女の子
海見たい、とわがまま言ったらプテラノドンの背中に乗る誰も経験しなさそうな体験をした。
段々キングの前では素が出るようになってきている。
なんか今日いつもと違うね?と違和感バリバリ。
黒炭オロチ
内通者から光月の生き残りが飛んで来たと報せを受けて心臓が冷えた。
自分のことはどうにかなる、けれどあの子どもはどうすれば危害が及ばないかを考えている。
泣き出したカイドウの肩をそっと叩いた。
カイドウ
別に光月は脅威として見ていない。
子どもの話になって泣いた、オロチに慰められた。
おれだって、おれだってお父様って呼ばれてェ……!
姫様を火祭りの日に鬼ヶ島へ連れて来いと言ったのは、そういうことです。
キング
プテラノドンになって乗せたら怒られてちょっとしゅんとした。
じゃあ降りればいいんだなと飛び降りたらまた怒られたし、その時は姫様がめちゃくちゃ素が出ていて楽しかった人。
もういい加減いろいろ自覚した方がいい。