なんちゃって転生者のワノ国生活⑦

「逃がしちまってよかったのか?」

からかうように言えば、キングはなんとも言えない顔をしていた。
マスク越しでもわかるだろうが、何年の付き合いだと思ってんだ。
座敷牢まで用意して、一度はそこに閉じ込めたものの意外にもキングはあっさりとあの女を手放した。
オロチの姪、黒炭の姫様、生まれながら色が見えないくせに絵を描く女。
あいつのようにワノ国をどうこうしようとは思ってねェらしい、が、ワノ国を毛嫌いしているらしい。
かと言ってこの現状の発端であるオロチを咎めることもしねェ、変わりモンだなとは思う。
さらに言えば、何がどうなったのか、キングの気を引きやがった。
本人は自覚してないだろうが、あの女と関わるようになってからキングの様子がいつもと違う。
囲ってはいたが、無体を働くようなことはしない、なんなら気を遣って接していたからな。
昨日キングに抱えられてお散歩とか言い出した時は本気で女の考えることもキングの考えることもわからなくなった。
世間を知らなさそうな女が突然囲われたら戸惑って泣き喚きそうな気もしたが、泣き言を口にすることすらなかったしな、肝は据わってやがる。
惚れたのかと戯れで聞いたがキング自身も自分の感情がわからない様子ですらあった。
愉快だな、あのキングが。
個人としての女は博識であったと思う。
ワノ国から出たこともなければ特別な教育を受けたことすらない、なのに何故ああも柔軟に対応できるのか。
色が見えない絵師という時点で物珍しさはあったが、それだけじゃねェだろ。
キングが知っているあの女の底には得体の知れないものがある。
それは恐らく暴いてはいけないものだ。
おれもあの女を爆薬と形容したが、あながち間違ってねェだろ。
オロチにとってのアキレス腱にも等しい女、だから爆薬。
オロチがアキレス腱を切ったくらいで終わる男じゃねェのは周知の事実。

「あの女が描いた絵はどれも大したもんだったがな、それだけじゃねェだろ。お前がそこまで入れ込んでんだからな」

「……底なし沼みてェな女。興味本意で踏み込めば抜け出せなくなる、そんな女だな」

なるほど、言い得て妙だ。
オロチがこちらの手に負えないほど暴走したらあの女を盾にすりゃ楽かとも思ったが、下手に手を出せば自爆をするのはこちらだ。
こえーこえー、あんな女がオロチのところにいたなんてな。
逃がした魚はでけェんじゃねェのかと聞けば、キングは一瞬だけ目を丸くして、それから弓形に目を細めた。

「カイドウさん、おれたちは海賊だ。欲しいもんは奪うんだよ」

……立派に育っちまってまァ。
キングに気に入られた女を可哀想と思うことはない。
むしろあの女に嵌ってしまったキングが可哀想に思えた。
あの女が悪ィだろ、その気はなくともうちのキングを誑かしたんだからな。

 

静寂が心地よい。
寒くないし、温かくて心地よい。
うとうととおじ様の膝に頭を乗せて微睡んでいるとおじ様が大きな手で私の頭を撫でる。
花の都に帰っては来たけれど、すぐにひとりであの長屋で過ごすのはちょっと怖いから数日だけお城に滞在することを決めた。
おじ様は何も深く聞かずに好きにさせてくれるので、その優しさがちょっと申し訳ない。
お城で別に何をするでもない、のんびり寝起きして、美味しいご飯を食べて、お城の庭を散歩して、今のようにおじ様とゆっくり過ごす。
変わったことと言えば、お城で働く人の顔触れが少し変わったくらいかな。
大規模で処刑された人がいたらしい。
あの侍女だけじゃなくて、何人もああいう人間が潜んでいて、お城だけじゃなくておじ様が懇意にしている遊郭とか、仕入れをしているお店とか、いろいろ。
だから花の都はいつもより活気が少ないわけだし、私の顔を見たらなんかドン引きしたような表情をする人もいれば憐れむような表情の人間もいるわけだ。
別に気にしないんだけどね、前も言ったけど人が死ぬことを悼む心はあるけれど、加害者に対して思う人って少ないじゃない。
そういうことだよ。
おじ様と縁側で過ごしていると、控えめに誰かがやって来た。
簡単に一言二言を交わすと何かを受け取ったおじ様がそれを私に見せる。
桜だ。
桜の枝、少しだけ咲いた花。
折られたらしい枝の根元は濡らした布で包まれていて、折られたのだろうけど丁寧に扱われている。

「ほら、持ってみろ」

そう差し出されたそれを受け取ってそっと触れた。
意外と花びら柔らかいんだ、あまり触った覚えはなかったからなんか新鮮。
枝も細いけれど思ったよりもしっかりしている。
横たわったままおじ様を見上げれば、私にいつも向ける優しい顔で笑って私の顔にかかる前髪を掻き上げた。
満開の桜を空と見上げるのもいいが、こうやってひと枝だけあるのも乙だろうと。
……うん、とても素敵だ。
集まってこそ、桜らしさもあるけれど、こうやって枝一本だけでも綺麗。
大切にしますね、と答えればおじ様は嬉しそうに笑う。
よかった、私が帰ってきてから何か思い詰めているような顔ばかりだったから。
その桜の枝はちゃんと持ち帰り、小さな陶器の花瓶に生けて長屋の文机に飾った。
お城から長屋へ帰る時、おじ様が我慢せずにいつでも帰っておいでと言ってくれたのは本当にありがたい。
長屋に帰ってやることは、相変わらず絵を描くことで。
最近はもらった桜を見ながら描くことが多い。
一輪だけだったり、一本の枝に咲いている様子だったり、満開の大きな桜だったり、いろいろ。
それに味を占めて花売りからいろんな花を買って硝子の少し深めの皿に注いだ水の上に生けてみたり、何も描いていない紙の上に散らしたり、もう好き放題。
花を描くのはある意味とても自由だ。
だって花って本当に選り取りみどりじゃない、赤、青、黄色はもちろん、白や黒、緑や紫、橙色だってあるもん。
形だってそう、桜や梅のように決まった形の決まった数の花びらもあればとてもたくさんの花びらで成り立つ花だってある。
前の世界では虹色の花だって生け方次第で作れた。
……さすがに岩絵具で作れないな、花が萎れてしまうだろうし。
なんだっけな……食紅や専用の染色液みたいなもので作っていたような……レインボーフラワーだなんて呼ばれていたような……
作れないけれど、描いてみてもいいかな。
そうと決まれば何の花をカラフルにしようかと筆を取る。
バラとかカーネーションはこの国にないだろうしな……創作の花と思われるかもしれない。
どうせならもう少し身近なもので色付けた方が神秘的じゃない?
知っている花なのに、こんなのあるんだって。
菊にしよう、確か黄色だったと思うけど、紙の上でならいろんな色にしたっていいよね、私にはわからないけどおじ様は綺麗だなって言ってくれるだろうか。
鬼ヶ島からは用意されていた岩絵具を全部持ち帰るのはいたたまれなかったし、そもそもそんなに持てなかったから何色か持ち帰ってきた。
キングを質問責めにした時にメモしたものもあるから、これなら誰に聞かずとも着色できる。
あそこで暇つぶしに岩絵具だけを粉状に砕いているから絵皿の上で膠液と混ぜればすぐ使えるね。
まずは薄い墨でアウトラインを描いていこう。
ちょうど買った花の中に菊もあったからやりやすい。
たくさんの色を使うつもりなので広げた紙めいっぱいに菊を描いて、どうせなら蝶も描き込む。
なんだっけ、菊の花と葉っぱを上手いこと組み合わせて描くと菊蝶っていう形になるんだっけ。
何かの家紋だったような……そうじゃなくても菊と蝶の組み合わせって多いような気はするけど。
菊の花と蝶を描き込んで、何色で塗ろうか岩絵具とメモを見比べながら考えていると長屋の戸がコンコンと叩かれた。
同時に男の人の声も。

「はい」

「百獣海賊団の者だ。姫様、少しいいか?」

誰だろう……というか珍しいな、海賊が訪ねてくるなんて。
思ったよりも若めの声に首を傾げながらも筆を置いて土間に並べていた下駄に足を入れて戸へ駆け寄る。
戸を引けば、そこにいたのは初めて見る人がいた。
カイドウやキングばかり見ていたから首が痛くならないってなんか新鮮、おじ様も大きいしな。
そこにいたのはまだ若いであろう男の人、まだ少年?青年?そのくらいの年だと思う。
角の生えていて、帽子を被り、前髪で顔の右側を覆っていて、マスクをしている。
その人は私を見ると目を丸くして、でもそれからきゅっと目を細めた。

「あんたが姫様?」

「おじ様の姪で他に呼ばれている人がいなければ私です」

あんたがねェ……と物珍しげにじろじろと見下ろすけれど、まあ慣れているので別に気にしない。
ページワンと名乗ったその人は簡単に要件を口にする。
なんでも、カイドウとキングの指示でここら一帯を見回る時に私の様子を伺うように言われているらしい。
わー……結構気にしていただいているんだァ……
座ります?と聞いて土間に促せば戸惑いながらもページワンは土間に腰を下ろした。
要件だけでも立ち話だけだと目立ち過ぎるしな、ほら、行き交う人たちがなんだなんだと気にしているじゃん。
私自身目立つし、この人だけでも目立つだろう。
片やおじ様の姪の姫様、片や百獣海賊団の構成員。
こうやって直に話をしに来るくらいだからそこそこ上の人間だろうし。
お茶くらい出そうか。

「姫様っていうくらいだから城で暮らしてんのかと思いきやこんなところで暮らしてんだな」

「お城だとひとりになれることが少ないですし、私はこういうところの方が落ち着くのです」

「わかる……!ひとりになれるって大事……!」

……なんかめちゃくちゃ頷いていらっしゃる。
その言葉に苦労してんだなこの人、と思ってしまった。
ちょっといいお茶菓子も出してあげよう……
確か、小紫様からいただいたものがまだいくつか残っていたはず。
それをページワンに出せばちょっと照れ臭そうに笑いながらもマスクを下ろしてお茶に手を伸ばした。
私もお茶を飲みながら、ページワンから話をするのでそれを聞くことにする。
百獣海賊団の飛び六胞、つまりカイドウやキングに次ぐ幹部陣のひとりだって。
キングがどの位置か知らなかったから聞けば大看板という三人のひとりだってさ、なんならキングはカイドウの右腕だって……えっ、だからあんなすげー用意できたの?やっば……こっわ……
やべー人に気に入られたんだな私……もう他人事で貫こう、そうしよう、この前攫う宣言されたしな……聞いてません、耳の間を通り抜けただけです。
ページワンにはお姉さんがいるらしく、めちゃくちゃベタベタしてくるんだって。
でもそれはお姉さんにめちゃくちゃ愛されてんじゃね?
あー……ページワン若いし年齢的にちょっと恥ずかしいのか、わかるわかる。
前世でも弟や妹のいる友人はめちゃくちゃ甘やかしてベタベタしてた、その度に下の子に嫌がられていたけど、友人がいない時の弟くんや妹ちゃんは嫌いじゃないけど鬱陶しいし恥ずかしいのって言っていたもん。
今世はきょうだいなんていないし、友人もいないからわからないけど。

「あんたいいやつだな、オロチの親族っていうくらいだからやな奴だと思ってた」

わかるー、あるよね、その人の親族だからそう思うって。
でもほら、おじ様は私に優しいからさ。
巷でどう呼ばれていても他人の評価なんて当てにならないんだよ。
私がそれを言う前にページワンはハッとして「悪い、別にそういうつもりだったわけじゃないんだ」と慌てた様子だったので、気にしていませんよとだけ言って他は特に何も言わないでおく。
素直……悪い子じゃないんだろうな、個人としては。
どうしてもカイドウの部下ってなると、あれだけど。
それ言っちゃうと私も他の人と変わらないな、自重しよ。
年もページワンは私より年下で、なんなら幹部陣で一番年下なんだってさ。
その年であの海賊たちの中でかなり上なの凄くない?
純粋に凄いと思うよ。

「あ、そうだ。あんた目が見えないんだって?」

「正確には見えるのですが、色だけ見えないんです」

「へー、じゃあ何に見えるんだ?」

「白と黒でしたらわかりますよ」

「ちょっと不便だな。でもそれはそれで新鮮じゃね?なんでも好きな色で想像するの、楽しそうだけどな」

……驚いた、今までそう言った人に出会ったことがあっただろうか。
みんな一言目には可哀想だって言う。
カイドウもキングも可哀想だと言ったことはないけれど、ちゃんと面を向かって言う人なんていなかった。
そうか、そう捉えるのもありか。
海賊だけど、ワノ国の外を知っている人だから考えが柔軟な気がするな。
思わず黙ってしまうと、本当に悪いつもりで言ったんじゃねェんだ!とページワンは弁解した。
大丈夫大丈夫、わかっているから。
ふふ、と笑いが溢れればページワンはきょとんと目を丸くして、それから顔を赤くして下ろしていたマスクを上げる。

「ページワン様は、柔軟な思考をお持ちなのですね」

「……そ、うか?」

「ええ。私はそう思います」

そう言えばページワンは頬杖をついて、あんたがキングのお気に入りじゃなけりゃなァ……と遠い目をした。
それなー、なんでこうなっちまったかなー。
どうやら私がキングのお気に入りになっているのは周知の事実らしいよ、百獣海賊団の。
マジかー、勘弁してくれー。
そりゃあ、殺されかけたところを助けてもらったのは感謝しているんだけどそれ以上は何もしてないんだなー。
……いや、正確にはめちゃくちゃ心中吐露してしまったくらいなんだわ。
あんた何したの?とページワンが同情する眼差しで言うけれど、私も知りたい、私は何を仕出かした……?
お茶を飲み干して、ちゃんと茶菓子も平らげたページワンが土間から立ち上がる。

「ま、何かあったらおれに声かけてくれよ。キングのことは……うん……何もできねェけど、花の都で何かあったらすぐ駆けつけるからさ」

「ありがとうございます、ページワン様。頼りにしますね」

「あとその様付けはやめろよ、こそばゆい……」

普通にページワンでいいだろ、くん付けとか。
くん付けか……したことなかったな。
戸を開けて外に出るページワンに声をかける。

「お茶くらいは出しますからね、ページワンくん」

「……!お、おう!また来るな!!」

若いなァ……可愛い感じの若さ。
ぶんぶんと手を振って去っていくページワンに手を軽く振って見送った。
お友達ができた気分、ちょっと嬉しいな。
戸を閉めて出していた茶器を片付ける。
……こうしてワノ国の外を知っている人と話すとじわじわと外への憧れが湧いてくるな。
キングはああやって言ってくれた。
選択肢が増えるのはいいことだと思うけれど、それでも心配に、気がかりに思うのはおじ様のことだ。
もしも、もしも猶予があるのなら、おじ様が目的を果たしたのを見届けてから外に行ってみたい。
こんな国の行く末はどうでもいい、でも、おじ様の行く末だけは別だもの。
……ま、攫うとか言っていたキングに待ったは通用しないと思うけれどね。
どう躱せばいいものか……そう思い悩みながら描きかけの花を描こうと筆を手に取った。


黒炭の女の子
花の都に帰ってきた。
しばらくはお城でのんびり過ごしてオロチと談笑したりして癒されてから長屋へ帰る。
桜の枝をもらったので自分の文机にちゃんと生けた。
おめでとう!お友達ができたよ!ページワンくん!!

カイドウ
あっさりと右腕が姫様を手放したのにちょっとびっくり。
その後の言葉に可哀想だなと思った。

キング
あっさり手放したのは手放しても攫いに行けば結果は同じだと思ったから。
惚れたなんて可愛らしいもんじゃない、執着に近い何かかもしれない。

黒炭オロチ
姪が帰ってきて一安心。
子どもの頃のように膝枕をしてこれでもかと甘やかした。

ページワン
百獣海賊団の飛び六胞。
キングのお気に入りじゃなけりゃもっと気軽に遊びに来れるんだけどなー。
見回りの度にやって来てお茶飲んでお話するお友達。

2023年8月4日