知っているような気がする。
私を見る目とか、頬に触れる指の背とか、体に回る腕とか、私の名前を呼ぶ声とか。
ただ、知っているより距離が近いような、いや、前も近かったけど……うーん……なんだろう、この感じ。
そう思ってはいるんですがね、今いるのタワマンなんだよね……
新居、新居です。
いや私もマンションだったけどタワマンやばい、高層階用のエレベーターついてる……
あれよあれよと籍入れてお引っ越し。
キングも最初からここに住んでいたわけではないようで、つい最近買ったとか……買うとは……?
聞かんでおこ……
ふたりなのに3LDKだってさ……ひっろーい。
キングの部屋、私の部屋、それから寝室。
うん、一緒に寝る感じですかね。
私の私物運び込んでも部屋に余裕があるゥ……あっ、でもカメラの防湿庫が買えそうだ。
カメラって気分や場面で使うもの変えたり、場合によっては二台持って行くこともあるからね。
カメラの保管にはクリアケースタイプの防湿庫使って一台一台分けていたけど、この広さなら防湿庫を買って纏められそう。
絵を描く道具も前のようにごちゃごちゃにならないで綺麗に並べられる、なにこれ楽しい、ワクワクする。
大方私の荷解きを終えてリビングに行けば、ちょうど家具や家電が運び込まれている時だった。
リビングには、とりあえずテレビとテレビ台とソファーにローテーブル。
ラグやらカーテンやらは今日一緒に買いに行くことになってる。
ちなみに全部新品です、私の家で使っていたやつは実家の離れに送った。
引っ越し要員はキングの部下さんだって。
何か手伝うことありますか?って聞いたら休んでいてください!と言われたので、邪魔にならないようにリビングの窓際で外に視線を向ける。
……たっかい。
背の高いマンションやビルが多いけれど、その中にここがあると思うとなんだか不思議だ。
夜なんか光が絶えないんだろうな。
でも夜空は星が見えにくそうだ、街の光に隠されると思う。
せっかくだから一枚。
スマートフォンを出してカメラアプリを起動し、一枚だけシャッターボタンを押す。
うん、いい景色。
今日は天気いいからきっと青空なんだろう。
もう色なんてうろ覚えだ、ただ、きっとこんな色って、そういう確信があるだけで。
にしても高いな、何メートルあるんだこれ。
「何か物珍しいもんでもあったか?」
あれ駅だな、こうして見ると大きい。
そう思って景色に見入っていると声をかけられた。
振り向けば、キングが穏やかな表情で私の頭に手を置く。
……なんでそれがキングにしては穏やかだとわかるんだろうか。
デジャヴばかり。
それに言及する必要も今のところないので、高いところから見るのが新鮮なんですとキングに答えればああ、と納得したように声を零した。
「お前の実家はあっちの方向だな。今は見えねェが、春になると桜が綺麗に見える」
「へえ……詳しいんですね」
「……そりゃ、お前のことだからな」
少し恥ずかしそうにするとキングは指の背で私の頬に触れる。
そっと、まるで壊れ物を扱うかのような。
それを私は知っている。
でもどこでだろう。
知っているのに、ちゃんと答えは出てこない。
不思議そうにしている私の頬を両手で包んでキングは笑い、それから手を離して私の腰に腕を回した。
これから買い物だって。
キングが部下さんに解散を伝え、私には支度してこいと背を押す。
うーん……本当になんなんだろうな、この既視感は。
前世で会ったことあるとか?
でもそんな、前世でお会いしましたかなんて言えるわけないじゃん。
電波だろそんなん。
今回どっかで会ったかな?
キングみたいな美丈夫なら一度会ったら忘れないと思うんだけどな。
本人が言っていたけど、キングは褐色肌に白髪と赤目だ。
ミステリアス……会ったら忘れないっての。
思わず髪の色お揃いですねって言っちゃったけど、嬉しそうにしていたな……
まあ、いっか。
いつか答えが来る日はあるのだろうか、いや、来なくてもいいか。
そう思えるくらいには不思議なほど、キングを信頼している自分がいた。
さて、キングに促されて簡単に支度をする。
今日はワンピース着ていたから冷えないようにカーディガンを羽織って鞄を手にした。
靴はスニーカーを玄関に置いてあるしそれでいいかな。
先に玄関に来て、靴を履いているとキングもやって来た。
……うーん……マイルドなそっちの輩だわ……
実際その輩なんだけど。
薄い色のハイネックに濃い色のジャケット、それにサングラスて……こっわ……
そのままキングと家を出て、駐車場に停めてある車に乗り込む。
……こっ、高級車ァ……!
いや、うちも高級車あるけど、私あまり乗らないから!
車酔いないけど、歩いている方が好きでしてね!?
それでそのまま行ったのはなんとジュエリーショップでした。
……なんでえ?
「嵩張るもんは後回しだ。それにこっちがどう考えても先だろうしな」
買い出し以外に何が先なんですか……
いや、言わなくても察してます。
そこまで鈍くないもん……
予め連絡を入れていたのか、キングは店員さんに声をかけると私の手を繋いだまま奥へ進む。
VIPが使いそうな応接室ですね……そう思います。
「お待ちしておりましたキング様。そちらが奥様ですね?」
「ああ、頼んでいたものを頼む」
「ご用意しております。こちらです」
さらっと奥様呼ばわりされてしまった。
促されるまま上質なソファーに腰掛け、思わずキョロキョロしてしまう。
……なんか、めちゃくちゃ凄い……語彙力の消失……
そんな私に気づいたキングが部屋の額縁に飾られている宝石の名前と色を教えてくれる。
どんな色だとか、同じ色でもこう違うとか……なんか慣れてるね?
そうじゃなくても博識なんだなこの人、とてもわかりやすい。
知識があるだけじゃなくて、説明し慣れている。
本当に頭のいい人って誰かに説明するのも上手だ。
「本当に詳しいんですね」
「その方がいいだろ。お前がわかるなら」
なんか、私のために詳しくなったって受け取りそうだわ。
自惚れちゃいますよ、と小さく言えばむしろもっとそうしろと返された、マジですか。
とまあ、そんな話をしているとさっきの店員さんが何かを持って戻ってきた。
私たちの向かい側に座ると、手袋をして持ってきた何かの箱を開く。
並んでいたのは指輪だ。
……えっ。
「キング様のご注文通り、こちらは木目模様の入った木目金の指輪になります。元々同じ板から作られますので重ねますと……このように大きさ故に少々ズレはありますが、ぴたりと模様が繋がるものでございます」
「悪くねェ」
「一度身につけてお試しくださいませ」
語彙力なくてすまんな、凄いですね。
店員さんから差し出された箱に手を伸ばし、小ぶりな方を手にしたキングが私の左手を取る。
そしてそのまま薬指にそれを嵌めた。
ぴったりと収まって、色はどんなものかわからないけれど肌なじみがよく見える。
木目調の中に、ひとつだけ色が違うようなものがわかった。
なんだろうこれ。
「ほら、おれのも頼む」
「あ、はい……」
キングに促され、残った指輪を手に差し出されたキングの左手薬指にそれを通す。
緊張する……震えてるんですけど、そんな笑わなくても……!
キングの指にもぴたりと収まって、それをキングはしげしげと眺めると薄く笑った。
「木目模様の中にはピンクゴールドが入っておりまして、例えるなら赤い糸でございましょうか。お似合いです」
「赤い糸……」
こういうのもあるんだ……
赤い糸は小指だけど、結ばれたのなら薬指なのかな。
なんだか不思議だ、それに現実味がぶっちゃけないんだわ。
これを選んだのがキングってのも。
ぽけーっとしている間に指輪をつけたまま、キングに手を引かれてお店を後にした。
車の助手席でじっと指輪に目を落とす。
というか、さらっと結婚指輪というものでは?
いろいろ買い出しもしたけれど、なんか覚えていませんよ。
こっちの衝撃凄くて。
ラグとかカーテンとか、他にも食器とかいろいろ買ったのは覚えてるけどどんな会話したかは本当に覚えてません。
すっかり夕方だ、この部屋は意外と夕陽が入るみたいで眩しい。
キングは呼び出されたらしくて悪いな、ととても不満そうな顔をして出て行った。
夜には帰るみたい。
リビングでソファーに座ってスケッチブックと鉛筆を片手に適当に描き殴る。
夕陽、鉛筆だけだと夜明けなのか日没なのかわからないけど。
でも日没の時の太陽の方が濃いかな……?
ふと、きらりと光る左手の薬指に鎮座する指輪に視線を落とした。
赤い糸ねェ……
あまりそういうのはわからないけれど、そうだったら、いいよね。
そう思うくらい、私の本質的なものが彼を信頼している。
きっとなんでと問いかけても教えてくれないのだろう。
何を当たり前のことを言っているんだと、〝私〟が言った気がした。
思っていたよりも遅くなった。
せっかくの新居一日目で呼び出すとはあのカス野郎デリカシーってもんがねェのか。
先に食事を済ませて寝るように連絡を入れたが、あいつはもう寝ただろうか。
もう時間は日付が変わった頃だ。
家に帰ると、リビングから灯りが漏れていた。
まだ起きてんのか?
リビングに行けば、ソファーで横になり丸くなるようにして眠っているあいつが。
寝間着姿、ローテーブルの上にはスケッチブックと鉛筆。
寝落ちたらしい。
ここで寝たら風邪引くぞ、と声をかけても反応はない。
とりあえず着ていたジャケットを脱いでソファーに置き、女を抱き上げる。
思った通り軽くて細い。
そのまま寝室へ向かい、広いベッドに寝かせた。
……あまり無防備過ぎると食っちまうぞ。
お前からしたらおれは初対面だろうに、覚えていないだろうが。
時折不思議そうに首を傾げるもんだから全く覚えていないわけじゃねェんだろうな、覚えがあるようなないような、そんな顔もしているから。
ベッドに腰かけ、指の背で女の頬を撫でる。
ふたりきりだった頃を思い出すな。
お互い全部なくして、ふたりきりになった頃。
ずっとふたりきりだった。
でも物足りなさなんてなくて、不思議とふたりきりで満たされていて。
おれもこいつも、大切な一番を失ったから時に寂しく感じることはあったが、それでも満ちていた。
思い出してほしいとは言わない。
前は前で終わった話だ。
悪くなかった。
今もそう。
これから前のように、もしかしたら前以上にお互い満たされればいい。
「んん……」
「悪ィな、起こしたか?」
「……アルベル……?」
女の口から零れた名前に思わず目を見張った。
いや、まだ教えていない。
その名前は、まだ。
眠たそうに目をとろんとさせ、女はおれの顔に手を伸ばす。
少し冷たい指先、冷え過ぎたら絵を描くのに手間取るからといつも気にかけていた小さな細い指先。
あの時のように指先に薄らと顔料が染み付いてはいないけれど、あの時と変わらない指。
おれの頬に手を当て、薄く笑う。
「どうしたの……まだ夜じゃないの……」
寝るんでしょ、とおれの眦を愛おしそうに指先で撫でる。
……もしかしたら、そう期待してもいいのだろうか。
おれがお前を忘れず憶えていたように、お前もおれを憶えていると。
女の手を取って指を絡めれば女も応えるように指を絡めた。
すると女は、今日はいつもより甘えたさんなんだ?と笑う。
本当に、変わらねェな。
おれより甘えたなところがあるのはお前だろうに。
促されるままベッドに入り込み、女の体に腕を回して頬を寄せた。
「あったけェな」
「あったかいのはアルベルじゃん」
うとうとしながらも女はおれの背に腕を回す。
つばさないねと呟き、以前していたように羽繕いをするように優しく手を動かしておれの背を撫でた。
きっと今は、前とごちゃ混ぜになっているだけだ。
朝になったら何があったかなんて忘れているだろう。
それでも構わない。
こいつは忘れていない、ちゃんと憶えている。
こいつが知らないだけで、おれは憶えている。
ゆるゆると動いていた手がぴたりと止まり、女の顔を覗けば穏やかな表情で眠っていた。
いい、十分だ。
覚えていなくても憶えている。
会えただけでもよかったと思えた。
その先を求めるのは欲張りかとも思った。
求めたらこいつは応えてくれる。
不思議そうな顔をして、白い頬を赤く染めて、恥ずかしそうに笑って。
おれが欲しかったお前を全部くれる。
なあ、もっと自惚れていいとおれはお前に言ったけれど、おれも自惚れてもいいだろうか。
元黒炭の女の子
なんちゃって転生者。
あれよあれよと気がついたら籍入れていたし新居に引っ越していたし指輪もらってしまった。
憶えている自覚はなくても憶えているよ。
翌朝、目の前にキングの顔があってビビり散らかした。
キング
女の子が憶えていなくてもいいとは思っていたけど、憶えている様子に胸が昂った。
そりゃあ博識ですよ、色がどんなものかなんて特に、全部女の子のために、女の子の世界を自分で染め上げるために。
まだ本名は教えていなかったけど、一度呼んでもらうと何回も呼んでほしくなるから多分教える。
翌朝、ビビり散らかした女の子を見てめちゃくちゃ笑った。
結婚指輪はこの人が時間かけて選んだもの、木目金の指輪で、一筋だけピンクゴールドの入っているやつ。
続いてしまいました。
もしかしたらまだ続くかも。