「ねえちゃん!!開けて!なあってば!!」
「もう邪魔しない!しないからあああ!!」
「……姐ちゃんマジで大変だな」
「あれはちょっと鬱陶しいんだわ」
「あー……わかる」
「マイキーに渡したたい焼きの余りだけど食う?」
「もらう」
今日はいい天気だなぁ、曇り空から天使の梯子見えてた。
私が蘭と竜胆と一緒に来たのは梵天の事務所のひとつ。
九井と絵の取引、絵はいくつかふたりの部下さんに運んでもらった。
まあ運んでもらうところはいいんだよ。
九井だけじゃなくて三途もいて、しげしげと絵を眺めるのを見て蘭と竜胆が誇らしげに胸を張る。
なんでオマエらが胸を張るんだよ。
まあそれもいいよ、こっちが小っ恥ずかしいけど。
九井と絵の値段で話をして私の提示する値段より九井が遥かに値段を跳ね上げる、え、そんなにもらっていいの?
そこで蘭と竜胆がそんなに安くねえだのもっと値段高くしろと口々に言う。
うん、まあ、こちらとしてはありがたい。
けれどそれ私にぴったりくっついて言う必要あるか?
私が何か言う前に言うな、九井と取引しているのは私だ。
というかずっと引っ付かれた私の気持ちを察しろ、値段跳ね上げるよりも前にちょっと距離を置け。
言っても聞かないので強硬手段に出た。
引っ付いているふたりの膝に蹴りを入れ、体勢を崩したところを首根っこ掴んで事務所の外に放り出した。
ちゃんと鍵をかけるのも忘れない。
自分でも手際よくなったな、なんて思ってたら三途と九井がパチパチと拍手する。
ついでに三途からは佐野への差し入れらしいたい焼きの残りをもらった、高いところのものだけあって美味しいなこれ。
ドンドンガチャガチャと扉を叩いてはドアノブを回すふたりに溜め息が出るけれど、そのくらいの騒音なら九井との取引の邪魔にならねえわ。
「数もあるからさっさと進めるか……オレとしてはあいつらが言う値段だと向こうがそれより出すとは思えねえんだわ」
「それな、九井の言い値で進めていこうか」
「あ、姐ちゃん茶ァ飲むだろ?オレ淹れるわ」
「そんなに気ィ遣わなくていいのに……悪いね三途」
事務所にあるポットと湯呑みを持って準備をしてくれている三途を横目に九井と話を進める。
持ってきた絵はそれなりに気持ちを込めて描いた自信作ばかりだ。
二つくらいは気軽に描いたものもある、そういうものが受ける人もいるんだと。
はー、勉強になるわ。
私は絵が売れたらラッキー精神なところあっからさ。
そう言えば九井は頭を抱えて「もう少し自分の価値わかってくれよ」と溜め息をひとつ。
そう言われても、好きで描いているだけだったからなあ。
「まあ、思ったよりいい値段がついたらその分姐さんにバックする。オレからの先行投資だと思ってくれ」
「あ、だからいつも追加で振り込まれてた感じ?遠慮なく画材買ったり個展の整備に使ったりしてたわ」
「おう、その調子で好きにやってくれよ絵師さん」
「姐ちゃん茶ァ入ったぞ、おら九井のもついでだついで」
「ありがとう三途」
「……オレの分まで用意するなんて明日は土砂降りだな」
「喧嘩なら買うぞコラ」
「ここで喧嘩したら蘭と竜胆のところに放り出すぞガキ共」
熱いお茶を飲みながら言えば間髪入れずにすみませんとふたりから返ってきた。
さて、九井との取引も終わったし、あとは帰るだけなんだよな。
蘭と竜胆を置いて帰っていいかと聞けば、三途と九井にはやめとけと言われた、ですよね。
あの誘拐事件からそれなりに時間も経つけど、私が外出する時は必ず誰かがいる。
それは恐れ多いことに梵天幹部やその信頼する部下さんがほとんど。
まあ私も怖い目に遭ったしな、外に出るのが怖くないわけではない。
正直まだ家の外に出ようとすると手が震える、ドアノブに手をかけられない、他人とすれ違うのが怖い、個展で準備や片付けをするのが不安でたまらない、そんなことがずっと続いている。
なんとかしなきゃとは思う、梵天のお抱え医師には一種のトラウマではないかと言われた。
元々外に出るのは好きだったから私には苦痛でしかない。
ひとりで好き勝手にスケッチするのが好きなのに、外に出たい気持ちはあるのにひとりで外に出られないのがしんどいんだ。
誰かがいればそりゃあ安心するけれど、慣れてる幹部の皆さん以外だとやっぱり怖いと思っちまうしさ。
「姐ちゃんのそれは時間も必要だろ、灰谷兄弟も姐ちゃんが心配だからああして鬱陶しいくらい引っ付いてんだよ」
「うん……わかってはいるよ」
「あいつらはもちろんだけど、オレらだって姐さんが邪魔だとかぜってー思ってねえからな。じゃなきゃいくら事務所でも梵天に関わらせるわけねえじゃん?」
「……そうだね。お抱え医師ならぬお抱え絵師ってか」
「悪くねえだろ」
「で、あいつらいつまでああしてんの?中入れんの?」
「もうちょいあのままでいいんじゃねえかと思うけど」
ねえちゃん!ねーちゃん!なんて私を呼ぶ声が少し涙声になっているような気もするけれど。
たい焼きとお茶が美味しいな、と三途と九井とのんびりしていたけど、それは事務所の鍵を開けた望月がべしょべしょに泣いている蘭と竜胆を引きずってきたことで終わった。
たまには歩いて帰りたいな。
そんな私の希望を聞いて蘭と竜胆が私を挟むようにして慣れた街中を歩く。
しっかりと私の手はふたりに繋がれているし、鞄や梵天の事務所でもらったお茶菓子は蘭と竜胆がそれぞれ持っていた。
移動はほとんど車だったから、なんだか久しぶりな気もするな。
人とすれ違う度に心臓が嫌な音を立てるけど、蘭と竜胆が大丈夫と優しく言ってくれるのでそれに甘えてゆっくりと歩く。
「ねーちゃんどっか寄りてえところある?まだ日も暮れてねえし、久しぶりに買い物とかさ」
「ここのところずっと通販ばっかだったもんなぁ、服だけじゃなくて画材でもいいしアクセサリーでもいいし寄るか?」
「ん……寄ってみたいかも」
慣れてるところがいいな……やっぱり画材屋さんかな。
ふたりに手を引いてもらい、いつも画材の買い出しに来ている画材屋さんに入った。
久しぶりの画材の匂いや雰囲気に、少しだけ安心もする。
人は少ないけれど、それでもなるべく人から避けるように棚を回り、足りなくなっている色や目新しいものをカゴに入れた。
最近はキラキラした画材にハマっているし、ネットで買うのとこうして見て選ぶのとでは全く違うな。
手に取って傾けて色味を確認し、いいなと思ったものをどんどんカゴへ。
九井との取引もあったし、いつもより奮発してもいいか。
水彩がメインだけど、顔彩やアクリルも使うことあるしこれを機に増やしてみようかな。
水彩とはまた違うから生かすのに時間かかるかもだけど。
「ねえちゃん楽しい?」
「うん、久しぶりで楽しい」
「水彩も油彩も顔彩も何が違うのかオレにはわかんねえな……ねーちゃんが使ってんのは知ってんけど」
「似てるようで違うから、紙が違うだけで発色が変わるのに似てるかな……?」
「……紙って違うの?」
「コピー用紙と画用紙の違いしかわかんねえ」
そりゃあ私はそれで食べてるからな。
いくつかスケッチブックもカゴに入れて、レジに並ぶ。
会計くらいはひとりでやってみるわと蘭と竜胆に言えば、少し離れたところで待っててくれた。
顔馴染みの店員さんと簡単な会話もして、慣れてる人には大丈夫そうかもと思いつつ、思ったよりも大きくなった荷物をぶら下げて蘭と竜胆のところへ行けばふたりは安心したように溜め息を零す。
はじめてのおつかい気分だわ、仕方ないけど。
夕飯食べて帰る?と聞かれたけれどまだそれは無理そうなので申し訳ないと断って家へ帰った。
竜胆が作ってくれると言うので、私と蘭で私の部屋に行き、買ってきたものを開封して一緒に整理する。
外に出ることが少なくなってしまったから、描き溜めた絵がたくさんあるな。
事務所に持っていったのにまだまだある、多分これだけで個展開けんじゃねえかって思うくらいには。
次の個展は二週間後、それまで絵にスペースを取られるのはしょうがねえか。
「個展までオレらと寝れば?つーか模様替えしよ」
「そこまでする……?」
「ねえちゃんの部屋をアトリエとして使う、オレの部屋にオレと竜胆の私物を置く、竜胆の部屋を三人の寝室に使う。あ、ねえちゃんのクローゼットや私物はこのままねえちゃんの部屋でいっか」
めちゃくちゃ大変そうだけど。
そもそも三人で寝るの狭くない?私のベッドも蘭のベッドもどうすんの?
あっけらかんとベッド全部買い換えよ、なんて蘭が楽しそうに言うもんだからそうするか……と決めてしまった。
ベッド三台、全部処分して大きいサイズのベッドを買えば解決だろと。
……待て待て、まさかの三人同じベッド?
画材の整理を終えてリビングに行けば、台所の竜胆に蘭がそれを伝えると竜胆もあっけらかんといいじゃんと言う。
「むしろ今までなんでしなかったのか不思議だわ」
「ほら、ねえちゃんが夜な夜な作業もするからだろ。オレらも気ィ遣ってたしな」
「そっかー。オレとしては三人で寝るのめっちゃ賛成なんだけどなー……だめ?」
「だめと言う前にもうふたりその気だろ」
そんな嬉しそうに楽しそうに話を進めているのに断れると思ってんのか。
じゃあ決まり!と蘭と竜胆が笑った。
竜胆の作ってくれた夕飯を食べながら、明日からやろうなーなんて決まるし、いつの間にか竜胆はネットでベッドを買っていたし蘭はベッドの処分も手配している。
うん、まあ、いいか。
あれからひとりで眠れない日も多々あるし、ふたりと一緒だと安心だ。
親戚のおねえさん アラフォーの姿
九井くんと絵の取引をしている最中ずっと引っ付いている灰谷兄弟を事務所の外に放り出した。
話の邪魔をするなとあれほど……おねえさんを置き去りにおねえさんの絵がどんどん値上がりしていくのは嬉しいような申し訳ないような……
誘拐事件の後トラウマに苦しんでいる。
時間かかるのはわかっているけど、誰かが傍にいてくれるけど、それでも怖いものは怖い。
いつの間にか大々的な模様替えが決まった。
最早梵天のお抱え絵師。
灰谷兄弟 梵天の姿
おねえさんが心配だから引っ付いていたら鬱陶しいと事務所の外に投げられた。
ねえちゃんの絵がそんなに安いわけねえだろ!ねーちゃんすげーんだからもっと値上げしちまえ!だめです。
誘拐事件の後からおねえさんの傍にいるようにしている、梵天の仕事もふたりじゃなきゃ無理なもの以外は基本的におねえさんと一緒。
トラウマに苦しむおねえさんの力になりたい、もうなっているけれどもっと力になりたい。
外食はしばらくしてないし、おねえさんと出かけたいところもあるけれど、おねえさんのペースで。
大々的な模様替えを決定した、次の日の夜には八割方模様替え終わっている。
九井くんと三途くん 梵天の姿
九井くんはおねえさんと絵の取引があった、比較的仕事モード。
絵の相場もわかってるし、どんなものがどんな人間に受けがいいかも熟知している、さすが。
三途くんは価値がすげーのはわかるくらい、マイキーくんへの差し入れが残っていたのでお茶を用意して三人でのんびりしてた。