もしも呪いの世界と交わっていたら⑩

「……整理していい?」

「どうぞ」

「つまりあれは私ではなく不特定多数への羨ましいが詰まってできた不特定多数の負の感情で、たまたま、私が、襲われたで、合ってるんだよな?」

「そうだよ」

「……理不尽じゃねーか」

今日はいい天気だなぁ、なんて言うとでも思ったか、絶賛真っ暗闇にポツンだ、なんだここは。
覚えているのはギャラリーで変な生き物に首を締められたこと。
そこからはわかんない、気がついたらここにいた。
あの変な生き物、ずるいだの羨ましいだの言いやがって。
全く身に覚えがない、何がずるいのか、羨ましいのか。
ああでも心当たりがないわけじゃないんだよな、残念ながら。
絵で食べていくには相当努力が必要だ。
それも好きなものだけ描いて、何不自由なく生きるなんて、夢のまた夢、それこそ歌手とか役者とか。
でもそれは努力の結晶じゃないか。
私だって努力した。
好きだったから。
絵を描くのが好き、空が好き、空を描くのが大好き。
どうすればあんなに綺麗に描けるんだろう、初めて描いた時は上手くできなくて泣いてびりびりに描いた絵を破いて父親に慰めてもらった。
いいじゃないか、絵で食っていっても。
好きなものを買いたいって、手元に置きたいって、お金出して描いてほしいって、そう言ってくれる人たちがいるんだから。
あーあ、なんかこの変な場所に来てから私らしくないな。
こんなにうじうじぐだぐたする人間じゃねえってのに。
どのくらい経ったのかわからなくなってきた時に、夏油がやってきた。
やあ名前さん、なんていつもの軽いノリで。
で、夏油が言うには私の意識は呪霊とやらに取り込まれてしまっていて、肉体は意識不明、向こうでは一週間近く過ぎていて、あと三日すれば割と本気で命がやべーと。
高専側もその呪霊を探しているらしいけれど、残穢っていう痕跡が薄くて難儀しているんだと。
……不特定多数への負の感情は不特定多数から成るもので、たまたま私が襲われたと、ふーん……
え、これシバいてよろしいよね。

「なんで夏油はここにいんの」

「灰谷蘭に『テメェが噛んでねえならなんとかしろ、じゃねーと殺す』って言われながら殴られた私の気持ちを察して」

「蘭の言うことに間違いある?」

「いやだって私無関係だよ?なのにこうして協力してるの偉くない?頑張ってここまで来たんだよ?」

「脅されてる時点で偉い偉くないじゃなくて協力せざるを得ないんだろ」

「まあね、でも名前さんを取り込んだのは一級呪霊だし、私も取り込んでおいて損はないかなと」

何級って言われてもわからんわ。
どうすればいいのかもわからねーわ。

「手っ取り早いのはこの中で呪霊の核を見つけて攻撃することかな。正直名前さんは呪力や術式を極めれば一級相当になるだろうし、確実にこの呪霊は名前さんを殺して取り込めば特級になってもおかしくない」

「……その言い方だと、私が死ぬとオマエの都合に良さそうに感じるけど」

「持ってる術式的には正直そうしたい。けれど、名前さんとの縛りで今ここにいる時点で名前さんを生かさないと私もどうなるかわからない」

「よーし、死んだらオマエ道連れな」

「ほんっと物騒だね!?」

こんな人畜無害の絵師を捕まえて何を言うか。
私が案内するよ、と夏油が私の手を取る。
いつも通りでよかったよと言うけれど、私のどこをどう見たらいつも通りに見えるんだ。
割とひとりの時間が長すぎて参っていた。
こんな真っ暗闇でひとりなんて精神病むっつの。
来てくれたのは正直ありがたい、いつも通りで振る舞えるから。

「じゃあ辿り着くまで私とお話しよう」

「何の話をすんの」

「そうだなあ……君と灰谷兄弟と、梵天の話なんかどう?」

「クソガキ共に振り回されている私の話なんて今さら過ぎる」

「……梵天をクソガキ共で終わらせるのは後にも先にも名前さんだけだろうね」

君一回普通って文字を辞書で引いた方がいい、なんて真面目な顔で言われた。
だってクソガキじゃん。
やってることはもう洒落にならないけれど、私からしたら全員クソガキだよ、明司以外は、いや明司も含まれる時もあるけど。
じゃなきゃ何が悲しくて全員吊るさなきゃなんねえんだって話。
私の言い分に夏油は口の端を引き攣らせ、ついでに人畜無害も辞書で引いてくれと溜め息を吐く。
夏油に手を引かれたまましばらく歩いていると、なんか変なものが浮かんでいるところに辿り着いた。
私でもわかる、これだろ、その呪霊の核って。
おどろおどろしい、使い古されたサンドバッグみたい。

「さっ、名前さんの出番だよ」

「なんで私、夏油がやれよ」

「私がやったら残穢が私のだってわかってしまうだろ?そうすると五条悟に勘づかれる可能性があるからね」

「攻撃の手段がない」

「……え?まさかと思うけど今のジョーク?だって君、キックボクシングやってるんだろう?」

「つまり、好きなだけ殴って蹴ってシバいて吊るしていいと……」

ささっ、と夏油が私の背を押す。
ちゃんと呪力込めるの忘れないでねと念も押された。
呪力とやらはとりあえず自分の力を集中させてやればいいらしい、よくわからん。

「まっいいか」

「間違っても私のこと殴らないでね?」

「さすがに余程のことがなけりゃサンドバッグと人の区別くらいできるっつーの」

よーしよしよし、普段あまりしないけれどパキパキと指を鳴らす。
呪霊がなんだか知らねーし、私は圧倒的被害者だから容赦なんていらねーよな?

「一方的にシバいてやんよ……人を呪わば穴二つってんだろ?呪うことはしねーけどぶん殴ってやる」

理不尽なんて許すわきゃねーだろ。

 

うわあ、一方的な蹂躙ってこういうことを言うんだろうなあ。
呪霊の核に向かって容赦なく拳を振り抜き、上段蹴りを決める名前さんを見て血の気が引いた。
だって考えてみてくれ、肉体は死まで秒読み開始してもおかしくないのに彼女はめちゃくちゃ元気。
見つけた時はちょっと参っていたみたいだけど、きっと私の気のせいだな、うん。
何が人畜無害の普通の絵師だ、真面目に辞書引いてほしい、古今東西名前さんみたいな人間を普通で片付けるのはおかしい、本当に普通の呪術師や非術師に謝ってほしい。

「マジでさァ不特定多数への不特定多数からの感情ぶつけられんのただの理不尽だろなーにが呪霊だ呪術師だ非術師だこっちはただでさえ蘭と竜胆のやらかしっぷりにキレることが多いってのにこれ以上面倒事増やしてんじゃねーよ泣いて済むと思ってんなら警察も梵天もあまつさえ私もいらねえんだよ好きなことして好きに穏やかに生きてんだろ邪魔してんじゃねーよおら立てよまだ泣くだけ元気あんだろ逃げんのは絶許に決まってんだよ大人しく私の鬱憤晴らしになれよクソが」

……酷い、いやこれは酷い。
声を荒げない、息も切らさない、えっ君本当に人間ですか……?
今のこの体に何かあったら名前さんの体に移ればいいかなとか一瞬でも思ったけど多分いや絶対無理だ、肉体の方が勝つなこれ、一瞬でも名前さんに目をつけた私それはやめとけ。
そろそろ呪霊が可哀想になってきたなあ……取り込もうと思ったけど多分無理だなあ……名前さんがそのまま祓いそう。
なんで呪術師になってないんだろう……なんで今までこんな逸材に高専連中は気づかなかったのか。
もしも、もしもだけど。
五条悟と夏油傑がこの人にもっと早く出会っていたら星漿体の護衛は成功していただろうし禪院甚爾だってこの人にボコボコにされていたかもしれない。
そう思うと今ここに私はいないだろう、計画だって頓挫していたかあと百年は遅れていたな。
よかったよかった、気づかないでいてくれて。
ある程度核をボコボコにして呪霊の核がもうやめてくださいゆるしてくださいと言わんばかりに彼女に土下座するような位置に落ちたところで、今私たちのいる空間が揺らいだ。
あ、これ外からも攻撃されているな。
……か、可哀想……本当に可哀想……灰谷蘭と灰谷竜胆は見つけたらお礼参りに行くって言ってたから……外からは灰谷兄弟、中からは名前さん、もう詰みじゃないか。
空間が揺らいだことを察したのか、呪霊の核を踏みつけた名前さんが少しだけすっきりした顔で私に振り返った。
呪霊ボコボコにしてそんなすっきりした顔をするのは後にも先にも名前さんと灰谷兄弟だけだよ、私が保証する。

「あ、なんか手ェ透けてる」

「呪霊の力が弱まったんだろうね、もうそれ以上しなくて大丈夫だ」

変に揺らいで彼女が取り残されるのはまずいな。
名前さんに手招きすれば、彼女はサッカーボールでも蹴り飛ばすかのように呪霊の核を蹴ると駆け足で私のところに戻ってきた。
もう時間の問題だろう。

「本当にあそこまで一方的にやるとは思わなかったよ……頼むから、君は穏やかに普通に過ごしてね……」

「最初から穏やかに生きているつもりだけど?」

「……ソウダネ」

崩れ出した空間に巻き込まれないように名前さんの肩を引き寄せる。
こんな小柄な体のどこにあんな力があるのか……

「さあ、ここが壊れれば君は目が覚めるよ」

「一週間もここにいたとか思えない」

「そういうものさ。……ねえ名前さん」

「あん?」

「……十月三十一日は、君も君の大切な人たちも渋谷に近づいちゃだめだよ。その日が終われば日本はがらりと変わる、世界も変わる。私も縛りを破棄してまで名前さんに危害を加えたくないからね」

むしろ死滅回遊に参加してほしいけれど。
でもきっと彼女の一人勝ちだな、保険でルールがあっても私の目的は潰えてしまうだろう。
遥かに私より若い彼女の頬を手の甲で撫でると、彼女は「わかった」と答えた。
それなら安心だ、私が。

「君が呪術師じゃなくてよかった。変わった新しい世界で、君の絵がどう変わるのか楽しみにしているよ」

空しか描かない不思議な絵師。
強い者しか生き残れない世界で、君が生き延びることを柄にもなく祈っておくね。


親戚のおねえさん
肉体は眠っている状態、意識が取り込まれていた。
呪霊の説明を改めて受けてただの理不尽じゃねーか吊るすぞ、となった。
残念ながら吊るせる場所がなかったからキックボクシングが火を噴いたぞ!
感性は身内に反社がいても比較的普通なんだよ、ほんとだよ。
夏油さんがお迎えに来てくれたので無事に脱出、この後目を覚ます。

夏油傑(中身はメロンパン)
なんかめちゃくちゃ元気だなあ。
残穢がないようにおねえさんに好きなだけボコボコにしていいよ!と背を押した。
ちょっと呪霊可哀想だなと思ったけど、うん、可哀想。
一方的な暴力にやっぱり灰谷兄弟の血縁なんだなあと再認識、呪術師じゃなくてよかった、十二年前に五条悟と夏油傑に出会わなくてよかった、ただの絵師でよかった。
君が無事であることを祈るのはあれだよ、君に何かあると灰谷兄弟と梵天からの報復があるのがわかっているし本気で私も命の危険を感じるんだよ。
もしかしたら、もしかしたらおねえさんとは、計画なんてそっちのけで仲良くなれていたかもしれないな。

灰谷兄弟
今何してるぅ?変な生き物ボコボコにしてる!

 

次回!
中身だけでなく外側もボコボコにしてやんよ。
オマエら引っ込め私の客だ。

2023年8月3日