「申し訳ございませんが小紫様、そのような高価なものは受け取れません……」
本当に申し訳なく目を伏せる姿になんと答えればいいのかわからなかった。
始めはあのオロチが大切にしている姫様だと聞いたから近づこうとしただけなの。
きっと、オロチに似て傲慢なのだろう、悪い人なのだろうと思っていた。
でも違った。
身分を隠して花魁ではあるのに私に丁寧に敬称をつけて呼んで、接し方もとても丁寧で。
本当にオロチの姫様なの?嘘じゃないの?
贈り物として花の都でも人気のある紅を渡したらとても申し訳なさそうに丁寧に断られてしまった。
もちろんあわよくば、なんて命を狙っているわけでもない、オロチを探るために近づければなと思っていただけ。
それに、色の白い彼女には映えるだろうと思ったの。
化粧っ気のない素の肌は白く、髪も白く、目も黒が限りなく薄い灰色で、きっと鮮やかな赤は誰よりも映える。
どうしよう。
困って思わず狂死郎……傳ジローを見れば首を横に振られる。
ならばとオロチへぜひ姫様に贈り物として受け取ってほしいのだと言ってもオロチはお前でも無理強いはしないでやってくれと言われる始末。
何故なのかしら。
オロチは仕方ないとばかりに姫様に理由を話してやれと促し、そこで姫様は視線を逸らしながらも口を開く。
色が見えない、鏡で自分を見ても、鮮やかな赤は黒を塗ったように見えて自分ではあまり良さがわからないのだと言う。
ああ、誰でもわかります。
色の見えない姫様を傷つけてしまったのかもしれない。
慌てて姫様に頭を下げても姫様は何も責めるようなことは言わず、穏やかに私に頭を上げるように言うだけ。
「小紫様のご好意は受け取らせていただきます。ありがとう」
わかりにくいけれど微笑む姫様に、本当にこの人はオロチと同じ黒炭の血が流れているのかと疑ったわ。
それからは、姫様への贈り物に鮮やかなものを選ぶのはやめて、菓子を贈るようになった。
色がわからなくても、形で楽しめるかしら。
それでも、断られることはあったのだけど、贈り物をする度に姫様のことが少しずつわかったような気がする。
オロチが権力を持つことを盾にするような人ではないこと、何かをする人ではないこと、良くも悪くも何もしない、ただ漂う雲のように流されている人、いつか、雲のように溶けて消えてしまいそうな、とても儚い人。
オロチにわがままを言って姫様とふたりで話をしたこともあったけれど、オロチはあれだけ自分のことを誇示するのに姫様はそんなことはない。
むしろ私の話をぼんやりとした表情で聞いて、相槌を打って、面白い話には少しだけ表情を綻ばせる。
綺麗な人、見た目だけじゃなくて、心も綺麗な人。
……この人となら、光月と黒炭は和解することはできたのだろうか。
これから先、何かが起こってもこうやって話ができるだろうか。
光月も黒炭も関係ない、友人になれるだろうか。
そんな日が来るなら、もう争いなんてしなくて済むのに。
廓に戻り、あの姫様のことを傳ジローと話をする。
自分が感じたことを話せば、納得はするものの傳ジローの表情は暗い。
「……あまり、あの姫様のことは信用し過ぎぬようにお願いいたします」
「何故?彼女はオロチとは全く違うのに?」
「拙者のことを勘づいているのかもしれませぬ。言外に拙者の飼い主は違うだろうと……」
たとえ、オロチとは違う方なのだとしても、彼女は黒炭の人間です。
本当に違うと、誰が言い切れるのでしょう。
その言葉に、何も言えなかった。
そうだ、あのオロチがあそこまで憎しみを言動に今のワノ国をつくっているのだ、本当に、彼女は憎んでいないと、私は思っているのだろうか?
わからない。
どう見ても彼女はワノ国にとっては無害そのもので、でも彼女は本当に何もしていないのにその生い立ちに罪を背負わされていて。
それで本当に憎まずにいられるの?恨まずにいられるの?
わからない、彼女という人間がわからない。
「……それでも、希望を持つのは悪いことではないでしょう?」
「日和様……」
私は信じてみたい。
そんな折だった。
鬼ヶ島へ行っていた彼女が、侍女に殺されそうになった話が耳に入り、怒り心頭のオロチがその侍女を処刑したのだと報せがあったのは。
なんか、帰ろうとは思っていたんだけど帰れんかった。
どゆこと……?
気がついたら部屋が変わっているとか、おじ様から何かしら連絡が入っているはずなのにこっちに伝えられないとか……えっ?なんでえ?
いや、なんでって聞かなくても、思い当たることが……嫌な予感ビシビシすることが……あってだね……
いつだったか、キングがぼそりと呟いたんだよ。
帰さなくていいなって……何のことか今ならわかるわ、私のことじゃん……!?
なんかしました!?した覚えがこれっっっっぽっちもねーんですよ!!
部屋が変わるのはまだいい、今まで使わせてもらっていたのは客間のような部屋だ。
でも、あの、これって座敷牢ってやつじゃ……?
でもなんか豪華で私の知ってる座敷牢じゃないような……扉の錠前は私には届かない場所にあるよ……あれはキングとかカイドウじゃなきゃ届かないよ……嘘ォ……というかキングやカイドウサイズなら格子もっと荒目でよくない……?
ちぐはぐだけど、ここに閉じ込めるのは普通のサイズの人間で、閉じ込めたのはでっかい人間だと状況が教えている。
私が使うだろう調度品のサイズは完全に私のサイズだし、なんなら絵を描く道具揃っているし、この前キングにもらった絵具だけじゃなくて岩絵具も揃っているよやだ複雑!!
認めたくない……いくらおじ様のバックについていても海賊は海賊、そのまま囲われたのかこれ……!?
誰にって、認めたくないけどキングしかいないっつの……
寝て起きたらここにいたとかどんなホラーよ……
……もしかしたらまた寝て起きたら部屋が戻っているかもしれない、二度寝しよう。
ふかふかのお布団なのがこれまた……ええい考え事はやめだやめ!寝る!!
めちゃくちゃあったか……
寒い寒いって言ってたからかな、状況はともかく気遣われている自覚はある。
そのままお布団に入って寝てしまった私だけど、次に目が覚めたのは人の気配を感じてからだ。
ガシャンと錠前がかかる音で覚醒する。
……誰か来ていたのかな?
起きても寝る前と状況は変わらないままですね、ええ、期待なんてしてねーですよ。
ただまあ、心を揺さぶられるものはそこにある。
布団から抜け出して、岩絵具が並べられている文机に近づき、並べられている小瓶をひとつ手にした。
何色かわからない、しかもこれは砕く前の岩絵具だ。
文机の上には筆や絵皿、墨や硯なんかも揃っていて、試しにこの岩絵具砕きたいなと見渡せば目的のものがあった。
乳鉢と乳棒、それに砕いた粉状の岩絵具を混ぜるための膠。
完璧過ぎて引くわ、ごめん。
けどね、敢えてダメ出しするなら色の名前は書いてあっても私にはどんな何の色かわからんのですわ。
ふと手にしたのは白群、と書いてある瓶。
何色か全く想像がつかない、白って書いてあるから白っぽいなにか……?
あ、白緑はなんとなくわかるかも、白と緑だし。
膠は今のうちに水に浸して溶かしておこう、二、三日くらいは使えたしね。
「よォ姫様、起きたか」
「カイドウ様」
「……この状況で泣き喚くかと思えば、家探しか」
「これはカイドウ様が?」
「いや、キングだな」
大きな空き瓶に膠を入れて水で浸していると襖が開き、カイドウが酒片手に入ってきた。
でもこの座敷牢の鍵を開けるつもりはないらしい。
どっかりと座り、何しに来たかと思えば何でもいいからそれで絵を描け、だって。
いや別に構わないけど。
でも色わかんないから聞くけど……
それとなく何の色か聞いてもいいですか?と聞けばおう、と返ってきたので寝起きの頭を簡単に櫛で梳かして髪紐で纏めた。
寝間着に羽織を着て、それから襷で袖を邪魔にならないようにする。
そういえば寝起きで寝間着だよ、お見苦しいものをお見せしました……
さてさて、何を描こうかな。
気になる色はこの白群と白緑だ。
残念ながら私は前世で聞いたことはあれどどんな色か知らないから、本当に未知の色。
白緑は白っぽい緑だろうか、白群は……うーん……白っぽい……群青とか?浅葱とは違うのかな?
多分緑と青、どんな色かわからんけど。
池でも描こうか、金魚や鯉を描いたら鮮やかなのだろうけど、色が多いと失敗しそうだし色が濁りそう。
ちゃんと使ったことのある色は浅葱や蘇芳といった前世でもわかりやすい色だったから、緊張もするしワクワクする。
まずは下絵、文机ではなく畳にそのまま紙を広げて薄くした墨でさらさらと描いた。
池だから……周りには岩とか木があればそれらしくなるでしょ、多分。
池の水面には何も描き込まず、他を全部描き込んで、次に岩絵具を瓶から乳棒に出した。
「カイドウ様、白緑とはどのような色でしょう?」
「それか?あー……緑に白足したような……?いや青緑に白……?」
「身近なものだとどんなものに使われているかご存知でしょうか」
「……」
「……」
あっ、結構難しい感じ?
……ま、まあ白っぽい緑ってことで!
苔ではないだろうな、そんなに鮮やかで黒いものではなさそうだ。
そのまま乳鉢で岩絵具を砕いて、ゆっくりだけど粉状にしていく。
この音が好きだ。
陶器と陶器が擦れる音。
何と表現すればいいだろう、澄んだ音なんだ。
透き通るような、鉄と鉄が擦れても、石と石が擦れてもこんな綺麗な音は出ない。
粉状になった岩絵具を絵皿に移し、さっき水に浸した膠をそのまま匙で混ぜ、それから少し掬って絵皿に落とす。
溶かした膠を使う時は真鍮製の匙を使うのがいつもだから、こんなに揃っていると楽しいな。
真鍮製でも錆びる時は錆びるからその都度綺麗に磨くのも好き、真鍮の輝きが戻る瞬間って胸が躍るよね。
指先で岩絵具と膠を混ぜて、粉がなくなって少し粘度のある液体に変わればもう使える状態だ。
筆を手にしてそれを筆先に取り、紙に滑らせる。
真っ白な紙が少し灰色に変わる、いや私から見てね。
カイドウから見たらちゃんと色づいていると思うよ。
ちらりとカイドウを見れば、どうやら私が絵を描く様を酒の肴にしているらしい。
……肴になんの?それ。
酒飲みの人間の感性はよくわからん。
絵皿から白緑の岩絵具がほとんどなくなったところで、乾いているのを待つ間に白群も準備しようと思う。
「カイドウ様」
「あん?」
「この白群はどのような色でしょうか?」
「……白っぽい……青緑……?」
「……白緑とは違いますか?」
「いや、ちげーのはわかるんだがよ……おれの語彙力じゃそれが限界でな……」
あー……納得してしまった。
顔に出てしまっていただろうか、カイドウは「詳しく知りたきゃキングに聞け、それ全部用意したのはあいつだ」と言って酒を煽る。
あー……また納得したわ。
「そもそもその岩絵具ってのに馴染みがねェんだよ」
「……恐れ入りますが、私めが少し解説しても?」
「おう、許す」
岩絵具とは、名前こそみんな同じ岩とつくけれどその岩が違う。
つまりは鉱石がそれぞれ違うものだ。
現実ではそういう絵具があるか知らないけれど、いや前世であった気はするけど、例えばアメジストを砕いたものとエメラルドを砕いたものは原材料は鉱石だけどものが違うってこと。
硬さの違う岩を砕いたって言えば伝わるかな。
さすがに外の国の言葉は使って変なボロが出るのは困るのでうまく濁しながら伝えればカイドウは感心したかのように息を吐いた。
「それだけの知識をどこで仕入れた」
「絵の指南を受けている時に教わりました。自分でも調べておりますが、ここまで種類があるとは未熟ながら知らなかったもので」
金を砕いたのと銀を砕いたのでは違うと思っていただければ。
白群の岩絵具を乳鉢と乳棒を使ってゴリゴリと砕き、段々粉状になれば陶器同士が擦れる音が大きくなる。
墨と硯でもこんな音はしないからなァ……綺麗な音、好きだな……
夜だったら多分この作業しながら寝落ちている、断言できるわ。
ASMR恐るべし……とか思っていたら膠と混ぜる段階になった。
あとそう、岩絵具をこうして指先で馴染ませると色も岩絵具の匂いも自分に移るの。
前の世界の江戸時代くらいだったか、絵師は、名前が残らない絵師でも、こうして指先に色と匂いが移っていたって何かで知ったんだ。
綺麗だなと思った。
絵が残るだけじゃない、絵師を絵師たる存在にするのはその指先が証拠なんだって。
まあ、透明水彩なんかは指先で馴染ませる必要がないけれど、前の世界の何百年も前はこうだった。
思えば生まれた世界が違うのは今では当たり前だけど、同時に時を超えたようなものだったな。
さっきと同じように、白緑が乾いたのを確認してから色が混ざりすぎないように慎重に塗っていく。
色の三原色……赤、黄、青があればほとんどの色を表現できるけど、それは岩絵具には当てはまらない。
それを思えば岩絵具ってとても色が豊富なんだろうな。
透明水彩やアクリル絵具と違って、それぞれの顔料の粒子の重さが違いすぎて色が濁ってしまうの、絵具って奥が深い、今でもそう思うし、今までもそう思った。
「出来上がりました」
「……相変わらず大したもんだな」
「お褒めに預かり光栄でございます」
頭を下げ、それから牢の格子から絵がくしゃくしゃにならないように渡せばカイドウは満足そうに口角を上げた。
その絵を置いてカイドウがちょっと来いと手招きする。
近くまで行けば、格子から指を入れたカイドウがその指先で私の顎を掬い上げ、見定めるようにじっと見下ろした。
……もう慣れたけどね、悲しいことに慣れたけどね、こっえーんですよ、強面、厳つい。
「精々、キングのペットとしていい子にしてろよ」
「ぺっと……」
「あれだあれ、愛玩動物」
知ってる、言わんけど。
でも知りたかったのは言葉自体の意味じゃなくてだな……!
「おれとしてはキングがお前を気に入って何よりだがな、お前がオロチの姫様の時点で爆薬みてェなもんだ」
「……そうですか?」
「自覚はしてるんだろ?例の殺されかけた話は聞いている。その後の花の都の状況もな」
……思ったよりも、おじ様は怒り心頭らしい。
なら帰らせてほしいんだけど。
帰るのが怖くてもおじ様を安心させたい気持ちの方が大きいし。
別に姫様の立場なんていらなかった。
そんな立場がなくともおじ様は私のことを大切にしているのを知っているから。
誰が始めに私なんかを姫様だなんて言い始めたのかは知らね。
「爆薬が爆発してもおれは痛くも痒くもねェがな、後始末が面倒だろ?」
そうですね。
言外に下手なことすれば殺すからなと釘を刺されたような気がする……多分、気のせいじゃない。
黙り込んだ私の様子に機嫌がよくなったのか、カイドウはウォロロロと独特な笑い声を上げた。
黒炭の女の子
起きたら部屋が座敷牢に変わっていて現実逃避したくなった。
でもここたくさん絵を描く道具があって楽しい……複雑……!
ちゃんと大人しくしてますよ、はい……
小紫花魁改め光月日和
姫様が思っていた人物像でなくて混乱はしたものの、友人になれたらと思っている優しい人。
何度かふたりきりで話をしたことがあるし、少しだけど表情が変わるところも見ているから、友人に、なれたらな……
姫様が殺されかけた話を聞いて心を痛めるくらい、入れ込んでいるんじゃないかな。
狂死郎改め傳ジロー
日和の気持ちはわかるけれど、あの姫様は只者じゃなから警戒はするように進言した。
カイドウ
右腕が姫様を囲ったから戸惑いよりも先に笑ってしまった。
少しは気休めの人間ができれば程度だったけど、思ったよりも入れ込んでいるんじゃねェか。
惚れたか?って聞いたかもしれないけどキング自身は自分の感情がよくわかってなかったようなのでもっと笑った。
馬鹿な真似はするなよと釘を刺した。
それはそうと本当に絵を描く腕は大したもんだな。