最近のイライラもあって机を蹴り上げれば目の前の容疑者は目に見えて肩を揺らし、同じように肩を揺らした同僚は書記をしていた手を止めて物に当たんなやと私を咎めた。
つい先程、後輩が羽交い締めにしてパトカーに詰め込んだ例の違法マイク所持者。
聞けば出るわ出るわ余罪の数々。
記憶喪失になるのに漬け込んで高齢者からキャッシュカードと通帳を騙し取り、さらに暗証番号まで聞き出していたんだと。
違法マイクで人に危害を与えた件については捜査一課がもう既に取り調べを終えている。
私たちはその余罪についての取り調べだ。
あまりにも身勝手過ぎて腹が立った、ので机を思わず蹴ってしまった。
反省はしている、形だけ。
「捜査一課じゃないから、女だから、温い取り調べだと思ってんなら思い違いだ。ひとつも残さずさっさと吐け、私が手を出さない内にな」
「こいつ、オオサカ署の中で取り調べが一番おっかねえ刑事さんやからな。知ってることははよ吐いてまえ。名字、足もなしやぞ」
「はいよ」
冷静さを欠いているのは認めるけれど、ちゃんとやるべき事はやるよ。
所定の位置から少しだけズレた机に頬杖をついて容疑者を睨みつければ引き攣った声を漏らす。
尚、隣のミラーフィルムのついた窓から私の取り調べの様子を見ていた捜査一課の面々が引き攣った顔で「お前の取り調べだけは受けたくないわ」とドン引きされたとだけ、付け加えておこう。
本当にもうないの?それ本気?調べりゃどんどん出てきて逆に罪重くなるけど?泣いて手加減されると思ってんじゃねえぞ?
なんて容疑者の心をボキボキにして、留置所への護送を他の職員に依頼すれば同僚からあとやるから帰り、と声をかけられた。
「お前あれやろ、天谷奴さんの件があったからあんなんやったろ」
「それはあるね」
「気持ちはわかるわ、いつもの五割増しで遠慮なかったもんなぁ」
「いらないでしょ。それ以前に違法マイク使って詐欺まがいのことするなんてタチが悪い」
「せやな……んじゃあ、あとは俺ら引き継ぐから、ゆっくり休めよ。後輩が今のお前見たらまたコンシーラーで隈も隠せんのかって噛み付くで」
「隠せてないのは事実だしね……ありがと」
同僚と別れ、ロッカーに立ち寄り荷物を持って署を後にした。
駐車場に停めてある自分の車に乗り込み、帰路へ着く。
買い物して帰るのも億劫だ、明日はオフだから買い出しはその時にしよう。
冷蔵庫にあるもので夕飯にしよ……
裏道なんかも使って運転していれば、あっという間に我が家に着いた。
鞄を肩にかけて車の鍵を閉めると「名前さん!」と声をかけられる。
顔を上げれば私の部屋の前から顔を覗かせた簓くんが手を振っていた。
……いやなんでそこ?
「お疲れさん!一杯やってんで!!」
「いやいやなんで?」
どういうこと?
つーか待って一杯やってるってどこで?えっ?私の家?
現職刑事の家に不法侵入とか何考えてんのあのお笑い芸人。
早く早くと急かす簓くんの姿に思わず溜め息が落ちる。
のろのろと疲れが現れる体を引き摺るように階段を上がり、自分の部屋の前までやってくると簓くんはにぱっと笑って玄関を開けた。
「なんで私ん家開けれんの……?」
「ほら、そりゃあ合鍵あるからに決まっとるやん!」
「合鍵ィ?」
渡した人誰だっけ……なんて思いながら簓くんに促されるまま家に入る。
簓くんがドアを閉め、鍵をかけているのを後ろに感じながらただいま、と声をかければリビングのドアの隙間からピューっと飼い猫のロクが走ってきた。
はいはいただいまー、と擦り寄ってくる飼い猫を撫でる。
いつもならそのまま抱っこしろと強請るのに、飼い猫はにゃあにゃあ鳴くと私を急かすように忙しなくうろうろとしていた。
「……あれ、盧笙くんと来てんの?」
「ふっふー、皆まで言わんでも名前さんならわかるやろ?」
靴を脱ぎながら玄関に並べられている靴を見る。
……えっ、いや、そんな馬鹿な。
でも見間違えるわけがない。
頻繁にうちに来ていたんだもの。
相変わらずにゃあにゃあと私を急かす飼い猫、それを手伝うかのように簓くんが私の背を押す。
変に高鳴る鼓動。
期待している、そこに変わらない姿があるんだと、期待している私がいる。
少しだけ開いている隙間に飼い猫が滑り込んでいくのを見て、リビングのドアノブに手をかけた。
「いっつも思うんだがよォ、俺以外に懐きすぎちゃいねえか?」
「胡散臭いってわかるんやろ、なあゼロ」
「ぶみぃ」
「ぶさいくな鳴き声で盧笙に甘えんな」
「お、名前さん!すまんなぁ、零が名前さんとこで飲む言い張って止めれんかったんや」
「盧笙ー、追加の酒買いに行くでー!もうつまみもあらんし、ロクちゃんとゼロくんのおやつも必要やろ」
「はァ!?あんだけ買ったんに足りんのか!?」
「いーからいーから!名前さんめちゃくちゃ飲むんやからあんなんじゃ足りん!」
盧笙くんが膝の上に乗っている飼い猫のゼロを下ろし、騒がしくてすまんな、と声をかけて簓くんと慌ただしく出て行く。
残されたのは私と、飼い猫たちと、それから──
「あー……よォ名前」
私の名前を呼ぶ天谷奴さん。
少しバツが悪そうに頬を掻き、それから立ち上がって突っ立ったままの私に近づいた。
何か、何か言わなきゃ。
いつものように、でも声が出なくて。
はくはくと口は動くのに、喉が引き攣って音にならない。
じわりと目の奥が熱くなって、ぽろりと雫が頬を伝う。
よかった。
ただそう思った。
「悪かったな、心配かけちまったみてーで」
「……ん」
「あーあー、擦るな擦るな。赤くなっちまうだろ」
ごしごしと目元を手の甲で乱暴に拭っていると、その手を天谷奴さんが掴む。
こちらをまっすぐ見る灰色と緑の色違いの目は、もう知っている色だ。
とめどなく溢れる涙を制御することなんてできなくて、私の頬を包んだ天谷奴さんは苦笑して私と額を合わせた。
「お前なぁ、俺が忘れてたからって気のせいですませんじゃねえよ」
「違法マイク食らって忘れてたくせに……」
「悪かったって」
「……おかえり、天谷奴さん」
「ただいま」
ああ、帰ってきてくれてよかった。