目を覚ますと見慣れたヴァチカン本部の医務室だった。
いつもの匂い、いつもの室温。
瘴気で段々とボロボロになっていく肺に酸素を送るための酸素マスク。
違うのは全身が、特に脇腹がズキズキと痛むこと。
それから、右手の温かさと窮屈さ。
何があったんだっけ……候補生たちの演習で、下級悪魔の中に上級悪魔が混ざっていて、候補生たちを守りながら戦っていて、防御が間に合わないまま一撃食らったんだった。
そういえば、右手……
ふと視線を向けると、エンジェルさんが私の右手を両手で握り締めて俯いていた。
は……なんで?
だって、エンジェルさん記憶喪失で、私のことこれっぽっちも思い出してなくて、ああでも、意識を失う直前にエンジェルさんに名前を呼ばれたような気が。
「……ェ……ゥ……しゃ」
ひっでえ声、ちゃんと名前を呼べないでいんの。
かすっかすの小さな声が聞こえるわけないのに、それは彼の耳に届いたらしくエンジェルさんはガバッと顔を上げた。
──エンジェルさんだ。私の知っている、エンジェルさん。
いつもそんな顔しないんだもの。
いつも自信満々な、堂々とした表情で、朗らかに笑っていて、とても綺麗で。
けれど私の体調が悪かったり、怪我したりするとその顔をするの。
眉を下げて、私のことなのにエンジェルさんが苦しそうな痛そうな顔をするの。
片方の手で私の右手を握り、反対の手を私の頬に滑らせる。
あったかい。
少しがさついた男性らしい手。
短く整えられた爪のある指先で私の目元を擽った。
「おはよう、名前」
「……おあよ……ごじゃいあう」
「ふふ、ずっと眠っていたから声が可哀想なことになってるな」
一体どのくらい眠っていたんだろ。
カレンダーか何かを探して視線をキョロキョロとさせるけれど、残念ながら私の視界に求めているものはない。
エンジェルさんに聞こうにも、上手く声が出せないから聞けない。
……意外とエンジェルさん鈍いところあるからなぁ……わかってくれるかなぁ……
でも、そんなに私が眠っていたことよりも。
「エン……エウしゃん」
「名前」
「?あい」
「アーサーと」
「……あーしゃーしゃん」
「……ふふっ」
エンジェルさんと呼ぶよりかは言いやすいけどこれ私が恥ずかしいやつ。
せめてこんなかすっかすのひっでえ声で呼ぶのはちょっとな……
「……すまなかった、君を凄く不安にさせてしまったね」
「……!」
うん、凄く凄く不安だった。
私のこと忘れて、二度と思い出せないでこのままなのかと凄く不安だった。
名前を呼んでもいつものように笑って振り向いてはくれなかったから、優しく私の名前を呼んでくれなかったから。
目頭が熱くなって、鼻がつんとして、胸が締め付けられて、苦しい一週間を過ごしていた。
じわりと視界が潤む。
アーサーさんが私の目元を大きな掌で覆って、右手を強く握った。
ああ欲しかったものだ。
騎士團を束ねる聖騎士様を、ほんの少し私のものにできる瞬間だ。
「あ、あーしゃーしゃ……!」
「ああ、もう泣かないでくれ。もう君を忘れないから」
アーサーさんアーサーさん。
ずっとあなたに呼んでほしかった。
ずっとあなたに触れてほしかった。
ずっとあなたの近くにいたかった。
大好きで大好きで大好きなアーサーさんに忘れられるなんて凄く心が痛かった。
お願いだから、こんなことが二度と起こりませんように。
息が苦しくなってくるのも気にしないで、宥めてくれるアーサーさんの手に擦り寄るようにしてただただ泣きじゃくった。