動けるのにここから出られない。
人間で言うならそれは監禁だとか軟禁だとか言うけれど、他の生き物だったら何が最もらしい言葉を使うだろうか。
それに、その状態の人間が他の生き物を可愛がっていたら?
……難しいことは考えるのやめておこう、何を考えても変わらないし。
ぼんやりと薄暗い部屋の畳に寝そべりながら文机の上に空いてある金魚鉢を見上げる。
ぶくぶくと音がするその中には、意外と広い空間を泳ぐ金魚が一匹。
先日のお祭りで金魚掬いがあったと聞いたから、お試しのわがままで掬って持って帰ってきてもらった子だ。
この家の主が庭で愛でているような、高級な種類じゃない。
どこにでもいる、愛嬌のある、けれど場合によっては食べられてしまうことのある種類だ。
人に懐く……というより慣れることがあるのか、餌をあげようと近づくと向こうも近づいてくる。
ああ、そう言えばご飯の時間だった。
のそのそと体を起こし、金魚鉢の横に置いてあるパッケージを手に取る。
適量を金魚鉢に入れれば、小さな金魚は思ったよりも勢いよく食いついた。
「……お前はいいね、呑気にご飯食べることができて」
私?食事は摂っているけど、一応。
文机に頬杖をついてじっと金魚鉢を見る。
不格好ではあるがエアレーションや温度計、フィルターが入っているから生きるのには快適な環境のはずだ。
そう、私みたい。
この金魚みたいに、この決まったところから外へは出られない。
傍から見れば快適と言ってもおかしくない環境なのだろう。
でも、金魚みたいに鰭はない。
歩けていたはずの、足は私の体を支えてはくれない。
浴衣の裾から覗く自分の足へ視線を向ける。
映画やドラマだけの話かと思っていたけど、アキレス腱をざっくり切られただけで歩くのは大変になるんだね。
爪先の感覚がないとか、指が動かないとか、そういうのはないけど、立ったら崩れ落ちてしまう。
その状態で、ここから出られるわけがない。
いっそのこと……と何度も考えはするけど、怖いから私にはその先を口にできないでいる。
ぱくぱくとご飯を催促するように口を開閉する金魚を横目に夜になるまでうたた寝でもしようかと思案していると、不意に部屋の襖が開いた。
声もかけず、開ける人はただひとり。
自然と背筋が伸びる、冷や汗が頬を伝う。
「おや、起きていたのかね」
喉が張り付いたような感覚に声も出ない。
かろうじて「はい……」とだけ絞り出せた。
ズキンと両足首が痛む。
部屋へ入ってきたその人は滑るように足を運び、背を伸ばして正座をしている私の隣に腰を下ろした。
なんで金魚が人に慣れるのかって、それは元々の好奇心旺盛なところと、慣れるとご飯がもらえるんだと学習をしたからじゃないだろうか。
ご飯をもらうことは、自分にとってプラスのことでしょう?
「そんなに畏まらなくて構わない。しばらく構ってやれなかった埋め合わせみたいなものだ」
全然気にしてない、全然問題ない。
当然のように腰に回された腕が私の体を引き寄せる。
年齢に合わず、鍛え上げられているような気がする、比較する相手なんていないけれど。
何を話すでもない、私から話すことはない。
あっても即座に却下されるのは目に見えているし、この人の虫の居所が悪かったら何をされるのかわからない。
ここでは従順を装っていた方が長生きできる、それだけは学んだ。
だって死にたくはないから。
どこまで行っても、人間は自分を守るのに必死だ。
じゃなきゃ私は正気を保ってはいられないよ。
どんな相手でも人肌は意外と温いもので、さっきまでうたた寝をしようと思っていた意識がだんだんと沈んでいくのがわかる。
それにこの人もわかっているのか、大きな手で私の視界を覆った。
何も見えない。
「眠っても構わんよ、目くじらを立てるほど心が狭いつもりはないからな」
どうだか。
ご自分が何をしてきたのかその狭くないらしい心に聞いてみたらいかがですか。
こんなこと口にはできないけど、心の中で言う分にはありでしょう?
見透かされてそうな気はする、見逃されている気もする。
うつらうつらと船を漕ぎ始めたところでそっと体を倒された。
頭は、この人の太ももの上に、いや寝心地悪いわ。
背中を大きな手が滑る、まるでそう、ぐずって眠れない子どもをあやすかのような。
「起きたら今度は君が私に構っておくれ」
とても嫌。
でもこの人は答えなんか求めていないんだろうな、どんな答えでも意味がないんだろうし。
背を撫でていた手が今度は私の手を掴む。
武骨な指が私の指に絡まるものだからせめてもの抵抗に抜け出そうとしたら、それすらゆるさないように強く握り込まれた。
随分前に抵抗なんてものは諦めたけど、こんな少しの些細なものまで抑え込まれたらどうでもよくなっちゃうな。
気持ちだけ、気持ちだけでも抵抗はする。
体は諦めても自分の心くらいは、なんてね。
とっくに無駄だと理解してしまっていると認めたくないだけ。
瞼が完全に落ちる前に金魚鉢を見る。
ああいっそ、お前みたいになれたらよかったかな。
そのまま目を閉じて眠りに落ちる寸前、存外優しい声でおやすみと聞こえた気がした。