「少し飲まないか。君は辛口が苦手なようだから口当たりが甘いものを用意させた」
名前に与えている部屋を訪れると本を読んでいたらしい彼女が目を丸くして手を止めた。
珍しく寛いでいたのか、仰向けの体勢でだ。
私と目が合うとサァ……と一瞬で顔を青褪めて素早く、しかし上品に正座をして少し乱れた襟を正す。
気にしないというのに、まるで懐かぬ猫のような振る舞いが可愛らしくて少々頬が緩んでしまう。
読んでいたのは与えた覚えのない本だ、だがそのジャンルは名前が好んでいたことは把握しているので特に咎めはしない。
大方、話しやすい榊あたりにでも頼んだのだろう。
年が近いはずの周防や冬馬には全く気を許さぬのに、榊にはある程度砕けているようだ。
私の顔色を窺う名前を見下ろしながら使用人に運ばせたものを部屋に入れるように促した。
彼女はあまり酒を嗜まない、飲めないわけではないだろうが好みではないらしい。
飲めても弱いのか、すぐに酔いが回る。
使用人が部屋にある文机の上に徳利と猪口をふたつ置き、深く頭を下げると部屋を出て障子を閉めた。
さて、畏縮している彼女をどうするか。
文机の前にある座布団へ腰を下ろし、名前の名前を呼ぶ。
おいで、と声をかければおそるおそる私の隣へ膝立ち歩きでやってきた。
隣とはいえやや開いている隙間を埋めるため名前の腰に腕を回して引き寄せれば細い体が少々強張る。
「ほら、落とさぬように」
「はい……」
猪口を持たせ、そこへ徳利を傾けて中身を満たしていく。
手元の猪口と私の顔を何度か見比べ、私が飲んでごらんと促せば名前は器に口をつけた。
ほんの少し、酒を口に含んでゆっくりと飲み込む。
「……おいしい」
お気に召したのならなによりだ。
私も自分の猪口に酒を注ぎ、それに口をつけた。
会話らしい会話は極端に少ない。
名前から何かを聞いてくることも話し出すこともない。
……いや、正確には口にしようとして噤んでいるか。
そうでなくとも、自分の意思を誰かに伝えるのが苦手だというのは早い段階で見て取れた。
些細な選択肢を出すとこちらの顔色を窺って唇を噛み締める、ここへ囲ってからではなさそうだ。
他愛ない話を交わしながら名前の持つ猪口の中身がなくなる度に注ぎ足す。
困惑の表情を浮かべながらも健気に飲み干していた名前だが、そろそろ限界がきたのか顔を真っ赤に染めて私に寄りかかってきた。
溢さぬように名前の手に持っていた猪口を取り上げて文机の上に置く。
共に飲むのが目的ではあったが、本命はこれだ。
泥酔すると前後不覚になり、割りと素直な面を見ることができる。
下心なぞあるに決まっているだろう。
ぼんやりと酔いに浮かされている彼女の頬に触れれば、気持ちよさそうに目を細めた。
「つめたぁい……」
「私の上においで」
「……おもい、です」
「君が重いと感じたことはないよ、おいで」
促せばおそるおそるではあるが私の胸に寄りかかる様に横向きに座る。
名前の手持ち無沙汰になった手を握り、指を絡めていると名前の瞳からぽろぽろと雫が落ちた。
……おや、泣き上戸だったかな。
「どうした、何か悲しいことでもあったかな」
「……おかあさんに、あいたくて」
さびしい。
素直に零れた言葉にどうしたものか思案する。
正直な話、名前以外の名字の人間はこの世には既にいない。
名前を囲う時に始末させた、生家も燃やした、実質名前もダミーの死体を用意して死んだことになっている。
しかしそれを伝えるのはまだ都合が悪いか。
いや、知っても問題はないのだ。
ひとりではどこにでも行けないのだから、名前にできることはここで私に愛でられていることだけ。
母が、父が、きょうだいが恋しいと、かえりたいと顔を歪める名前を抱きすくめて頬を撫でる。
ああ、かわいそうに。
自分でできることはなく、ただ泣くだけしかできない。
一時の抵抗も、何か思うことがあったのか今ではすることなく、ただ私の好きにされている。
かわいそうに。
そこも含めて可愛らしいものなのだ。
それに、今でも言葉を選んでいる。
私に言いたいことがあるだろう、なんで私だったのか、と。
名前はすんすんと鼻を啜り、涙でぐちゃぐちゃになった目元を乱暴に擦る。
「あまり強くすると赤くなってしまうぞ」
強く擦る手を制し、そっと目元を撫でてやれば、何か言いたげな目が真っ直ぐと私を見た。
いいものだな、手にした女に真っ直ぐ見つめられるというのは。
「かわいそうに」
「……」
「泣いてもかまわない、抵抗したってかまわない。しかし……おすすめはしないがね」
まあでも、恋しいと泣く可愛らしさに免じて少しは慰めてやろうじゃないか。
素面の彼女なら、意地でも私に涙を見せようとはしないだろう。
今の名前には私しかいないのだと教え込むように、抱きしめたまま背を撫でれば受け入れたかのように彼女は私に身を預けた。