「らんちゃん、オレとーさんキライ」
突然の甥っ子の言葉に目を丸くした。
竜胆がねえちゃんと籍入れてそれなりに経つし、なんなら子どもだっている。
竜胆そっくり、でも髪や目の色はねえちゃんかな。
そりゃあ元気なクソガキで、悪戯すりゃ竜胆が怒鳴る、怒る、たまに拳骨落としてたな。
でもやっぱり竜胆とねえちゃんの子どもらしく、泣きはすれどめげねえ。
しかも竜胆に怒られる度にねえちゃんのところに逃げる、いなかったらオレのところ。
さすがに弟夫婦……姉夫婦……どっちだ?まあいいや、夫婦に子どもができたなら一緒に暮らすにはお互い遠慮しちまうから同じタワマンの別フロアにオレは引っ越したんだけどな。
でも飯食う時はふたりのところに行くし、竜胆とねえちゃんが喧嘩した時なんか避難場所になんだろ。
話がそれた。
甥っ子の言葉だったか。
ここは梵天の事務所、ねえちゃんが九井のところに絵を持って来たんだけど甥っ子をひとりにできないってんでオレが預かった。
「なんでとーさん嫌いなの?」
「だってとーさんすぐおこる……ママはおこんないのに」
「あー……」
怒ってねえわけじゃねえんだよなあ。
ただ、ねえちゃんは甥っ子の悪戯には諭すように言うくらい、それも穏やかに。
いいか、ねえちゃんが諭すように穏やかに言ってんの、オレやとーさんからしたら何よりもこえーんだぞ。
手が出るのがクソ早いねえちゃんが言葉で言ってるだけ優しいし、でも容赦ねえし。
まだ甥っ子にはその恐ろしさがわかんねえか。
オマエも大きくなりゃわかるよ、ねえちゃんが、オマエのママがどんだけこえーか。
さすがに五歳児を吊るしたりはしねえか……いや、オレら吊るされたの七歳くらいだったわぁ、二年後だな、こいつが吊るされるのは。
ねえちゃんにはねえちゃんなりのラインがあるんだろう。
小学校に上がればねえちゃん本格的に怒るぞ、竜胆がそれは避けたいから敢えて嫌われ役買ってると思うわ……頑張れ竜胆。
「らんちゃんがとーさんならよかった」
「あーだめだめ、それは言っちゃいけねえよ」
「……」
「気持ちはわからなくないけどさ、オマエは知らねえかもだけど、ママ怒るとこえーんだぞぉ」
「うそだ!ママどなんないしげんこつしないもん!」
「嘘じゃねえよ、ほんと」
うーん……ねえちゃんの恐ろしさを教えるにはどうすりゃいいかな。
と、思っていると事務所に竜胆が戻ってきた。
甥っ子は竜胆を見るとさっとオレの後ろに隠れる。
「兄ちゃん悪いな、預かってもらって」
「んー、いーよいーよ。ねえちゃんまだ話してんだろ」
「おう」
「オレきょーかららんちゃんのこになる!」
「は?」
「こらこら」
甥っ子の言葉にすんと表情を無くした竜胆にも、べぇーと舌を出す甥っ子にもストップをかけた。
親の心子知らずってのはこれだな、ねえちゃん大変なんだろうなあ……悪戯したクソガキ吊るせないってのは。
きっとストレス溜まってる、でもそれを竜胆が引き受けてるから何もないんだろうな。
このクソガキ、と竜胆が唇を引き攣らせた、その時だ。
事務所の外……正確には隣の部屋、九井とねえちゃんが絵の取引している部屋から、多分三途の悲鳴が響いたのは。
その悲鳴に甥っ子はオレのスーツにしがみつくし、オレと竜胆は顔を合わせて今度は何やったんかな……と遠い目をする。
「……三途がねえちゃんに何かやらかしたに十万」
「それ賭けになんねえじゃん」
「当たり前じゃん、じゃあ絵に茶を引っかけた」
「ヤクキメて絵を蹴っ飛ばした」
よし、それで行こう。
つーか甥っ子にねえちゃんの恐ろしさ見せるいい機会じゃねえの?
何が起こったのかわからない甥っ子を竜胆は素早く抱き上げ、それからオレと隣の部屋へ向かった。
これが阿鼻叫喚ってか。
三途に逆エビ固めを決める名前、悲鳴を上げて床をタップする三途、三途に拳近づけてギブ?ギブ?と聞く九井。
おい九井現実逃避すんなよ、そこは止めろよ。
「なんでオマエはヤクキメてこの部屋入ってくんだよ私と九井が話してんのヤクキメてもわかんだろうがそもそも私と息子が来ているってのにヤクキメてハイになってんのはどういうことだよ学ばねえのか絞めるぞ」
「絞めてる!!足!足!!体折れる!折れちゃいけない方向に折れる!!だ、誰かあああああ!マイキー!マイキー助けてえええええ!!」
「ギブ?ギブ?ギブすんのか三途。姐さんギブ認めますか!!」
「認めねえよ折ってやるよ一思いにな」
「マイキィィィィィィィィ!!」
兄ちゃんがあちゃーと頭を抱える。
息子は引き攣った声を上げ、オレの首にしがみついた。
わかる、気持ちめちゃくちゃわかる。
名前が怒るととんでもねえからオレが息子を叱る役を買って出ていたけど、これ見ちゃったらなぁ……
ちらりと何があったのか周りを見渡せば、床に並べられていたはずの絵は梱包が破れ、テーブルに乗っていた絵の額縁には淹れたてのお茶がかかっていた。
なんだ、オレと兄ちゃんの予想どっちも合ってて賭けになんねえな。
「ま、ママなにしてるの……?」
「よく見とけよー、オマエのママが怒るとああなるんだよ」
関節技に磨きがかかってんのはオレの教え方がいいからだな、うん、現実逃避したい。
バンバン!と三途が手を叩く、可哀想に涙目だ。
だからって助けてやれねえけどな。
現実逃避したいのは息子も同じなのか、だってママおこんないもん……あんなことしないもん……と真っ青な顔で、でも三途と名前からは目を離せないようだ。
オレの拳骨なんて名前のキレっぷりに比べたら可愛いだろうが。
「姐さんの絵がどんだけ価値あんのかわかってねえだろ!姐さん!!もっとやっちまえ!!」
「えいっ」
「ぎゃあああああああああ!!」
うん、可愛く言ってもやってること可愛くねえんだな。
頼むから九井煽んなよ……ほら兄ちゃんもそっぽ向いて空綺麗だなぁなんて言っちゃってんじゃん、そっち窓じゃなくて壁だって。
どうしたもんか、息子ははらはらと見たことのない顔で泣いてるし、名前あんなんだし、そう思っていると部屋のドアが開いた。
ドン引きしているボスと鶴蝶。
「……今度は何したんだ」
「ヤクキメて部屋に来たと思ったらなんでか茶ァ持っててふらふらしながら姐さんの絵に蹴躓いて姐さんの絵に茶を引っかけた」
「オマエが悪い」
「そうだな、三途が悪い」
「いやああああああああああ!!」
役満だぁ。
三途が悲鳴を上げる度に息子がひくひくとしゃくりを上げる。
ママ……こんどからママじゃなくてかーさんってよぶ……
べしょべしょに泣き始めた息子をよしよしとあやし、げんなりした顔の鶴蝶に頼むと声をかけた。
鶴蝶は大きく息を吐くと、恐る恐る名前を呼ぶ。
「ね、姐さん……もうそこら辺にしてやってくれ……ほら、アンタんところのチビも見てるから……」
「は?私の描いた絵がどうでもいいって?」
「よくなくないですごめんなさい」
「名前、ストップしよ……後でいくらでもスクラップにしていいから……」
「今やんないでいつやんだよ、今だろ」
「ごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
その後、ボスの懸命な説得で三途は解放され、ひしっとボスに泣きついた。
さすがに三途の自業自得でも可哀想に思ったのか、大型犬を撫で回すように三途を宥めてボスは三途の首根っこを引き摺って鶴蝶を伴い、部屋から出る。
残されたオレら。
名前と九井は盛大に舌打ちをすると、三途のことなどなかったかのように絵の話に戻った。
「……な?ママ怒るとこえーだろ?」
「オレパパがパパでよかった……」
「竜胆の呼び方が変わるほどのトラウマ……」
「オレ複雑なんだけど」
なんでも兄ちゃんにらんちゃんがとーさんならよかったと言ってたらしい。
その原因が悪戯した息子を率先して怒るオレにあるとか。
いやわかってくれたと思うけど、オマエのママ怒るととんでもねえんだよ。
まだ五歳だから諭すように穏やかに言ってるだけであって、小学校に上がったら多分オレらがそうだったように吊るされんから。
息子は名前の怒りっぷりが結構なトラウマになったのか、悪戯する頻度は減ったしオレにべったりになった。
名前への接し方も名前の息子への接し方も表面上は変わらないけど、いいのか悪いのか。
元親戚のおねえさん
竜胆くんと入籍して灰谷名前になりました。
五歳の息子がいる。
実はおねえさんが怒っていいのか竜胆くんと夫婦会議したことがあり、怒り方やべーからオレが怒ると決まった経緯があったりなかったり。
今回は三途くんがやらかした、九井くんが止めなかったから逆エビ固め決めた。
別に息子ちゃんがいたことに気づかなかったわけじゃない、息子ちゃんを吊るしたわけじゃないからいっかと続行。
いつの間にかかーさん呼びになって首を傾げる。
灰谷竜胆
おねえさんと入籍した。
子どもに恵まれたけれど、いや怒るのオレがやるから……!と説得したとかしないとか。
息子が自分のことを嫌いだっていうのは知ってた。
まあ男の子だし母ちゃん大好きだもんな、程度。
でも三途くんがおねえさんに絞められているのを見せる形になって、よかったのか悪かったのか……答えなんて出ねーよ!
とーさん呼びがパパに変わって嬉しいんだか悲しいんだか、複雑。
多分おねえさんの尻に敷かれている。
灰谷蘭
弟夫婦……?姉夫婦……?どっち……?
竜胆くんの方が怒るのはなんでか察していた。
ねえちゃん怒るとやべーもんな、でも小学校に上がったらオマエ吊るされんぞ、とは言えなかった。
三途くんとおねえさんの惨状に現実逃避した、おそらきれい……でもそっちは壁だし今日は曇りです。
ふたりに子どもができた時点で別フロアに引っ越した。
ふたりの子どもからしたらいい伯父さん。
五歳の息子
すぐ怒るパパがキライだった。
でもパパがどんだけ優しかったのか、かーさんがどんだけ怖かったのか、とても身に染みた。
多分小学校に上がって反抗期迎えたら吊るされる。
頑張れ、灰谷はみんな通る道だ!
梵天の皆さん
九井くんは三途くんのやらかしに頭にきてたのでおねえさんにやっちゃえー!と声援してた。
三途くんはヤクキメたのが運の尽き。
佐野くんと鶴蝶くんは騒ぎを聞きつけて来たけどやっぱりなーと天を仰ぎたくなった、ここ室内だったわ。