幸せは変わらなくても周りが変わってしまったら

いつから歯車が狂ったのか私にはわからない。
最初からだったのかもしれない。
それこそ私の知らないところで、確実に歯車は狂ってしまって、直しようもなくて、けれどここに留まらされたまま。
いっそ私も狂ってしまったら楽だったのかもしれないけれど、良いのか悪いのか、私の精神面はめちゃくちゃ強かった。

「名前、飯できたけど食う?」

「少しもらおうかな」

今日はいい天気だなぁ、どんなに晴れていても外に出されることなんてないけれど。
竜胆に腕を引かれてリビングに向かう。
出会った頃に比べたら竜胆は身長も伸びたし体格もよくなった。
それは今仕事中の蘭もだけど。
私は変わらず、むしろ外に出してもらえないから肌は青白くなったような気もするし、体も丈夫とは言えない気もする、佐野家の道場でそれなりに空手やって鍛えたのに。
万次郎がどこで道を間違ったのか知らないけれど、幼くて喧嘩っ早いあのクソガキは今では梵天なんていう犯罪組織のボスだ。
真一郎が止めても、エマが止めても、場地が止めても、龍宮寺が止めても、私が止めても、万次郎は止まれなかった。
せめて自分以外をどんな形でも守りたいんだと、泣きながら話していた万次郎にかける言葉は出てこないまま、ずるずると時間だけが過ぎてしまったのだ。
それだけならよかったかもしれない。
万次郎と疎遠になってしまったのと同じタイミングで同居していた蘭と竜胆とも疎遠になって、父親にどんな話をしたのか知らないけれどいつの間にか同居はそのまま終わって私は都内でひとり暮らしを初めてどれくらい経ったか。
街中で久しぶりに会った蘭と竜胆は万次郎の率いる犯罪組織に身を置いているという。
それから危ないから、一緒にいてほしいからとあれよあれよと誘拐擬きをされて今では蘭と竜胆の家に閉じ込められている状態だ。
どんなに抵抗しても、何も変わらないと思っていた高校生の頃は手加減されていたんだなと思うくらいには敵わなかった。
仕事もしなくていい、何もしなくていい、だからここにずっといて。
突然のことに泣きたいのはこっちだってのに、泣きそうな顔をしていた蘭と竜胆に押さえつけられて、内側からでは特殊なカードキーじゃないと開かない家にずっといる。
私が好きなのを知っているからなのかびっくりするくらい高級な画材を買い与えられたり、有名なコーヒーメーカーを用意されてたり、驚くほど待遇がよくてびっくりした。
……まあ、ただ、たまにだけど、体を暴かれることは、ある。
恐ろしいと感じるくらい優しくて甘くておかしくなりそう。

「兄ちゃん今日帰り遅いってさ、名前にお土産買ってから帰るって」

「別にいいのに……」

「いいんだよ、オレも兄ちゃんもしたくてしてるんだから」

だから甘えてよ。
なんて向かい合った食卓で竜胆が笑う。
そうだね、こういう状況じゃなきゃ甘えられてるっての。
夕飯を終えて、ソファーで竜胆に後ろから抱き抱えられたままテレビをぼんやりと眺める。
外で何が起こっているのか知るのはこれくらいだ。
何年か前に私がここへ来た直後はほんの数週間だけ私が行方不明になったって報道があったけど今ではさっぱり。
つーか父親は私がどこにいるのか知ってんのかな……知ってそうだ、頻繁に蘭と竜胆は父親に連絡取っているみたいだから。
少し伸びてきた私の髪を指先で弄りながらそろそろ切るか?なんて竜胆が口にした。
不思議と竜胆はなんでもできるんだよな、器用。
食事の支度もほとんど竜胆で、蘭が作ろうとした時なんか生卵をそのまま電子レンジに入れて電子レンジ爆発したもん。
さすがに危なかったから怒ったらごめんごめんなんて嬉しそうに笑って一緒に片付けしてたからもうよくわかんねえ、なんで私に怒られて笑うんだよ。
爆発した電子レンジは望月が新しいのを届けたついでに回収していった。
オマエいつまでも学習しねえのかよ、なんて望月の言葉に首を傾げたのが新しい。
前にも、同じようなことがあったような、気のせいかな。
ただ、その代わりなのかなんなのか蘭の方が私の好みをよくわかっていた。
服や雑貨なんか、さらに画材も、私の好みを選ぶのがびっくりするくらい上手だ。
竜胆の体温が心地よくてうとうとし始めると、竜胆は膝の上で横抱きにする形に体勢を換え、ぽんぽんと私の背を撫でる。

「もうちょいしたら兄ちゃん帰ってくるから出迎えたら部屋行こうな」

「ん……」

帰ってきたら起こすよ、と言われたのでそのまま竜胆に身を委ねた。

 

「ただいまぁ」

「おかえり兄ちゃん」

「おー」

あー疲れた、とネクタイを緩めながらリビングに入ってきた兄ちゃんに声をかける。
名前はすっかり夢の中だ。
兄ちゃんは名前の頬をそっと撫で、穏やかに表情を緩めると着替えてくると一度部屋に向かった。
今日の土産はあの紙袋だろうな、何買ってきたんだろ。
名前を囲い込んでどのくらい過ぎただろうか。
最初は泣いて抵抗していたけれど、いつの間にか抵抗しなくなって、なのに相変わらずなところにやっぱりずっとねーちゃんのままなんだなと実感する。
……本当に名前のことを思うのなら、こんな形にしてはいけなかった。
けれど、やっぱり手放せなかった。
また知らないところでいなくなるんじゃねえか、死んでしまうんじゃねえかって。
それが何よりも恐ろしい、オレ自身が死ぬよりも。
兄ちゃん帰ってきたよ、と名前の体を揺らせばううんと呻くような声を上げてぱちりと目を開く。

「……らん……?」

「今着替えてっから」

「ん……」

膝から下ろしてやれば眠そうに目を擦り、あくびをする名前。
可愛い。
こっち向いて、と頬に手を当てて名前の唇に自分の唇を重ねた。
ちゅう、と唇を吸って離れれば寝ぼけ眼だった名前が固まって目を丸くする。
あー可愛い。
猫が固まったかのような姿にクスクスと笑いながら名前の頬を撫でていると、リビングに入ってきた兄ちゃんが不満そうに声を上げた。

「オレ置き去りにイチャイチャすんなよ」

「……あ、蘭おかえり」

「ただいまぁ名前」

これお土産な、と名前に紙袋を手渡した兄ちゃんが名前の隣に座って紙袋を物色する名前の腰に腕を回す。
名前が紙袋から取り出した小さな箱の包装紙を解いていくと、箱の中からは小さな小瓶がふたつ出てきた。
なにそれ。
中身はとろりとした赤の液体と青紫の液体が入ったものがそれぞれだ。
名前はあ、と少しだけ嬉しそうに表情を緩める。

「マニキュアだ」

「そ、オレと竜胆の色っぽいなーって思ってさ」

「確かにオレと兄ちゃんっぽい」

「特に何も塗ってねえし、どうかなって。オレ塗ってやるからなぁ」

兄ちゃんが名前を膝の上に乗せるとご機嫌に名前の手を取った。
紙袋の中にはベースコートやトップコートも入っている。
ほんっとこういうのは兄ちゃんに敵わねえなあ。
少し嬉しそうにしている名前の指先を兄ちゃんが染めていくのを微笑ましいんだか複雑なんだかよくわかんねえ気持ちで見つめていた。

 

もうなくさねえようにするなら閉じ込めてしまえばいいじゃねえか。
どんなに泣いたって嫌がったって抵抗したって、だってこうしないと、こうしなかったからねえちゃんは死んだんだから。
何の因果か知らねえけどこうしてまた生まれ変わって会えて、けれど名前がどんなにマイキーを止めても結局こうして梵天ができちまったんだし。
となると、またねえちゃんが、名前が、オレらの知らないところで死ぬかもしれなくて。
それがどうしようもなく怖くて怖くて。
名前から全部取り上げて、もう一度名前に必要なもんは与えて。
オレらより後ではあったけど、前世ってやつの記憶を取り戻したマイキーは、姉ちゃんが死ななければ好きにしろと言っていた、おじさんも名前が幸せに生きてるならいいって言っていた。

「でーきた、どう?」

「いつも不器用だなって思ってたけど蘭も器用なんだなあ……」

「言うことそれ?もっとあんだろー」

「めちゃくちゃ綺麗、ありがとう」

左右で色は違うけれど、オレ色と竜胆色に指先を染めれば名前は手を翳して満足そうにしている。
竜胆も「兄ちゃん器用だったんだな……」なんて失礼なこと言っていた、本当に失礼だな、オレ器用なんだぞ、オマエみたいに飯作ったり髪切ってやったりできねえけど。
見てみて、と竜胆に手を差し出す名前の髪に顔を埋めて静かに息を吐く。
香るのは名前が好きなシャンプーの匂い、いつだっけ、前にモッチーがうちで風呂入った時ねえちゃんの間違えて使ってたな。
今ではそんなことねえけど。
名前をここに連れてきてからはオレら以外に会わせていない。
マイキーに会わせたらきっと優しい名前はマイキーを止めようとする、マイキーを鶴蝶とふたりで支えているイザナに会わせたら前のことを覚えているイザナは名前をオレらから引き離そうとする。
どれも嫌だ、ずっとここでオレと竜胆と名前で過ごせればいいんだ。

「名前この色好きだもんな、シンプルに塗るのもいいけど今度ネイルパーツつけてみれば?」

「邪魔になるんじゃない?絵を描く時に何本か纏めて筆持つから取れちゃいそう」

「もったいないかー」

竜胆と名前が前と変わらずに話している姿に胸がきゅうと痛む。
ずっとこうがよかった、けれど名前を思うのなら離してやれればよかった。
結局手放してやれなかったなあ、なんて思いながら名前の体温で暖を取るように腹に腕を回した。


佐野家の親戚のおねえさん
ここでは真一郎くんもエマちゃんも場地くんも生きているのに黒い衝動に負けてしまった万次郎くんがいる未来。
万次郎くんと疎遠になったのと同じタイミングで灰谷兄弟との同居も解消してた。
けれど梵天として動くふたりに誘拐されて家に閉じ込められている、外へは出られない。
なのに不自由じゃない自分の感性が不思議、まだ自分はまともだと思っているけれどふたりに影響されているだけで感性はおかしくなってる。

灰谷兄弟
梵天として立派な反社会人になった未来。
おねえさんが前世のように知らないところで死ぬかも、と思ったら怖くて家に閉じ込めた。
あれよあれよと甘やかすし世話焼くし、たまーに抱いたりはする。
親愛も恋愛も、言葉で形容し難いくらいおねえさんへの愛が重いし深い。
怒られたら嬉しい、また怒ってくれた。
竜胆くんはおねえさんの身の回りのお世話得意、蘭くんはお世話とか苦手だけど娯楽を与えるのが得意。
実はおねえさんの父親とは連絡続けているし、前世の記憶があるのは何も蘭くんと竜胆くんだけじゃない。
ずーっと一緒がいいな。

変な方向に振り切れた未来でした。
生まれ変わった後の正規の未来ではマイキーくん闇堕ちしないから梵天も存在しないけど、もしも梵天軸になったらなお話。

2023年7月29日